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貝に続く場所にて(石沢麻依)のあらすじと内容!ネタバレは?感想も紹介!

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石沢麻依さんのデビュー作、「貝に続く場所にて」第165回芥川賞を受賞しました。

石沢麻依さん、おめでとうございます!

石沢麻依さんは、現在ドイツに住んでおられます。

読んだ人からは「ストーリーが難しく、意味が分かりにくい。」という声もありますが、私にとっては10年前の東日本大震災と自分との関係を見つめ直す深い作品でした。

今回は、第165回芥川賞受賞作「貝に続く場所にて」のあらすじと内容、ネタバレ、感想そして登場人物について紹介します。

著者、石沢麻依さんについてはこちらをご覧ください。

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作家の石沢麻依さんはデビュー作「貝に続く場所にて」で第165回芥川賞候補に選ばれました。同作で、第64回群像新人文学賞も受賞されています。今回は、そんな石沢麻依さんの経歴とプロフィール、出身大学と高校、そして結婚と家族についてお伝えします。

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「貝に続く場所にて」のあらすじと内容

主人公である「私」は仙台の実家で、2011年の東日本大震災に遭いましたが、津波や原発などの影響を受けることはありませんでした。

しかし、石巻の実家で被災した後輩の野宮は行方不明になっていました。

それから9年後、「私」は西洋美術史を学ぶためにドイツのゲッティンゲンで大学院生として暮らしています。

ある日、「私」は駅である来訪者を待っていました。

それは、あの日以来行方不明になっている野宮の幽霊でした。

野宮の実家は津波で流され、野宮とその家族は海に飲み込まれたのでした。

その年に妹と父親は見つかり、3年後に母親の遺体も見つかりました。

しかし、9年経った今でも野宮と彼の弟は行方不明のままだったのです。

「私」は野宮と再会しますが、コロナ禍の現代、野宮もマスクをしていました。

「私」は野宮とゲッティンゲンの街を共に歩き、そして分かれます。

野宮がゲッティンゲンに来ることを「私」に知らせたのは、野宮と同期の澤田でした。

そして、その日から、ゲッティンゲンで不思議な出来事が次々と起こります。

「私」の背中に歯が生えるという奇怪なことも起きます。

その一つひとつを通して、最後にやっと「私」は野宮の時間と向かい合うことができます。



「貝に続く場所にて」のネタバレは?

それでは、「貝に続く場所にて」のネタバレについて考えていきたいと思います。

震災とコロナ禍で重なったもの

石沢麻依さんは宮城県仙台市に生まれました。

東日本大震災が発生した時は30歳か31歳です。

もしかしたら石沢麻依さん自身が、大震災を経験したものの、家や家族を失うような酷い目に遭わずに済んだのかも知れません。

でも、それはそれで、その後苦しい年月を歩かなければいけないのではないでしょうか?

家や家族を失った人、それからいまだに身内が行方不明で、あの時からずっと混沌とした中にいる人・・・近くにそういう人達を見ながら、「自分は何もできなかった。」と自分を責め続ける人もいるかも知れません。

また、石沢麻依さんは現在ドイツ在住なので、この物語が書けたのですが、昨年、コロナのためにロックダウンしたドイツの街を歩きながら感じた先の見えない閉塞感が、大震災の時と重なったのだそうです。

タイトルの「貝」の意味は?

タイトルの「貝に続く場所にて」とはどんな意味なのでしょうか?

本文中には、このような描写があります。

帆立貝は、野宮にとって彼の場所に続く道標なのかもしれない

海の中でさまよっている野宮を、貝が道しるべとなって導くという意味なのでしょうか。

またこの物語の中で、貝は様々な場所で出てきます。

ゲッティンゲンにある聖ヤコブ教会は帆立貝がモチーフになっていることやウルスラが「貝の晩餐会」を開いたこと、またトリュフ犬が貝殻を掘り出すところなど。



「貝に続く場所にて」の感想も紹介

「貝に続く場所にて」を読んだ方々の感想も紹介いたします。

かの震災が一変させた人々の世界観が目の前に広がるようだ。(中略)震災が自らには目に見える形で影響を及ぼしていないことに、密接と隔絶の両義性が付与されているとは。強烈な苦しみや悲しみといった原色を描くだけが文学ではないのだ。この作品を読んでいる間は、記憶と共に生きる人の目を通した世界が確かに見えた。

なかなかテーマがわからず、序盤は大苦戦。なんとなくテーマを掴んだ(気になった)あとも、長かった。

自分にとっての震災との距離感を見つめ直す読書となった。語り手の女性は3月11日の被災者だが、津波の被害を直接受けなかったことで傍観者の立場もあった。曖昧な近さの研究室の同僚を失ったことは、曖昧な立場としての気持ちの置き所の迷いを生じさせ、落ち着かなさがずっと彼女の心の中を占める。それは理屈では割り切れない消え難い痛みなのだ。

静謐で読みやすい。間接的な形でしか知り得ない。それが自然であれ人文であれ。あるいは静かなものを巡る問題提起。優れた小説です。

「貝に続く場所」を読んだ人の中には、「難しかった」「合わなかった。」という人もあれば、「自分にとっての震災との距離感を見つめ直す読書となった。」と言う人もおられました。

私も「3.11の大震災の話なのに、ドイツが舞台?」と最初はかなり戸惑いましたが、直接の被害を受けない被災者の悶々とした心を感じ取ることができ、深く考えさせられました。

今、NHK朝ドラで「おかえりモネ」があっていますが、重なるところがあると思いました。

「貝に続く場所にて」の登場人物

「貝に続く場所」は舞台がドイツだし、非現実的な不思議なことがたくさん起こり、登場人物を把握することも難しいところがあります。

それで、「貝に続く場所」の登場人物について、簡単に紹介しておきます。

主人公です。

仙台で東日本大震災を経験し、現在はドイツで西洋美術史を学んでいる大学院生です。

野宮

同僚として働いていましたが、東日本大震災で行方不明になりました。

「私」は野宮と特に仲が良かった訳ではありません。

澤田

野宮と同期です。

野宮から澤田に連絡があり、野宮がドイツに来ることが分かりました。

アガータ

「私」の同居人で情報学を学んでいます。

トリュフ犬

アガータが飼う犬で、名前は違いますが、アガータがそう呼ぶので「トリュフ犬」と呼ばれるようになりました。

トリュフ犬はいろいろな物を掘り出してきます。

ウルスラ

ドイツ語と文学の元教師で、多くの人が訪れてきます。

寺田

物理学の研究者で野宮の知り合いです。

「貝の晩餐会」に招かれますが、この人は寺田寅彦という設定になっています。



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