宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」が第164回芥川賞を受賞しました!
宇佐見りんさんは21歳の女子大生。
芥川賞、歴代3位の若さだそうです。
「推し、燃ゆ」は昨年の終わりに芥川賞候補作が発表されて以来、気になっていた作品ですが、やっと昨日読みました。
読後すぐはよく分からなかったのですが、だんだんとこの小説のすごさを感じてきているところです。
今回は、第164回芥川賞に輝いた宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」を読んだ感想とあらすじ、評価そしてネタバレをお伝えします。
宇佐見りんさんについては、こちらをお読みください。
【追記】
「推し、燃ゆ」は2021年2月現在、47万部を突破しました。
あまりの反響に、PVと宇佐見りんスペシャルインタビューもYouTubeで公開されました。
すごいですね!
「推し、燃ゆ」を読んだ感想
「推し、燃ゆ」の書き出しはストレートで核心を突いています。
推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。
これが、この物語の中心で、その推しを推すあかりが主人公です。
しかし、「推し、燃ゆ」を読み終えた時の最初の感想は正直、「うーん、難しい・・・」
著者の宇佐見りんさんが何を言いたいのか、ちょっと私にはストレートに分からなくて。
でも、読んだ後もずっと心に残り、主人公あかりの言動を思い返します。
では、「推し、燃ゆ」の感想を、いくつかの視点に分けて書いていきたいと思います。
文章表現・描写のリアルさ、繊細さ
まず、21歳の宇佐見りんさんの文章表現に圧倒されました。
周りの風景、一つの動作、家の中の様子、とにかく一つひとつが独特で色や音や匂いがついています。
描写が細かすぎます。
宇佐見りんさんは普通に日常を過ごすとき、一つひとつのことを細かく観察しているのでしょうか?
こんな描写もあります。
日常生活をきちんとこなすことのできないあかりがインスタントラーメンを作ったところです。
コンソメの匂いがする汁に浮いた油のひとつひとつに、蛍光灯が映っている。色の抜けた麺の切れ端が器のふちに貼り付いていた。これが三日経つと汁ごとこびりつき、一週間経つと異臭を発するようになり、景色に混ざるまでに一か月かかる。
全てがこんな調子なんですけど、芥川賞の受賞会見の時の、あの可愛らしい宇佐見りんさんから、こんな表現が生まれるなんて、どうにもイメージできません。
高校で、なかなかうまくいかないあかりを書くときにはこんな文章が。
寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きてるだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が途切れる。
もう、びっくりです。
著者と主人公の共通点と相違点
主人公あかりは、推しを推すことが生きる力であり、それが背骨だと書いてあります。
宇佐見りんさんも、8年間くらい推している芸能人(舞台俳優?)がいたそうです。
それで、推しを推すあかりの気持ちをこんなにリアルに描くことができたのだと思います。
また宇佐見りんさん自身もSNSが日常生活に同化している若者だからこそ、ツイッターやインスタやブログを使いこなすあかりを描写できていると思います。
でも宇佐見りんさんは今、大学生で小説家というすごく優秀な人ですから、子供の頃から勉強ができない、整理整頓ができずに日常生活もままならないあかりとは違います。
どうして発達障害があると思われ、2つの診断名をつけられた子を主人公にしようと考えたのでしょうか?
そしてどうやって、自分がつくったあかりのことを想像したのでしょうか?
また、あかりにとっては推しを推すことが「背骨」ですけど、宇佐見りんさんは、「小説を書くことが背骨」と言われていました。
著者の宇佐見りんさんにとって、あかりはどのような存在なのか聞いてみたいです。
主人公が理解できない
私はあかりのことがよく理解できません。
あかりは小学生の頃から、漢字もかけ算の九九も覚えられない、いわゆる「勉強のできない子」です。
また整理整頓ができず、上手にすっきりと暮らすことができません。
一度に複数の情報が入ると処理できずにパニックになってしまいます。
そんなあかりなのに、推しに関する資料は年代別に整理することができ、ブログまで運営しています。
ブログの文章も上手です。
もちろん、パソコンはひらがなを勝手に漢字に変換してくれますが、どの漢字が正しいのかは自分で選ばないといけないし、文章は自分で書かないといけません。
なぜ、基礎的な勉強もなかなかできないあかりがそんなことができるのか。
あかりは、もしかしたら「勉強のできない子」ではなく、関心の向かないことに対しては力を発揮しないだけなのかも。
また、漢数字で、「一」「二」「三」はいいけど、次はなぜ「四」なのか、「四」は画数が5なのに。逆に「五」は画数が4。
こんなことにこだわり、つまづきます。
でも、誰にでもこだわりはありますよね。
生きるために、そのこだわりを何となく流し世に同調できる人もあれば、あかりのようにスルーできなくて先に進めない人もいる、そういうことなのでしょうか。
主人公に共感するところ
あかりが分からないと言いながら、とても共感できるところもあります。
一つは定食屋でバイトをしながら、客の注文や要求、「こぼしたからおしぼりを」と言う声、一度にたくさんしなければいけないことが出てきて、どれも今すぐしないといけないけど、一体どれを最優先にすればいいのかと心はあせるが、動きは止まりそう・・・そんなあかりの姿は自分とも重なります。
もう一つは、突然、自分には耐えられないような状況に襲われた時、無意識に自分を守るために、自分の周りに薄いベールが貼られ、その事実が入ってこないようにする。
推しが芸能界を引退するーいきなりその事実を突きつけられた時のあかりの状態。
昨晩から今日にかけて与えられた情報には、何ひとつ実感がなかった。いまも自分の外側だけでしか受け止められていなかった。推しがいなくなる衝撃を受け取り損ねている。
ここを読んだ時、「ああ、そうだった。私もそうだった。」と、その時の自分を思い出しました。
あかりのことが理解できないと言いながらも、世代も違う、推しなんていない、そんな自分の中にも「あかり」が存在するのでしょうか。
「推し、燃ゆ」のあらすじ
改めて「推し、燃ゆ」のあらすじを紹介します。
主人公のあかりは高校生。
あかりは学校生でも家庭でも自分を理解してもらえず、苦しい生活を送っています。
そんなあかりの唯一の生きがいは、推しを推すこと。
彼女の推しはアイドルグループ「まざま座」のメンバー、上野真幸。
あかりは推しである上野真幸を追いかけ、画像を年代別に整理し、推しのイメージカラーのブルーで部屋を覆い、推しに関するブログもしています。
それは、この本の装丁にも表れています。
カバーは女子高生っぽいピンクなのに、中は鮮やかなブルー。
推しを推すことは彼女の「背骨」であり、それがなくては生きていけないと思っていました。
しかし、ある時、推しがファンを殴り炎上。
ネットには推しを中傷するたくさんの書き込みが。
そんな中で、あかりは変わらずに推しを推し続け、推しを支えようとするのですが・・・。
「推し、燃ゆ」の評価もチェック!
「推し、燃ゆ」はどのように評価されたのでしょうか?
芥川賞選考委員の評価は「自意識を描く言葉が鮮やかで、かなり吟味されている」ということでした。
選考委員のお一人、島田雅彦さんは「推し、燃ゆ」を「文学的偏差値の高い作品」と評価し、以下のように語られています。
こう書けばプロの関心をそそるのではないか。かゆいところに手が届く、またあえてかゆいところをかゆいまま放っておく。そのセンスがいい
引用元https://news.yahoo.co.jp/articles/00b7fda4126be40c05e10a71e8a8d5a3aea2cd43
また、書評家の倉本さおりさんは以下のように評価されています。
ものすごいスピードで生きていかなければいけない現代人の悲鳴みたいなものが聞こえてくる気がしました。冒頭〈「(学校に)来ててえらい」〉という友人の言葉を〈「生きててえらい」〉と聞き違える場面は静かな凄みがあります。特殊な文体を採用していた前作『かか』と異なり、文章そのものは普段小説を読まない人にも非常に読みやすい部類なのですが、描かれている情景の密度はみっちりと濃い。はっとさせられるような表現も頻出するのでぜひ実際に読んでもらいたいです
引用元https://news.yahoo.co.jp/articles/97bf70a12e24f2729cd2a8ef2d4b54676ae8244e
小説「推し、燃ゆ」を、推しを推す女子高生の物語と捉えると、この小説の真髄を見失うということだろうと思います。
「推し、燃ゆ」のネタバレは?
最後に、「推し、燃ゆ」のネタバレについて触れておきます。
推しを推すことが唯一の生き甲斐、「背骨」であった高校生あかり。
しかし、推しが突然引退することになった、この小説の終わりの部分。
あかりは・・・死を選びませんでした。
自分を壊そうと叩き付けるものを探します。
あかりが選んだのは綿棒のケース。
近くにあった出しっぱなしのコップでも汁が入ったままのどんぶりでもリモコンでもなく。
片付けが簡単な綿棒を選びました。
そして、それを拾いながら、こうやって這いつくばって生きようと思うのです。
あかりはこれからどういうふうに生きていくのでしょうか?
そのことがとても気になります。