第160回直木賞
に輝いた、真藤順丈さんの「宝島」をやっと読み終わりました。
541ページもの大作です。
これは戦後の20年間の沖縄のたどった物語です。
作者の真藤順丈さんは7年もの月日をかけて、小説「宝島」を完成させたのだそうです。
真藤順丈さんは、直木賞受賞の時にこう言われました。
「沖縄に目を向けていただいて、われわれ日本人が沖縄の問題を考える一助になれば。多くの人に読んでいただけるとありがたい。」
それでは、第160回直木賞受賞作品「宝島」についてお伝えしていきます。
これから読まれる方で、ネタバレを知りたくない方は、目次の「ネタバレ」のところを飛ばして読んでくださいね。
作者の真藤順丈さんについては、こちらの記事をご覧ください。
「宝島」のあらすじ
「宝島」は第二次世界大戦中に生まれた子どもが少年少女になる1952年から本土返還の1972年までの20年間に渡る、沖縄を舞台にした若者達の物語です。
中心人物は戦果アギャーのリーダー格であるオンちゃんとその弟レイ、親友のグスク、恋人のヤマコ。
戦果アギャーとは、米軍基地に忍び込み、物資を略奪する者達のことを言います。
早く言えば泥棒ですが、当時そうしなければ沖縄の人々は生きていくことができなかったのです。
また、それは4人に1人が命を落とした地上戦を繰り広げたアメリカ軍への復讐の意味も持っていました。
オンちゃんは奪った食料品や生活必需品をなどを住民に分け与え、手に入れたもので小学校まで建てるほどの手柄を立て、住民からは英雄視されていました。
しかし、ある夜、嘉手納基地に忍び込んだ彼らは米軍に狙撃され、仲間の何人かは命を落としたり投獄されたりします。
そして彼らのリーダー、オンちゃんが行方不明になるのです。
「あのオンちゃんが死ぬはずはない。」とグスク、レイ、ヤマコは必死にオンちゃんを探し続けます。
今まで一緒だった3人は警官、テロリスト、教師と別々の道を歩くことになり、それでもオンちゃんを求め続けるのです。
3人のそれからの物語の中で、宮森小学校米軍機墜落事故や米兵による女子への暴行や殺害、コザ暴動など、沖縄の悲惨な史実も語られていきます。
果たしてオンちゃんの行方は?
オンちゃんは生きていたのか?
オンちゃんの「予定にない戦果」とは?
ネタバレ
オンちゃんは生きていたのか?
嘉手納基地に忍び込んだ夜、オンちゃんは米兵の手にかけられ、命を落としたのでしょうか?
それともそこから逃げたのでしょうか?
もしも、逃げ延びたのなら、自分たちに連絡をしないはずはないとグスクとレイとヤマコは思います。
実は、オンちゃんは嘉手納基地から出て、生き延びていました。
しかし、それを3人に伝えることのできない深い事情があったのです。
「予定にない戦果」とは?
レイが入れられている刑務所にグスクも入って来ます。
グスクは、オンちゃんのことを知っているという謝花ジョーがこの刑務所にいると聞きつけ、彼を探し出してオンちゃんのことを聞き出すために自主してきたのでした。
やっとのことでジョーを探し出すことができますが、ジョーは瀕死の状態。
オンちゃんが基地を脱出したことは確認できましたが、その後どうなったのかは聞くことができませんでした。
しかし、オンちゃんは「予定にない戦果」を持ち帰ったとジョーは語り、その後息を引き取ってしまうのです。
「予定にない戦果」とは一体何なのでしょうか?
それは物語の最後に分かるのですが、混血の孤児、ウタという少年がキーマンになります。
ウタは言葉を知らない少年でした。
教師をしているヤマコと出会い、絵本の読み聞かせを通して言葉を育ててもらいます。
ウタは、米兵と沖縄(ウチナー)の女性との間に生まれた子供でした。
米兵は戦争が終わり、必ず戻ってくると約束して帰国したのに、二度と彼女の元に現れることはなかったのです。
信じて待っていた彼女はその現実を知り、臨月の体で金網を超え、嘉手納基地に入り込み、そこで我が子を産み落としたのでした。
そして力尽きた彼女はそこで命を落とします。
17歳でした。
それが、オンちゃん達が戦果アギャーとして基地に忍び込んだ夜だったのです。
基地で逃げ回る時にかすかに聞こえた鳴き声のようなもの。
それは赤ん坊が生まれた時の声でした。
オンちゃんは逃げる途中でその赤ん坊を見つけ、へその緒を切って、抱きかかえて基地の外に出ます。
そしてオンちゃんは銃弾に傷つきながら、ウタを抱えて海を渡り、洞窟(ガマ)で人目を忍んでウタを育てたのでした。
そのウタが不思議にヤマコと出会い、グスクやレイとも出会い、復讐のための戦果アギャーについてきて、そして・・・無数の銃弾に倒れます。
3人はウタが死んだ後に、ウタが行っていた洞窟(ガマ)に行きます。
そこで、今まで解明できなかったいろいろなことが結び合わされ、そしてこの真実を知るのです。
「予定にない戦果」とは、ウタ、つまり物ではなく、命だったのですね。
評価は?
それでは「宝島」の評価についてお伝えします。
まず、直木賞選考委員を務めた林真理子さんは「平成最後の直木賞にふさわしい素晴らしい作品」と絶賛し、「突き抜けた明るさがある。」、「圧倒的な熱量と迫力とを持って読者に迫ってくる。」と評価しました。
また多くの書評家から、「小説における語りのスタイルの最高到達点」「沖縄を舞台にしたエンタテインメント小説の到達点ともいうべき一冊」「圧倒的な傑作」などと非常に高い評価を受けました。
有名な小説家の方達も以下のように評価しています。
「異常な熱量を持った叙事詩が生み出されたようだ。」京極夏彦氏
「小説を書くというのはこういうことなんだ。」夢枕獏氏
「小説の本質ともいうべき『語り』への配慮と工夫」奥泉光氏
感想もチェック!
戦後の沖縄の置かれた状況、沖縄人(ウチナンチュ)の苦しみと痛みを日本人(ヤマトンチュ)である真藤順丈さんが7年の月日をかけて、沖縄人の側から書いた作品。
日本人の私は、この小説を通して、沖縄の現実を少しだけ知り、沖縄に近づけた気がします。
宮森小学校米軍機墜落事故の描写はあまりにも酷く、自分がその場所にいるかのように、涙が止まりませんでした。
また沖縄の本土返還は、本土ではとても嬉しいニュースとして伝えられていましたが、その実際は沖縄人の願いを踏み潰すものだったことを、この小説によって知りました。
史実として知り、頭で理解するだけではだめで、実際に経験した人から話を聞き、そして想像しなければ、その人達の気持ちに近づくことはできないのですね。
それでも、どんなに苦しくとも、沖縄には絶望ではなく希望がある、そのことを「宝島」は教えてくれています。
現地語の明るい語りによって物語が進んでいきますが、そこには作者真藤さんの登場人物への温かい眼差しと愛を感じました。
それでは「宝島」を読んだ方々の感想をいくつか紹介します。
・この本は、自分が想像していた重苦しいだけのものではなく、沖縄人のたくましさや独自の文化に触れることのできるものだった。
・ほんの50年ほど前の沖縄について、何も分かっていなかったのだと思い知らされた。
・作者は沖縄の人かと思ったら、東京の人だった。それでここまで書くのには大変な準備をされたのでしょう。
・沖縄の人の感想を聞いてみたい。
・沖縄がこんなだったなんて知らなかった・・・。でも希望や愛があった。
・戦後70年経っても沖縄に基地がある現実を改めて考えさせられた。
・裏切られ続けたのに、生きる喜びを歌う沖縄の人々の懐の深さに感動した。
最後に
沖縄には「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉がありますね。
命こそ宝。
オンちゃんの予定にない戦果は命でした。
自分たちを酷い目に遭わせた米兵と沖縄人の間に生まれた子、その子を自分の命と引き換えに守ったオンちゃん。
ここに沖縄の心の広さが表されているのではないでしょうか。
最後に本文の一部を紹介して終わりたいと思います。
アメリカーが、日本人(ヤマトンチュ)が、この島でどんなに愚かなことをしてきたか、ふたつの国が奪っていった故郷(シマ)の宝がなんなのかを叫んだ。
ここから返還の日までは、新しい時代を迎えるまでは、どれだけの人を愛せるかの勝負だ。
この世を存続させてきた愛(ジョーエー)の正体を知るものがいるとしたら、それはおれたちだ。