今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」が第161回芥川賞を受賞しました。
今村夏子さんはファンが多く、今村さんが芥川賞を受賞されたことを皆さん、とても喜んでおられます。
2歳の娘さんがいらっしゃる今村夏子さん。
受賞のインタビューで「娘さんにはどういう報告を?」と聞かれ、「娘には報告しません。あまり読んでもらいたいと思わないから。」と言われてました。
私は受賞が決まってからこの「むらさきのスカートの女」を読みましたが、「なるほどー。」という感じですね(笑)
それでは今回は第161回芥川賞に輝いた「むらさきのスカートの女」のあらすじと結末、感想、考察についてお伝えします。
(注意)まだ読んでおられない方は、結末のところは飛ばしてくださいね。
作者、今村夏子さんについてはこちらをご覧ください。
「むらさきのスカートの女」のあらすじ
まず、「むらさきのスカートの女」のあらすじを見ていきましょう。
この本の語り手「わたし」は近所に住むむらさきのスカートの女に興味津々です。
むらさきのスカートの女はいつもむらさき色のスカートを履いて商店街にあらわれるので、周囲からそう呼ばれています。
「わたし」はいつも黄色いカーディガンを着ています。
でも、あまり注目されることはなく、周りも「わたし」のことを「黄色いカーディガンの女」とは呼びません。
「わたし」は常にむらさきのスカートの女を観察しています。
いつ商店街に現れるか、いつパン屋でクリームパンを買ったか、いつ公園に来て専用シートに座ったか。
はたまた何月から何月まで働いて何月からは無職かとか。
「わたし」のむらさきのスカートの女への執着心は常軌を逸しています。
「わたし」はむらさきのスカートの女と友達になりたくて、ありとあらゆることを試みますが、ことごとく失敗します。
しかし、公園の彼女専用シートに毎日のように求人情報誌を置き、むらさきのスカートの女を自分と同じ職場に就職させることに成功します。
それからむらさきのスカートの女は生き生きと仕事をするようになり、身なりも整え、変貌していきます。
最初、先輩達に受け入れられ、好感を持たれていたむらさきのスカートの女は所長と不倫関係に陥り、同僚達は彼女の悪口を言い始めます。
そんな時、小学校のバザーで、職場の備品が売られていて、むらさきのスカートの女に疑いがかかります。
「むらさきのスカートの女」の結末は?
次に「むらさきのスカートの女」の結末についてです。
まだ読んでおられない方は、この部分は飛ばして読まれることをおすすめします。
私は「うわあ、こんな結末になるなんて!!」とびっくりしていたら、実はそれは結末ではありませんでした(汗)
バザーでの転売事件で、自分にまで嫌疑が及んだ所長は、むらさきのスカートの女のアパートにやって来ます。
そこで言い争いになり、むらさきのスカートの女が所長を殴ったり蹴ったりしていた弾みに、所長はアパートの廊下から転落し、地面に横たわって動かなくなりました。
むらさきのスカートの女が泣き震え、必死に所長に声をかけているところに「わたし」が現れ、「もう死んでいる。」と言うのです。
「うわあ、何という結末!日常が綴られたお話がまさか殺人事件に発展するなんて。」と私は驚きました。
そこでの「わたし」の言動がまた尋常ではありません。
「わたし」はむらさきのスカートの女にすぐに逃げるように言い、○時○分のバスに乗り、○○行きの電車に乗り換え、○○駅のコインロッカーの手提げ鞄を取り、○○というビジネスホテルに泊まるよう、細かい指示を出すのです。
その後、お金の持ち合わせのない「わたし」はかなり大変な目に遭って、むらさきのスカートの女の後を追います。
そして、やっとのことでたどり着いたビジネスホテルにはむらさきのスカートの女は来ていませんでした。
「わたし」はパニックになります。
その後、場面が変わり、私達読者は、所長は死んでいなかったという事実を知ります。
入院している所長のもとに同僚達とお見舞いに行き、その場で「わたし」は非常識にも、自分の時給を上げてくれと所長に迫ります。
そして、結末はこうです。
「わたし」は休日に商店街に行き、ドラッグストアと酒屋とパン屋を回り、帰り際に公園に立ち寄り、一番奥のむらさきのスカートの女専用シートに腰を下ろします。
まるで、むらさきのスカートの女のように。
そしてむらさきのスカートの女のように、クリームパンを口に入れようとしたその時、子供からポン!と肩を叩かれます。
まるで、むらさきのスカートの女のように。
これが、この本の結末です。
これが結末?
ああ、なるほど。
「わたし」はむらさきのスカートの女のように、「黄色いカーディガンの女」と周りから呼んでもらえる存在感ある人物になれたのでしょうか。
「むらさきのスカートの女」の感想
「むらさきのスカートの女」を読んだ私の感想は、まず、う~ん、不思議な話・・・です。
最初は、いつもむらさき色のスカートを履いていて近所で「むらさきのスカートの女」と呼ばれている女性の動向が詳しく描写されていて、興味深く読んでいましたが、いやいや変なのはむらさきのスカートの女の動向をここまで詳しく観察、記録している「わたし」の方。
「わたし」はむらさきのスカートの女と友達になりたいと思っているが、実は友達というか、むらさきのスカートの女のように周りから注目される存在になりたいのかな?
「わたし」はいつも黄色いカーディガンを着ているが、周りから「黄色いカーディガンの女」とは呼ばれない。
注目されてないから。
「わたし」の狂気じみた執拗な観察や言動は恐ろしい。
一番恐ろしいのは、意識を失って倒れている所長を「死んだ」と言い放ち、置き去りにしていくところ。
最後になって「わたし」の正体が明らかになるが、同じ職場の権藤チーフだった。
へえ、同じ職場だとは分かっていたが、もっと影で黙ってお掃除している人と思っていたら、まさかチーフだったとは。
もう一つ、「わたし」の妄想と注目願望の表れている箇所は、むらさきのスカートの女と所長がデートを終え、商店街に戻ってきたところ。
「わたし」の妄想はどんどん広がり、テレビカメラが二人をアップで捉え、インタビューのマイクまで向けられることに。
でもその画面の隅に自分が映り込み、皆が「黄色いカーディガンの女だ!」と声を上げる。
むらさきのスカートの女を執拗に追い、観察している「わたし」はどこまでも自意識の強い人間だ。
それでは「むらさきのスカートの女」を読んだ他の人達の感想も以下に紹介しておきます。
・最初は主人公と一緒にむらさきのスカートの女を観察していたのだが、気づけば主人公を観察していた。
・芥川賞受賞作品は難しいと思っていたが、これはとても読みやすくておもしろかった。
・短時間で読むことができたが、その後「どういうこと?」と考える時間の方が長くなりそう。
・怖さとユーモアが混じり合う不思議な作品だった。
・むらさきのスカートの女を追跡し、自分の目的に誘導しようとする「わたし」の執着心が不気味で恐ろしい。
・「わたし」はどうしてむらさきのスカートの女と友達になりたかったのだろうか。
「むらさきのスカートの女」についての考察
FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
最後に「むらさきのスカートの女」についての考察を私なりにしましたので、ご紹介します。
今村夏子さん独特の異常な空気感、不穏さが描かれている
作者、今村夏子さんにしか書けないゾクゾクとするような空気と淡々とした中でのユーモアというものが「むらさきのスカートの女」にも漂っています。
しかし、これを読んだ多くの方達が言われているように、前作の「星の子」やその前の「あひる」にはもっと強烈にその雰囲気が流れています。
読みやすい文章で、どんどん引き込まれる
大変読みやすい簡単な文章なので、どんどん読み進めることができます。
そして読み進めているうちにいつの間にか、その不気味さが伝わってきます。
日常を描きながら、異常な世界を感じさせてくれる
商店街、パン屋さん、公園、職場・・・どこにでもある日常を描きながら、異常な世界観を作るという作品です。
異常な世界が、平易で淡々とした文章で綴られる日常の中に潜みます。
読者自身も観察する人になっている
まずは「わたし」の目線で語られるむらさきのスカートの女を観察していた私達読者、そのうちに読者はむらさきのスカートの女を観察する「わたし」を観察し始めます。
「わたし」の異常さを感じながら、それを執拗に観察する私達読者って・・・。
自分の存在を認めて欲しい願望が「わたし」を作り出した??
「わたし」の異常さは結局、自分の存在を認めて欲しい、人に注目されたい願望から来ているように思えます。
ということは、「わたし」の一部が私にもある?
「むらさきのスカートの女」あらすじと結末 まとめ
今回は第161回芥川賞に輝いた今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」のあらすじと結末、感想、考察についてお伝えしました。
いかがでしたか?
本当に読みやすい小説ですので、皆さん、この夏、ぜひ手に取ってみてください。
読者を独特の世界に連れて行ってくれる今村夏子さんの次の作品にも期待がかかりますね。