石牟礼道子の経歴と作品について!苦海浄土や皇后との交流も紹介!

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2月10日に作家、石牟礼道子(いしむれ みちこ)さんが亡くなられたというニュースが入ってきました。

水俣病患者家族の方が、テレビのインタビューで「これから誰を頼ったらいいのか。」と言われていたのが印象的でした。

石牟礼道子さんはずっと水俣病患者と家族に寄り添い、文学によってその苦しみ、そしてその方たちの人間としての尊厳を訴え続けて来られた方です。

私は訃報に接し、熊本人として、この石牟礼道子さんのことをお伝えしたいと思い、石牟礼さんの経歴や代表作「苦海浄土」について、そして美智子皇后との交流についてまとめました。

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石牟礼道子の経歴と作品について

石牟礼道子さんは、1927年3月11日、熊本県宮野河内村(現在の天草市)に生まれ、まもなく今の水俣市に移り住みます。

旧姓は吉田道子さんと言われます。

水俣実務学校を卒業後、代用教員をされていましたが、1946年に中学校の教員をされていた石牟礼弘さんと結婚

翌年の1947年、長男の道生(みちお)さんが誕生します。

主婦をされていましたが、1958年に谷川雁の「サークル村」に参加し執筆活動を始めます。

谷川雁は熊本県水俣市出身の詩人であり、教育運動家です。

1968年に「水俣病対策市民会議」の設立に参加し、水俣病患者さん達と連帯していきます。

そして翌年の1969年に代表作「苦海浄土ーわが水俣病」を発表します。

この作品で、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられますが、石牟礼さんは「今なお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と受賞を辞退します。

その後、1973年にマグサイサイ賞を受賞します。

これはフィリピンのラモン・マグサイサイ大統領を記念して創設された賞で、「アジアのノーベル賞」と言われる賞です。

1992年に発表した「十六夜橋」では、翌年、紫式部文学賞を受賞します。

2002年、「はにかみの国 – 石牟礼道子全詩集」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

その年には、海の再生を祈る能「不知火」を創作し、東京の国立能楽堂で上演されます。翌年は熊本で、そして翌々年には水俣で上演されます。

その頃、石牟礼さんはパーキンソン病を患うのですが、それでも情熱は衰えず、執筆活動を続けます。

2011年の東日本大震災の後には人間の生命力の強さを描いた詩を発表しました。

2014年には「 祖さまの草の邑」で 第8回後藤新平賞、第32回現代詩花椿賞を受賞します。

石牟礼さんは熊本市内の施設で療養生活を送っていましたが、2018年2月10日、症状が悪化し、帰らね人となります。90歳でした。

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「苦海浄土」について

「苦海浄土ーわが水俣(みなまた)病」は石牟礼道子さんの代表作で、水俣病患者とその家族の実態を生々しく綴った小説です。

しかしそれは、悲惨な実態の単なる報告書ではなく、そこに登場する一人一人への愛と尊敬に溢れています。

そして美しく豊かだったふるさとの海、不知火への愛も。

また人々を幸せにするはずの「文明」のもたらした悲劇と人間の愚かさを鋭くあぶり出しました。

石牟礼道子さんは、工場から海に流れ出た有機水銀によって水俣病にかかった人達やその家族の悲劇を描いた作品を、1965年から地元の雑誌に連載し始めました。

1969年にそれらを1冊にまとめ「苦海浄土ーわが水俣(みなまた)病」として発表します。

患者や家族たちに常に寄り添い、差別や偏見と闘ってきた石牟礼さんにとって、水俣病は「わが水俣病」、自分のことだったのですね。

1974年に第3部「天の魚」そして2004年に第2部「神々の村」を発表し、「苦海浄土」全3部が完結しました。

これを読み、水俣病の現実に衝撃を受け、その後の一生を水俣病患者のために捧げることになった方もおられます。

「苦海浄土」は「世界文学全集」に唯一収められた日本の文学なのだそうです。

ただの記録書ではなく、石牟礼道子さんの人間としての深さと温かさ、そして文学者としての才能に溢れた、戦後日本の最高の文学書なのです。

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皇后との交流も紹介

2013年の7月、東京で開かれた会合で、石牟礼さんは美智子皇后と同席されます。

車椅子の石牟礼さんは皇后の隣の席になり、2時間程お話をすることができたのだそうです。

その時、皇后が「今度、全国豊かな海づくり大会に出席するために水俣に行きます。」とおっしゃいます。

それを聞いた石牟礼さんは後日、皇后に手紙を出されました。

その手紙にはこう書いてあったそうです。

「胎児性水俣病の人たちに、ぜひお会いください。この人たちは、50歳をとっくに越えております。多少見かけは変わっておりますが、表情はまだ少年少女です・・・」

この手紙がきっかけで、2013年10月27日、水俣を訪れた天皇・皇后両陛下は、極秘で水俣病胎児性患者の二人に会われ、水俣病の現実に触れられるのです。

なんてすごいことでしょう。

天皇・皇后両陛下が熊本を去られる時、美智子皇后は見送りに来ていた石牟礼さんに気づき、侍従を通して、空港の奥まったところに呼ばれます。

そして見送りへのお礼と体を気遣う言葉をかけられたのだそうです。

二人は心の深いところでつながることができたのではないでしょうか。

翌年の正月、天皇陛下は次のような歌を詠まれました。

「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」

まとめ

石牟礼道子さんについてまとめてみましたが、いかがでしたか?

90年間の人生を、ご自分が出会った人々のために捧げ、そして筆の力で、私たちが人間として大切にしなければいけないことを発信し続けてくださった石牟礼道子さん。

その生涯は本当に美しいものだったと思います。

私は石牟礼道子さんのような行動力も感受性も持ちあわせていませんが、でも近くにいる人の痛みや大切さを感じることのできる人間でいたいものです。

石牟礼道子さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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