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じんかん(今村翔吾)のあらすじとネタバレ!結末は?登場人物も紹介!

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第163回直木賞候補作、今村翔吾さんの「じんかん」を読みました。

とにかくすごい本でした!

直木賞候補作が発表されて、「じんかん」について紹介してあるものを読み、「これは絶対に読まねば!」と思い、購入しました。

手に取った瞬間は本の厚さにたじろぎましたが、読み始めるとその世界に入ってしまい、どんどん先に進みました。

私は時代小説などには興味がなく、歴史も苦手なのですが、そんなこととは関係なく、「じんかん」の主人公、松永久秀に感情移入をし、そして情景が目の前に浮かんできました。

読みながら何度も涙し、読んでいない時も思い出しては涙し、自分もその世界にいるような、そんな3日間を過ごしました。

著者、今村翔吾さんが描いた松永久秀からは、今村翔吾さんご自身の人を想う気持ちや生き方が伝わってきて、本当に素晴らしい作品でした。

その深さと重厚さは今までに読んだ本が薄っぺらに思えるほど。

今回は、そんな「じんかん」のあらすじとネタバレ、結末、登場人物についてお伝えします。

少し長くなりますので、読みたいところから読んでくださいね。

また、同じく今村翔吾さんの「塞王の楯」は2022年1月、みごとに166回直木賞を受賞しました。

塞王の楯」についてはこちらをお読みください。

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「じんかん」のあらすじ

まず、「じんかん」のあらすじについてお伝えします。

「じんかん」は「天下の悪人」と言われた松永久秀の生涯を描いたものです。

天正(1577)年、小姓、狩野又九郎は主君、織田信長のもとへ松永久秀が2度目の謀叛を企てたことを知らせに走ります。

この物語は、織田信長が狩野又九郎に向けて、本人から直接聞いたという松永久秀の生涯を語っていくという形をとっています。

「じんかん」は以下の7章から構成されています。

第1章 松籟の孤児

第2章 交錯する町

第3章 流浪の聲

第4章 修羅の城塞

第5章 夢追い人

第6章 血の碑

第7章 人間へ告ぐ

それでは各章のあらすじを見ていきましょう。

第1章 松籟の孤児

この章には、松永久秀の壮絶な少年時代が描かれています。

九兵衛(後の松永久秀)と弟、甚助は、追い剥ぎをしている少年、多聞丸達と出会います。

九兵衛達の父親は、食糧を搾取しに来た足軽に殺され、その後、母親は「自分が死んだら自分の肉を食べるように」と言い残して自害しました。

そして、九兵衛と甚助は多聞丸達とともに行動するようになります。

ある日、多聞丸は「強い者が弱い者を食い物にする。俺はそんな世に反吐がでる」と言い、「いつか自分の国を持つ」という夢を九兵衛や仲間達に打ち明けます。

そして、仲間で唯一の女子、日夏の提案で、松永という姓を名乗ることに決めたのでした。

しかし、多聞丸や仲間達は、追い剥ぎに向かった先で命を奪われ、九兵衛と甚助、日夏の3人が残ります。

多聞丸は自分の刀を九兵衛に託して死んでいきました。

第2章 交錯する町

九兵衛達3人は、本山寺の宗慶和尚に救われ、本山寺で穏やかな日々を過ごすことになりました。

宗慶は実は、阿波の三好元長の計画を支援していました。

三好元長は武士を滅ぼし、民による政治を目指していたのです。

九兵衛はそれを知り、三好元長に会うために本山寺を出て堺を目指します。

境では武野新五郎の世話になることになりました。

新五郎は九兵衛兄弟をとても大切にしてくれて、九兵衛に自分の趣味である茶の湯を教えます。

そして、九兵衛が堺に来て1年以上が経ったある日、遂に会いたいと焦がれていた三好元長が訪れます。

第3章 流浪の聲

三好元長は、堺を押さえている大名達を倒して、堺は民の自治に任せ、三好家は町衆に雇われて堺を守るという驚くべき構想を九兵衛達に話して聞かせます。

そしてその後に京を押さえると。

元長は、血で血を洗う抗争を繰り返す武士を滅ぼし、民が政を行う世にして、自分は主殺しの汚名を着てこの世から消えてもいいと語りました。

元長がそこまで覚悟しているのは、自分の子供のためでした。

元長は、生まれたばかりの我が子を見て「いつかこの子も修羅の螺旋を駆け上がるのか。」と思った時、涙が止まらなかったのでした。

子には迷いを捨てて争う修羅の国より、迷いながらも進む人間の道を生きて欲しいと思った。

九兵衛は、我が子のために、命を賭けて世の中を変えようとしている元長に付いていく決心をします。

そして九兵衛は松永九兵衛久秀、弟、甚助は松永甚助長頼と名乗ることになります。

二人は堺を出て、大和の柳生家厳のところへ行き、そこにいた瓦林総次郎も仲間に加わり、3人で兵を集めるために出発します。

間もなく、九兵衛は500の足軽を従えて堺に戻って行きました。

九兵衛達を家族のように扱ってくれた武野新五郎は、「三好家と朝廷を繋ぐ架け橋となる」と言って、堺を出て行きました。

その時に、新五郎は、後に名器と言われる茶釜の「平蜘蛛」を九兵衛に譲ります。

第4章 修羅の城塞

大永6年、三好元長は阿波で挙兵を宣言。

将軍の弟、足利義維と主筋、細川晴元を擁し、7千の兵を率いて堺に上陸しました。

これに脅威を感じた細川高国は有力大名を京に結集させ、三好軍と高国軍の戦いが始まりました。

軍議の末席に加わる久秀(九兵衛)のことを、諸将は軽蔑の目で見ていましたが、毅然とし、また知恵に溢れた久秀の存在感は増していきました。

激戦の末、翌2月に三好軍が洛中を制圧し、室町幕府は崩壊しました。

戦を終えて堺に戻る道中、九兵衛は日夏のいる本山寺に立ち寄りますが、そこで日夏が嫁いだことを知ります。

九兵衛は嫉妬よりも安堵を感じて、本山寺を後にしました。

宗慶が預かっていた日夏からの手紙には「いつか、多聞丸の夢を叶えて」と書いてありました。

さて、一度は負けて退散した細川高国は、元長の3倍の兵を率いて攻めてきました。

しかし元長は、知恵と、最後は自分が犠牲になるという覚悟で、高国軍に勝利しました。

尼崎に身を隠した高国はなかなか見つかりませんでしたが、子供に見つけさせるという九兵衛の知恵で、高国を探し出します。

高国は死ぬ直前に「民は支配されることを望んでいる」、「日々の暮らしが楽になるのを望んではいる。しかし、そのために自らが動くのを極めて厭う。」

それは、九兵衛が今まで考えたこともないことでした。

享禄5年、一向一揆が勃発します。

一揆勢の中には、今まで共にがんばってきた堺の民もいました。

今まで自分たちを守ってくれた元長に向かってきているのです。

元長は死を覚悟し、九兵衛に自分の子供達に仕えるように頼みました。

元長は家族や堺の町を守るために、一揆勢に自分の居場所を知らせ、妻や子供達が逃げたことを確かめると、自ら腹を切りました。

第5章 夢追い人

元長が死んだ後、久秀(九兵衛)は三好家の末席に加わり、阿波で過ごしました。

久秀は元長の子供達に書や茶の湯を教え、関係を築いていきました。

茶の湯は公家との交渉などにも役に立ち、三好家での久秀の地位を押し上げるのに貢献しました。

久秀は三好家の家宰となり、朝廷から弾正忠の官職を与えられます。

久秀は大和に城を築き、多聞山城と名付けました。

そして、民に城内を見学させるという前代未聞のことをやります。

久秀は町で出会った孤児達を助け、民に城内の米を配りました。

三好家は元長亡き後も、久秀の支えがあり、着実に地盤を固め、単独で三好家を倒そうとする者もいなくなりました。

しかし、今度は内輪の中で出世をかけての争いが始まり、商人の子から大名にまで上り詰めた久秀兄弟への引きずり降ろそうとする者も多くいました。

元長の長男、長慶は立て続けに兄弟や長男の義興を失い、悪夢にうなされ、やることが尋常ではなくなりました。

長慶はとうとう、弟である冬康に自害を命じました。

冬康にも疑いの目を向けたのです。

久秀は、「冬康様が心優しく、兄を心から想っておられることをお忘れか・・・」と嘆きます。

久秀は自分も危ないのではないかと感じます。

その矢先、長慶の訃報が届きます。

しかし、久秀と弟の甚助以外、重臣達は誰も駆けつけなかったのです。

久秀は三好家を守るために、長慶を密葬にし、2年間はその死を隠すことにしました。

第6章 血の碑

織田信長は話を聞いている狩野又九郎狩野又九郎に自分が死を覚悟した日のことを語り始めました。

織田家は畿内をほぼ制圧しましたが、その頃から寝返りを打つ者が現れ、混乱を極めました。

そのさなかに、久秀は大声で皆に呼びかけます。

各々方に大切な人はおられるか。主君でなくともよい。妻や子、母、父、兄弟、姉妹、友と呼べる者、恋する者・・・。

突然のことに皆が一瞬手を止めると、久秀は続けて言いました。

その中で病や戦で死んだ者もいるだろう。それは神の罰か。皆様の大切な方は、それほどの悪事をなさったのか

皆は久秀の言葉に冷静さを取り戻しました。

信長は、「どのような一生を送れば、あのような考えに至るのか」と、久秀の過去を知りたい思いに駆られ、その夜、久秀の生涯を聞くことになったのでした。

さて、久秀の長男、久通は自分の母は死んだと聞かされていて、それ以上のことは知らされていませんでした。

それで、自分は本当に久秀の子なのかとずっと悩み苦しんできました。

そんな久通は自分が久秀の子だと証明し、その力を見せるために、一部の三好家の重臣と一緒になって将軍を襲撃したのです。

そのことで、三好家と松永家は周りの諸大名達から攻められ、大きな危機を迎えました。

そして、丹波にいる甚助も死に追いやられました。

久秀の元に届いた甚助の手紙の最後は「兄者の名を天下に刻め。」と結ばれていました。

久秀は窮地に立たされますが、本山寺に身を隠し、三好家が次の将軍の庇護の下に入れるように書状書きに専念しました。

その時、以前、甚助が「面白い男がいる。」と言っていたのを思い出し、織田信長にも手紙を書いたのです。

第7章 人間へ告ぐ

久秀から織田信長に送られた書状の冒頭には、こう書かれていました。

貴殿は見えているか。この人間の正体を

そして、「この世に神や仏はいない。いるならば何故、幼子が飢え死にをしたり純朴な者が斬り殺されたりするのを見過ごすのか。」というような内容が続いていました。

これを読んだ信長は、自分と同じことを考えていた人間がいると喜びました。

それから2年後の永禄11年、織田信長は足利義昭を擁立して上洛しました。

上洛した織田信長に、久秀は改めて従属の意思を示します。

条件は、ただ三好家の安泰だけでした。

久秀は主君殺しやその他諸々の疑い、悪評を全く否定せず、ひたすらに三好家を守るために、主君とともに織田家へ降りました。

その後、元亀3年、久秀は突然、織田家に反旗を翻すことになるのですが、それも言われているような単純なことではなく、三好家を守ろうとする深いいきさつがあったのです。



「じんかん」のネタバレ

それでは、「じんかん」のネタバレについて触れていきましょう。

「じんかん」とはこの世のこと

この本のタイトルになった「じんかん」という言葉を、著者、今村翔吾さんは九兵衛達を救った本山寺の宗慶和尚に言わせています。

宗慶と九兵衛の会話の中で、宗慶から「お主は、何を知りたい」と聞かれ、九兵衛は「人は何故生まれ、何故死ぬのかを」と答えます。

続けて「三好様の夢が叶えば、死は有り触れたものではなくなるはずです。その先に人は何たるかの答えがあるのではないか。そう思うのです。」と言います。

その会話の先で、宗慶が「人間(じんかん)の何たるかを知る・・・か」と言うのです。

それに対して、今村翔吾さんがこう解説を入れています。

人間。同じ字でも「にんげん」と読めば一個の人を指す。今、宗慶が言った「じんかん」とは人と人が織りなす間。つまりはこの世という意である。

生きることと死ぬことの意味

幼少の頃から大切な人を突然失い、壮絶な人生を歩んだ九兵衛は絶えず生きることと死ぬことの意味を追い求めていました。

何故、安穏とした暮らしだけを望んだ父や母は死なねばならなかったのでしょうか

多聞丸という男がいました。我らのような戦で父母を失った子を集め、共に生きようとしていた・・・それが何故、死なねばならなかったのでしょうか

ただ・・・父は、母は・・・多聞丸たちが生きたということは・・・私が死ねば消えてなくなるのでしょうか

皆は確かにこの世にいた。俺は今ここに生きている・・・その証が欲しいのです

下は、若い義興(元長の孫)が病に命を奪われようとしている時に、普段は信じないと言っている神に向かって叫ぶ場面です。

「なぜ若なのだ。順を守らぬか。神がいるのならば俺を代わりに殺せ!俺の命を持って行け!」止めどなく流れる涙もそのままに、九兵衛は狂人のように吼え続けた。

九兵衛の気持ちが痛い程伝わり、涙が出てきます。

民主主義の実現を目指す

「なぜ、真面目に生きる純朴な民が死ななければいけないのか」という疑問を抱える九兵衛は、武士を滅ぼして民による政治を実現しようとする三好元長と出会い、その意思を継ぐことになります。

以下は元長の言葉です。

哀しみを力に変えるのだ。その力は武家を凌駕する。天下をひっくり返すその日まで走り続ける

著者の今村翔吾さんは多才な方で、ダンサーやミュージシャンとしても活躍しておられます。

でも、ただご自身が活躍するだけでなく、家庭や学校で悩み苦しむ子供達を助けるために、その力を注いでおられるのです。

また地方の創生のためにも。

今村翔吾さんは福岡市にある立花高校でもダンスの講師をされましたが、ここの生徒の多くは小中学校時代に不登校だった子供達です。

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そんな今村翔吾さんの生き方が九兵衛(松永久秀)と重なります。

人間の本性を見る

民のためにと、必死で奔走してきた九兵衛ですが、大悪人だと思っていた細川高国との出会いで、人間というものの本性を考えることになります。

高国はこう言います。

日々の暮らしが楽になるのを望んではいる。しかし、そのために自らが動くのを極めて厭う。それが民というものだ。

次の言葉に、私もドキッとさせられました。

民は自らが生きる五十年のことしか考えていない。その後も脈々と人の営みが続くことなどどうでも良いというのが本音よ

九兵衛は高国によって、善悪も、立場が違えば変わるものだということを気づかされました。

茶の湯との出会い

九兵衛は堺の武野新五郎を通して茶の湯と出会い、そのことがその後の九兵衛を助けます。

三好家の子供達に茶の湯を教えることで関係を作り、茶の湯ができることで、九兵衛は公家などとの渉外役も任されるようになります。

九兵衛は新五郎から「平蜘蛛」という茶釜を譲り受けますが、茶の湯(茶道)が文化として浸透していくにつれ、平蜘蛛は城が1つ建つと言われる程、高価な物となっていきました。

そして、平蜘蛛を持っていることが、松永久秀であることの証にもなりました。

九兵衛は、病で食べ物が喉を通らない義興のために、この平蜘蛛に茶粥を入れて食べさせたのです。

驚きながらも「美味い」と言って食べる義興はこう言います。

(前略)肝心なのはもてなす相手のことを想うことではないか。この茶粥にはお主との愉しい思い出が詰まっておる

この平蜘蛛が、久秀が抱きかかえて爆死したという言い伝えになったものです。

日夏の働き

互いに想い合っていた九兵衛と日夏。

日夏とは本山寺で別れ、その後、日夏は19歳にして薬屋に嫁ぎます。

九兵衛は日夏の婚姻を祝福し、嫁ぎ先を知ろうともしませんでした。

この日夏が最後に大きな働きをするのです。

東大寺の大仏殿以外を焼き、敵陣と激しい争いを繰り返していた久秀。

敵陣は大仏殿に布陣し、さすがに大仏殿を焼くことはできないという危機的状況になり、久秀は自分の首を条件に和議を結ぼうとします。

そういう時に、奈良の民が一人、胸を矢で射貫かれながら敵の動向を伝えに来ます。

その民は事態を伝え、久秀に伝言を頼むと息絶えました。

後で分かるのですが、実はこれが日夏だったのです。

もう、この場面は何度読んでも涙が止まらないところですね・・・。

そして、久秀のもとへ敵の動きを知らせに走ったのは、日夏だけではなく37人いたということが分かります。

最後までたどり着いたのが日夏一人だったのです。

敵陣は見せしめのために、この37人の九族まで捕らえているということ。

このことを知った久秀は、筒井家を止め、奈良の37人の家族を救って欲しいと、再三信長に書状を送ります。

しかし、信長が一向にこれに答えないので、久秀は信長に対して謀叛を起こしました。

全てはこの37人の家族を守るためだったのです。

史実の全てに背景がある

「じんかん」は松永久秀の生涯については創作で書かれていますが、史実に忠実に書かれています。

しかし、その史実一つひとつには私達が今まで知らなかった背景があるのだということを、当然のことですが、この本は教えてくれます。

史実と言うほど大げさでなくても、人がやったことの裏には必ず起こった現象やその人の歴史、生き方があるのです。

そのことも、著者、今村翔吾さんが伝えたかったことではないでしょうか。



「じんかん」の結末は?

さて、いよいよ「じんかん」の結末です。

久秀は奈良の民37人とその家族を救うために信長に反旗を翻し、ほぼ勝ち目のない戦を続けていました。

そしてやっとのことで、東大寺が信長の言葉を聞き入れ、37人の家族は解放されることになりました。

信長は久秀を殺すなと命じます。

それを伝えた又九郎を前に、久秀は「それは遠慮しておこうか」と言います。

そして「元々これが最後のつもりだった」と。

久秀は、せめて死の時だけは自分で決めたいと「二日後、俺は死ぬ」と告げます。

久秀は各陣を回り、逃れたい者は逃れるように告げます。

7千の兵は久秀の予想に反して、殆どが残留しますが、2百人程が逃げ帰ることになりました。

久秀は、彼ら一人ひとりにねぎらいの言葉をかけ、彼らの命を守るために、敵陣に内通し、三の丸を焼くようにと言ったのです。

そして、臣下に命じて信貴山城にに火をつけ、この世と別れます。

天正5年10月10日。

東大寺が燃えてからちょうど10年目。

それは日夏が死んでから10年目の日でもありました。

久秀は空を見上げて呼びかけます。

「日夏、よい空だ」

たった一人のために命を燃やすとは、何と清々しいことか。ただそれまでに漫然と生きていては味わえぬ。一生の中で多くの出逢いと別れを繰り返したからこそ、尊いと思えるのだろう。

「なるほど、そういうことか」

ふと人の一生が妙に腑に落ちた。

結末の、この感動的な情景は、ぜひ自分で味わっていただきたいです。

「じんかん」の登場人物について

最後に、「じんかん」の主な登場人物について整理しておきます。

九兵衛

主人公、松永久秀の幼少の頃の名前です。

山城国西岡の商家に生まれます。

甚助

九兵衛の弟。後の松永長頼。

多聞丸

親をなくした子供達を集めて追い剥ぎをする集団のリーダーです。

「じんかん」の中では、久秀の建てた多聞山城の名前の由来となります。

日夏

多聞丸の仲間で唯一の女の子でした。

九兵衛兄弟とともに本山寺で暮らすことになります。

宗慶

本山寺の住職で九兵衛達を助け、面倒を見ます。

三好元長

阿波国の三好家の家長。

武士を滅ぼし民が治める世を作ろうと動きます。

武野新五郎

堺の皮商人。後の武野紹鴎です。

堺に来た九兵衛兄弟を住まわせ、九兵衛に茶の湯を教えます。

瓦林総次郎秀重

摂津国瓦林家の次男。

兵法に長けていて、最後まで久秀を支えます。

松永久通

久秀の長男。

父を誇りとしながらも、自分は本当の子供なのか疑問を持っていました。

細川高国

細川政元の養子で、同じく養子であった澄元を拝し勢力を伸ばします。

三好長慶

元長の長男です。

三好義興

長慶の長男。

幼い頃から九兵衛を慕って育ちました。



まとめ

今回は、今村翔吾さんの「じんかん」のあらすじとネタバレ、結末、登場人物についてお伝えしました。

いかがだったでしょうか?

皆さん、この機会に「じんかん」をどうぞお読みください。

おすすめです。

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