小川糸さんの「ライオンのおやつ」がNHKプレミアムでスタートしましたね!
「ライオンのおやつ」は2020年本屋大賞で第2位に輝いた小説です。
小川糸さんと言えば、これまでもその作品が映画やドラマになった、とても人気のある作家さんです。
今回は、そんな小川糸さんの夫と子供、父親や母親、現在そしてプロフィールと経歴についてお伝えします。
小説「ライオンのおやつ」については、こちらをご覧ください。
また、テレビドラマ「ライオンのおやつ」についてはこちらをどうぞ。
小川糸の夫と子供について
まず、小川糸さんの夫と子供のことについてお伝えします。
小川糸さんの夫は音楽プロデューサーでFairlifeのメンバーでもある水谷公生さんです。
水谷公生さんは岩崎宏美さんや浜田省吾さん、その他数多くの有名な歌手の歌の作曲や編曲を手掛けています。
またご自身も一流のギタリストで、多くのバンドで演奏してきました。
小川糸さんは大学生で21歳の時、夫となる水谷公生さんと出会いました。
その時、水谷さんは47歳の離婚経験者でした。
小川糸さんは、いつまでも音楽が好きで子供のような心を失わない水谷さんに惹かれ、2000年に結婚しました。
夫の水谷さんは小川糸さんの料理がプロ級の腕であることにすごく感激し、喜んで食べてくれるのだそうです。
また夫は、小川糸さんの影響で最新のデジタル機器に出会い、自宅でレコーディングを始めました。
夫の水谷さんは60歳の時、脊柱管狭窄症になりギターが弾けなくなったのですが、今はデジタル機器を使って音楽のお仕事を続けています。
夫にとって、小川糸さんとの出会いは人生最高の宝物ですね。
子供についても調べてみましたが、情報はありませんでした。
小川糸さんには子供はいないようです。
子供はいなくても、小川糸さんと夫は互いを尊敬し、お二人らしい人生を送っておられます
小川糸の父親と母親について
次に、小川糸さんの父親と母親について見ておきたいと思います。
小川糸さんの父親については、ほとんど情報はありませんでした。
ただ、実の母親が亡くなった後、父親は再婚をされたそうです。
小川糸さんの母親は、とても強くて威圧的な存在だったそうです。
娘を自分の思い通りに支配しようとする傾向があったようで、高校進学の時も、小川糸さんは芸術関係の学校に行きたいのに無理に進学校に入学させられました。
ある時「どうしてこの人が親なのだろう?」と思った小川糸さんは、思い切って占い師さんに見てもらいに行きます。
その時の占い師さんの言葉で、自分は今神様にテストされているんだと思えるようになり、気持ちが解放されたのだそうです。
そういう感じなので、小川糸さんは大人になっても、母親とは距離を置いてきました。
しかし、母親が病気になり死期も近づいてから、小川糸さんは母親のことを初めていとおしく思えました。
亡くなる数日前に病院に行った時、「これで最後だと思うから、笑って。」と言ったら、それまで機嫌が悪かった母親が笑ってくれたのだそうです。
母親が亡くなった後、父の再婚によって、小川糸さんには二人目の母親ができました。
二人目の母親は、小川糸さんの夫となる水谷公生さんとは7歳しか年が離れていません。
義母は最初は結婚を反対しましたが、水谷さんと会ってからは反対しなくなったそうです。
小川糸の現在
小川糸さんは2022年7月から、長野県の山で一人暮らしをされています。
現在もそこの山小屋で暮らしておられます。
小川糸さんのホームページの「手紙」(ブログ)の2022年7月10日のところに、こう綴ってあります。
標高1600メートルでの暮らしが始まった。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを振り返っても、森、森、森、森。私が山小屋を建てた土地は、ほぼほぼ原生林で、地球が誕生して以来、この地に住む人間は、おそらく私が初めてだ。
先週の半ばに荷物を移して、今日が森で過ごす最初の週末。(後略)
でも、山で暮らし始めた2年足らずの間に、インドや沖縄など、時々、旅に出かけておられることが、ホームページの「手紙」を読むと分かります。
一人で暮らしておられるということは、夫である水谷公生さんとの関係はどうなっているのでしょう?
実は、雑誌「MOE」に連載されていた「旅ごはん」の最終回に以下のような文がありました。
前回は、夫とリガに来たのだった。 その時は、まさか自分たちがこういう結末を 迎えるなんて思ってもみなかった
これを読んだ小川糸さんのファンの方達が、「小川糸さんが離婚した!」と思い、騒ぎになったようです。
でも、小川糸さんのブログの中にそのような記述はありませんので、離婚されたのかどうかは分かりません。
小川糸のプロフィールと経歴
最後に、小川糸さんのプロフィールと経歴についてお伝えします。
プロフィール
小川糸さんは「糸通信」という、とても素敵な公式サイトをお持ちです。
プロフィールは、その「糸通信」から引用させていただきます。
1973年生まれ。デビュー作 『食堂かたつむり』(2008年)以来30冊以上の本を出版。作品は英語、韓国語、中国語、フランス語、スペイン語、そしてイタリア語など様々な言語に翻訳され、様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2011年にイタリアのバンカレッラ賞、2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞した。またこの作品は、2010年に映画化され、2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化された。『ツバキ文具店』と、その続編となる『キラキラ共和国』は、日本全国の書店員が主催する「本屋大賞」候補となった。最新作は、『ライオンのおやつ』(ポプラ社)
引用元 https://ogawa-ito.com/profile/
経歴
小川糸さんは1973年、山形県山形市に生まれました。
子供の頃、自宅にはあまり本がなく、隣の家にある絵本を読んでいました。
小学校時代は文を書くのが好きで、自分で物語を想像していたそうです。
読書感想文を書くのも好きで、そのために本を読んでいました。
中学1年生の時、やはり読書感想文を書くために「はてしない物語」を読み、初めて自分が物語の中に入っていく経験をしました。
その時に書いた読書感想文はコンクールの全国大会で受賞したそうです。
高校は地元の山形県立山形東高等学校に進学します。
山形東高等学校は進学校で、皆すごく勉強していたそうです。
小川糸さんは高校に行きたくなくなったのですが、行かないと面倒なことになるので(多分母親との関係ですね。)、どうしても行かないといけない状況を自分で作ります。
それが野球部のマネージャーになるということ。
すごい発想ですね。ここが小川糸さん独特の前向きさだと思います。
また図書館で過ごすのが好きで、高校以外でも、よく図書館に通っていたそうです。
1992年、上京して清泉女子大学に進学します。
大学では国文学科で古代文学を専攻し、「古事記」を研究します。万葉集研究会というサークルにも入っていました。
大学在学中に夫となる水谷公生さんと出会います。
大学卒業後、マーケティングの会社に就職。
数か月後、情報誌のライターに。
しかし、休刊になりリストラされます。
その後はアルバイトをしますが、本を書きたい気持ちが強くなり、執筆を始めます。
リストラと同時に住む家も失い、水谷公生さんと暮らし始めます。
執筆活動は続き、作品を出版社に持ち込んだり文学賞に応募したりしていましたが、1999年、雑誌「リトルモア」に「密葬とカレー」を発表しました。
2000年、結婚。
2004年、夫の水谷公生さんとともに音楽制作ユニット「Fairlife」を結成して「春嵐」というペンネームで作詞家としての活動も始めます。
2007年には絵本「ちょうちょ」を発表しました。
しかし小説家としてはなかなか芽が出ず、「これでだめだったら諦めよう。」と思い、好きな料理を題材にした「食堂かたつむり」を「2006年第1回ポプラ社小説大賞」に応募します。
入選はできなかったのですが、編集者の目に留まり、2008年に出版することに。
こうして遂に小説家としてデビューを果たしました。
「食堂かたつむり」はTBSの人気番組「王様のブランチ」で注目され、「第7回輝く!ブランチBOOK大賞・新人賞」を受賞します。
また売上82万部を超えるベストセラーとなり、2010年に映画化されます。
そして2011年にはイタリアの文学賞であるバンカレッラ賞 料理部門賞を、2013年にはフランスのウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞しました。
2010年に発表した「つるかめ助産院」はドラマ化されて、2012年にNHKで放送されました。
2016年には地元、山形県にできた東桜学館中学校・高等学校の校歌を作詞。
2017年、「ツバキ文具店」が本屋大賞4位になり、これもテレビドラマ化されました。
2017年春からは長年行きたかったドイツで、語学の勉強と執筆活動をされています。
2018年、「キラキラ共和国」が本屋大賞にノミネートされました。
そして、2020年、「ライオンのおやつ」が2020年本屋大賞第2位に。
2021年6月27日からNHKプレミアムでテレビドラマの放送が始まりました。
まとめ
今回は、「ライオンのおやつ」テレビドラマ化で話題になっている小川糸さんの夫と子供、父親や母親、現在そしてプロフィールと経歴についてお伝えしました。
小川糸さんの作品には「日常」が綴られているのですが、そこにある優しさや温かさが読者の心を癒してくれます。
小川糸さんは、こう語っておられます。
母の死を経て書き始めたこの『ライオンのおやつ』でも、死がもたらすものが苦しみやつらさばかりではないことを描きたいと思いました。
(中略)
どれだけ体が弱って残された時間が短いとしても、生きていれば喜怒哀楽があり、幸せを感じる瞬間も、変わるチャンスさえあるということも描きたいと思いました。
小川糸 母を「初めていとおしく思えた」とき (4ページ目):日経xwoman母親にがんが見つかったことを機に、「あまりうまくいってなかった」母と数年ぶりに電話で話したという作家の小川糸さん。「死ぬのが怖い」とおびえる母と接しながら、読んだ人が少しでも死ぬのが怖くなくなるような物語をと、新刊『ライオンのおやつ』を執筆...