ギュスターヴ・エッフェルの妻と子孫について!作品は?経歴も調査!

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皆さん、フランスに行かれたことはありますか?

フランスと言えばパリ、パリと言えばエッフェル塔ですね。

324mの高さを誇るエッフェル塔を作ったのはギュスターヴ・エッフェル

そう、作った人の名前が塔の名前になっているんですね。

実は、ニューヨークの自由の女神像も、このギュスターヴ・エッフェルが作ったそうなんです。

ギュスターヴ・エッフェルって、一体どんな人だったのでしょう。

今回は、ギュスターヴ・エッフェルの妻と子孫、彼の作品そして経歴についてもお伝えします。

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ギュスターヴ・エッフェルの妻と子孫について

まず、ギュスターヴ・エッフェルの妻と子孫について調べました。

ギュスターヴ・エッフェルの妻はマリー・ゴドレと言い、二人は1862年に結婚しました。

そして5人の子供をもうけました。

しかし、妻は1877年に亡くなりました。

二人の結婚生活は15年程だったのですね。

その後、父親や母親も亡くなりましたが、子供達はそれぞれに結婚し、複数の孫ができました。

ギュスターヴ・エッフェルは後に娘の婿と友人に会社の経営を引き継ぎました。

現在、ギュスターヴ・エッフェルの子孫で組織されている「ギュスターヴ・エッフェル協会」というのがあるそうです。

ギュスターヴ・エッフェルの子孫の中でも、サヴァン・イェットマン・エッフェルさんが有名です。

サヴァン・イェットマン・エッフェルさんは、ギュスターヴ・エッフェルの長女、クレアさんの子供なので、7代目の子孫です。

彼はアニメーション監督で、日仏合作の大ヒットアニメ「オーバン・スターレーサーズ」の監督です。

サヴァンさんは何と、来日時に知り合った日本人女性を妻にしました。

サヴァンさんの妻のお名前はイエットマン・エッフェル・由紀子さんです。

由紀子さんは日本のお寿司屋さんとエッフェル塔のレストランの2か所でプロポーズされ、子孫に伝わるダイヤの指輪をプレゼントされたのだそうです。

こうして、ギュスターヴ・エッフェルの子孫には日本人も関わることになるのですね。

また、エッフェル塔建設125周年を記念して、ギュスターヴ・エッフェルの子孫から、スイスの時計メーカー、クストスに時計の製作を依頼したのだそうです。

その名も「ギュスターヴ エッフェル トゥールビヨン」。

文字盤がエッフェル塔の下から上を見上げているようなデザインになっています。

日本でのお値段は、な、な、なんと2千万円!!

私には全く関係のないことです(汗)

中古もありました。

興味ある方はどうぞ。

それから、ギュスターヴ・エッフェルの子孫は、並ばなくてもエッフェル塔を見られるVIP待遇のパスを持っているのだそうです。

羨ましい限りです・・・。



ギュスターヴ・エッフェルの作品は?

Péter GulyaによるPixabayからの画像

ギュスターヴ・エッフェルはエッフェル塔を作っただけではなく、世界中にたくさんの作品を残しています。

エッフェル塔以外で、最も有名なのはニューヨークにある自由の女神像です。

セカイの歩き方さんによる写真ACからの写真 

あの自由の女神がエッフェル塔を作ったギュスターヴ・エッフェルの作品だなんてびっくりですね!

実は、自由の女神はエッフェル塔より3年早く、1883年に完成しました。

アメリカの独立100周年を記念してフランスから贈られたものだそうです。

ギュスターヴ・エッフェルは自由の女神の骨組みの設計と施工を担当し、ニューヨークの気候を考慮した最新の構造を取り入れました。

1889年にはパリの女神像も完成させました。

ポルトガルのマリアピア高架橋は1877年に開通しました。

この橋は金属製のメインアーチをワイヤで吊り下げている間に、その重量を支えることのできる構造を作りました。

同じポルトガルのエッフェル橋は1878 年に開通した鉄道道路併用橋です。

この橋の開通によって周辺の物流が盛んになりました。

フランスのオーベルニュ地方にあるガラビ橋は大変優雅な橋として有名です。

1885年に開通しました。

全長約165m。

パリのエッフェル塔に敬意を表して、同じ赤色で塗装されました。

Peter KofmehlによるPixabayからの画像




ギュスターヴ・エッフェルの経歴

ギュスターヴ・エッフェルは1832年12月15日、フランス中部のディジョンに生まれました。

ギュスターヴ・エッフェルの家系はドイツ系アルザス人で、王室の室内装飾を手掛ける家だったそうです。

ギュスターヴ・エッフェルは一家の長男として生まれました。

ギュスターヴ・エッフェルは10歳の時に教会と風車のある見事な箱庭を造って、大人を驚かせたそうです。

子供の頃から、造形の才能があったのですね。

ギュスターヴ・エッフェルは中等学校を優秀な成績で卒業した後、パリ大学に付属したコレージュ・サント=バルブに進学しました。

コレージュ・サント=バルブは1460年創立のフランス最古のコレージュです。

コレージュというのは、日本の小学6年から中学3年に相当するフランスの教育機関のことです。

その後、フランスの工学、技術系エリート養成のための国立学校であるエコール・デ・サントラル(中央工芸学校)の化学科で1年間学び、技師免状を取得しました。

卒業後は義理の弟が経営する鉄鋼所に勤めた後、鉄道関係の仕事に就きました。

当時フランスでは鉄道網建設の計画があり、ギュスターヴ・エッフェルは鉄道に興味を持ったようです。

ギュスターヴ・エッフェルは1858年から始まった大鉄橋ボーデラックスの工事の全て任され、その功績により、鉄骨構造技術者として高く評価されるようになります。

1866年にはエッフェル社を立ち上げ、様々な橋梁の設計、建設に乗り出しました。

エッフェル塔は1889年のパリ万国博覧会のシンボルとして建設されました。

当時の建造物は石造が一般的な中、鉄塔はパリ市民の反発を買い、建設はスムーズに進んだわけではありませんでしたが、万博に間に合わせるために2年2ヶ月という短期間で完成に行き着きました。

このエッフェル塔は、最初は20年で取り壊す予定だったそうです。

しかし、ギュスターヴ・エッフェルはエッフェル塔の上にプライベートルームを作り、その隣りには気象観測や空気抵抗の実験をする部屋を作りました。

そして、エッフェル塔は国防上重要な電波塔となり、取り壊しは中止されました。

こうして、今では最も多くの人が訪れる観光名所となったのです。

実際に行ってみたいものですね。

彼は70歳を過ぎてから風の制御に関する研究をし、エッフェル型と呼ばれる風洞を建設して、航空機の進歩に大きく貢献しました。

ギュスターヴ・エッフェルは1923年12月27日、自分で設計した自宅で亡くなりました。

91歳でした。

ギュスターヴ・エッフェルの墓はパリのルヴァロワ・ペレにあります。

彼の死後、73年経った1996年にエッフェル肖像200フラン紙幣が発行されましたが、その紙幣の表にはガラビ橋が、裏にはエッフェル塔が描かれています。



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