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月30日にオリコン年間”本”ランキングが発表されました。
お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さんの「大家さんと僕」がタレント本部門1位を獲得し、総合ランキングでも3位になりました。
そしてコミックエッセイとしては歴代年間売上1位という大記録を達成。
すごいですね!
矢部太郎さんって、一体どんな方なんでしょう。
今回は、お笑いとしても俳優としても、そして漫画家としても大活躍の矢部太郎さんに迫ってみたいと思います。
矢部太郎の出身高校と大学について
まず、矢部太郎さんの出身高校と大学について見てみたいと思います。
矢部太郎さんの出身高校は東京都立保谷高等学校です。
保谷高校は東京都西東京市にある都立高等学校で、1970年に創立されたまだ新しい高校です。
保谷高校は国公立大学や難関私立大学への進学対策に力を入れています。
また東京学芸大学などとの高大提携を実施しています。
学習面だけでなく、ソフトボール部の強豪校としても有名です。
カラテカの相方、入江慎也さんとは保谷高校の同級生です。
矢部太郎さんの出身大学は東京学芸大学です。
東京学芸大学は東京都小金井市に本部を置く国立大学です。
矢部太郎さんは教育学部国際教育学部欧米研究専攻で学ばれていましたが、学費が払えずに大学を除籍になってしまったのだそうです。
でも、頭が良くて学習能力の高い矢部太郎さんは、自分で語学を学習するハウツウを確立し、4ヵ国語をマスターされます。
驚きですね。
そして、「語学の脳みそ―11ヵ月で4ヵ国語をマスターした僕の語学のツボ」という本まで出版しているんです。
こんなすごい才能を持っておられる矢部太郎さんを除籍するなんて、東京学芸大学はもったいないことをしたのではないでしょうか。
結婚は?
次に矢部太郎さんの結婚について調べてみましたが、矢部さんはまだ結婚しておられません。
2010年に「世界笑える!ジャーナル」というテレビ番組で、花嫁候補を募集するという企画があったのですが、最終候補に残った女性が生放送に現れず、結局、結婚の話はなくなりました。
それ以降、矢部太郎さんの結婚についての話は出てきていないようです。
優しくて頭のいい矢部さん、早くお嫁さん見つかったらいいですね。
漫画もチェック!
矢部太郎さんが描いた漫画「大家さんと僕」はものすごいベストセラーになりました。
「大家さんと僕」は矢部さんと大家さんであるおばあさんとのほのぼのとした交流を描き、2018年4月には手塚治虫文化賞 短編賞を受賞して大きな話題になりました。
更には11月30日に発表されたオリコン年間”本”ランキングで総合3位、コミックエッセイ歴代1位となりました。
漫画「大家さんと僕」の内容やあらすじについてはこちらをご覧ください。
矢部さんが本格的に漫画を描いたのはこれが初めてなのだそうです。
でも中学生の頃に「漫画を描きたい。」と思い、手塚治虫さんの漫画教本を買ったことがあるんだそうです。
そんな憧れの手塚治虫さんの名前の付いた賞をもらえるなんて、さぞ嬉しかったことでしょうね。
漫画「大家さんと僕」は、2016年4月号 から「小説新潮」で連載され、2017年10月には本になりました。
その後、「週間新潮」で続編が連載されていましたが、今年の8月に漫画に登場する大家さんが亡くなられました。
大家さんは生前、矢部さんに手紙を書かれ、その中には矢部さんが来てくれたから生きてこられたと書いてあったそうです。
それから、矢部さんを戦争で取られたくないとも。
矢部さんは「僕にとって大事な8年間でした。」と涙を流して語られました。
矢部太郎の父親について
矢部太郎さんの父親は絵本作家で紙芝居作家のやべみつのりさんです。
父親のやべみつのりさんは1942年に岡山県に生まれました。
作品には絵本「かばさん」「ふたごのまるまるちゃん」、紙芝居「でてきた なあーんだ?」などがあります。
また造形教室「ハラッパ」を主宰されています。
父親は、矢部さんが子供の頃は、家にいる時間が割とあったので、保育園の送り迎えをされていたそうです。
それに、矢部さんやお姉さんの絵日記をつけておられたのだそうです。
とても優しい父親だったのですね。
子供達は父親、やべみつのりさんの宝物でもあり、生きがいでもあったようです。
矢部太郎の経歴とプロフィール
それでは矢部太郎さんの経歴とプロフィールについても見てみましょう。
矢部太郎さんは1977年6月30日、東京都東村山市に生まれました。
6歳上に姉がいて、子供の頃は木造長屋に家族4人で暮らしておられました。
父親が絵本作家で造形教室もしているという、創造性豊かな環境で育ち、矢部太郎さんも小さい頃から紙芝居や新聞などを作っていました。
6歳の時に「めちゃくちゃのだいぼうけん」という紙芝居を作り、それは静岡県の静岡福祉大付属図書館で開かれた「みんなの紙芝居~紙芝居でつなぐ未来~」という企画展で展示されたそうです。
また小学生の頃には「たろうしんぶん」を発行していました。
発行は「たろうしゃ」となっていたそうです。(笑)
そんな矢部太郎さんですが、1997年に入江慎也さんとお笑いコンビ「カラテカ」を結成します。
その後、俳優としてもテレビや舞台の数多くの作品で活躍します。
2007年には気象予報士の資格を取り、TBS「はなまるマーケット」では気象予報士として出演していました。
2016年から連載が始まった漫画「大家さんと僕」は大人気となり、2018年、手塚治虫文化賞 短編賞を受賞、そしてコミックエッセイ売上げ歴代1位となります。
矢部太郎さんって、見た目は優しくてぽわーっとしていて、しかもお笑いなのに話し下手・・・でも、実はすごい才能の持ち主なんですね。
しかし、今年10月に放送された「名医のTHE太鼓判」で、「ゴースト血管」が発覚し、将来、栄養が行き渡らず寝たきりになる危険性があると言われてしまいました。
みんなが大好きな矢部太郎さんなので、ご自分の健康には十分気をつけて、これからも活躍して欲しいものです。
本名は?
矢部太郎さんの本名についても調べました。
矢部太郎さんの本名はそのまま「矢部太郎」さんです。
とても平凡なお名前ですね。
実は、父親のやべみつのりさんは息子に名前をつける時、「どんな名前でもいずれ気に入らなくなるだろう。」と思い、とりあえず「太郎」と名付けたのだとか。
将来、自分の気に入った名前にしたらいいと思っていたけど、未だに「太郎」のままだそうです。
最後に
話し下手の矢部太郎さんが手塚治虫文化賞 短編賞を受賞された時のスピーチは多くの感動を呼びました。
そこに矢部太郎さんの人となりがよく表れていると思いますので、ここに少し引用させていただきたいと思います。
人生何があるか分からないとよく言いますが、中学生の頃、図書室でひとりで『火の鳥』を読んでいた僕が、いまここにいるなんて思いもよらなかったですし、芸人になって長く経ち、次第にすり減り、人生の斜陽を感じていた僕がいま、ここにこうしていることも、半年前には想像もつきませんでした。
それでも、あの頃、全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、子供の頃、絵を描く仕事をする父の背中を見ていたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています。それは僕だけじゃなく、みんながそうなのではないかとも思います。お笑い芸人が僕の本業なのですが、人前でうまくしゃべることが苦手です。そんな「うまく言葉にできない気持ち」を、これからも少しでも漫画で描いていけたらと思っています。
引用元 https://www.bookbang.jp/article/554445