河﨑秋子(かわさき あきこ)さんの「ともぐい」が第170回直木賞に輝きました。
2022年の「絞め殺しの樹」に続き、2度目のノミネートでの受賞です。
実は、私は7年前に北海道に行った時に、河﨑秋子さんのご実家でご本人のお話を聞くことができました。
注目の作家さんなのに、全くそんな雰囲気を感じさせず、とても謙虚に、初対面の私にいろいろなお話をしてくださいました。
今回は、そんな河﨑秋子さんのwikiプロフィールと経歴、結婚や家族、出身大学と高校についてお伝えします。
河﨑秋子のwikiプロフィールと経歴
まずは河﨑秋子さんのwikiプロフィールと経歴をおつたえします
wikiプロフィール
河﨑秋子さんは1979年、北海道別海町に生まれました。年齢は44歳です。(2024年1月現在)
河﨑秋子さんは2002年に北海学園大学を卒業後、ニュージーランドで1年間、綿羊の飼育技術を学びました。
帰国後は酪農をされているご実家を手伝いながら、綿羊の飼育、出荷をしてこられました。
2011年、「北夷風人」が第45回北海道新聞文学賞 創作・評論部門で佳作に入選。
以来、出版する作品が次々に話題になり、各文学賞を受賞されています。
2012年、「東陬遺事」(とうすういじ)で第46回北海道新聞文学賞 創作・評論部門受賞。
2014年、「颶風の王」で三浦綾子文学賞を受賞。
2016年、同作でJRA賞馬事文化賞を受賞。
2019年、「肉弾」で第21回大藪春彦賞を受賞。
2020年、「土に贖う」で第39回新田次郎文学賞受賞、第33回三島由紀夫賞候補、山田風太郎賞候補に。
2022年、「絞め殺しの樹」で第167回直木賞候補に。
2024年1月 「ともぐい」で第170回直木賞に。
経歴
以下には、河﨑秋子さんの子供時代からのことを少し詳しくお伝えしていきます。
河﨑秋子さんは子供の頃から本が大好きでした。
幼稚園の頃は絵本が毎月送られて来て、それがとても楽しみだったそうです。
きっとご両親も本がお好きで、そういう環境を作ってくださったのでしょうね。
ご実家はとても広い牧場で、隣の家まで800mもあるようなところだったので、河﨑秋子さんは幼稚園の頃は両親の送り迎え、小中学生の時は町のスクールバスで通学していました。
図書室で借りた本を待ちきれずにバスの中で読んで、吐きそうになるというのを繰り返していたそうです。(笑)
帰宅すると、隣の家とも離れているし、同じ年頃の子供はどこにもいなくて、本を読んで過ごすしかありませんでした。
私がなぜ、河﨑秋子さんのご自宅を訪ねたかというと、訪問した牧場のお隣が河崎秋子さんのご実家ということで、連れて行ってもらったんです。
お隣だから当然歩いて行くと思っていたら車に乗せられて随分走ってから河﨑さんのお家に着きました。
私は北海道の「隣り」のスケールの大きさにびっくりしたのを覚えています。
河﨑秋子さんは高校に進学すると、帯広で下宿生活を始めました。
河﨑秋子さんは、とにかく毎日、自宅から歩いて1時間もする本屋に通っていたそうです。
そんな河﨑秋子さんですが、大学は経済学部に進まれます。
河﨑秋子さんは経済にも興味があり、将来のことを考えるとお金のことを勉強しておくのがいいだろうと思われたとか。
しっかりしておられますよね。
大学には文芸サークルがあり、河﨑秋子さんは文芸サークルで活動をされたのですが、自分には才能がないと思い込み、後ではやめてしまったそうです。
そして大学を卒業するとニュージーランドに綿羊の飼育技術を学びに行かれます。
いきなり羊って、何だろうと思いますが、大学教授が取り寄せてくれた北海道産のラム肉が美味しかったのが、羊の飼育をしようと思ったきっかけなんだそう。
もちろん、美味しかっただけではなく、国内での羊肉生産の可能性を感じられたんですね。
さすが経済学専攻の河﨑秋子さんです。
でもいきなりニュージーランドに留学するって、実行力が半端ないですよね!
約1年間のニュージーランド留学を終え、帰国してから最初の1年は師匠のところやヤギ牧場で研修を受け、次の年からはご実家で羊の飼育と出荷を始められました。
河﨑秋子さんは朝早くから夜遅くまで、羊飼いと実家の酪農の仕事をされていましたが、30歳になった頃、再び執筆活動を始められました。
河﨑秋子さんは、執筆をやめていた時期も北海道の郷土史や開拓の物語を読んでおられたので、そういうものが作品のベースになったのだそうです。
私が伺った時も、お部屋には資料が山のように置いてありました。
それからの河﨑秋子さんの一日は、朝3時頃に起床して原稿書き、5時から牛と羊の世話、8時くらいから家事と父親の世話、その後また牛舎、昼ご飯の用意、来客の対応、原稿書き、お昼の3時から夜の7時か8時まで牛舎、10時か11時に就寝という信じられない生活。
すごすぎる!
そんなに厳しい生活の中でも、書きたい欲求というか作品を生み出すことへの情熱が燃えていたのでしょうね。
そうして2012年、「東陬遺事」で北海道新聞文学賞 創作・評論部門を受賞。
2014年の「颶風の王」は大きな話題になります。
河﨑秋子さんは2019年の終わりに十勝に移住して専業作家になられました。
そして2022年、「絞め殺しの樹」が第167回直木賞にノミネートされ、さらに2024年1月、「ともぐい」で直木賞を受賞されました。
すごいですね!
河﨑秋子の結婚と家族について
羊飼いと作家という希有な道を歩んで来られた河﨑秋子さんですが、結婚はされているのか気になりますよね。
河﨑秋子さんの結婚について調べてみましたが、結婚についての情報は見つけることができませんでした。
河﨑秋子さんは、現在の段階では結婚はしておられないようです。
次に、河﨑秋子さんの家族についてです。
まず河﨑秋子さんの父親は、満州に生まれ、1973年に新酪農村建設事業で別海に移住して来られました。
河﨑秋子さんが生まれる6年前ですね。
それからずっと酪農をされてきたようです。
河﨑秋子さんの母親は、ご自宅でチーズ工房をされています。
私が伺った時、ご自宅の一角にある工房を見せていただき、美味しいチーズもご馳走になりました。
河﨑秋子さんのご両親はやはりやり手というか、実行力がすごい方達ですね。
また河﨑秋子さんは4人兄弟の一番下です。
上には兄、姉、兄がおられ、下のお兄さんとは6歳離れているそうです。
それだけ離れていたら一緒に遊ぶのも難しかったでしょうね。
でもお兄さんの買う「少年ジャンプ」を訳も分からずに読んで、文字を覚えたのだそうです。
河﨑秋子の出身大学と高校は?
河﨑秋子さんの出身大学と高校についても見ておきたいと思います。
河﨑秋子さんの出身大学は北海学園大学です。
北海学園大学は札幌市にある私立大学です。
河﨑秋子さんは北海学園大学の経済学部で学ばれました。
北海学園大学のことを調べていると、俳優の大泉洋さんもこの大学の出身であり、河﨑さんと同じ経済学部であることが分かりました。
大泉洋さんは1973年生まれで、河﨑さんより6歳年上なので、同時期に大学にいたことはなかったと思いますが、大泉洋さんと河﨑秋子さんは先輩後輩の間柄なのですね。
河﨑秋子さんの出身高校は具体的には分かりませんでしたが、帯広で下宿生活をしていたとのことですから、帯広市内の高校ではないかと思います。
まとめ
今回は、第170回直木賞に輝いた河﨑秋子さんのwikiプロフィールと経歴、結婚や家族そして出身大学と高校についてお伝えしました。
ほんとに河﨑秋子さんってすごい方です。
これからも注目していきたいです。