皆
さん、こんにちは。
2018年10月31日、穂村弘(ほむら ひろし)さんの17年ぶりの歌集「水中翼船炎上中」が第23回若山牧水賞を受賞しました。
穂村弘さんは、その感性と独特な表現で読者を惹きつけてきた、現代日本を代表する歌人です。
今回は、そんな穂村弘さんの本名と経歴、妻や子供、出身大学、高校そして受賞作「水中翼船炎上中」についてもお伝えしていきたいと思います。
穂村弘の本名は?
まず、穂村弘さんの本名について調べてみました。
穂村弘さんのエッセイ集「世界音痴」の中にこのような箇所があります。
本年度の年賀状受信総数は百二十六枚。そのうち「穂村弘」宛てが百十八枚。本名宛てが八枚。毎年のことだが、本名のほうはぜんぜん人気がない。
それから、こういう短歌も詠んでおられます。
おまえの名前はなんだっけ? 繰り返し繰り返し訊く子のペンネーム
これは、穂村さんのお父さんかお母さんが穂村さんに尋ねているところです。
それで、「穂村弘」というのは、本名ではないと思われます。
では、穂村弘さんの本名は何なのでしょうか?
調べてみたら、本名は辻一朗さんと言われるようです。
穂村弘の経歴とプロフィールについて!
それでは、穂村弘さんの経歴とプロフィールを見ていきたいと思います。
穂村弘さんは、1962年5月21日に北海道札幌市で生まれました。
現在、56歳です。
穂村弘さんは、2歳の時、父親の仕事の関係で神奈川県に引っ越し、小学5年生からは愛知県名古屋市で育ちます。
大学時代に短歌に興味を持ち始め、1985年から自分でも短歌を作り始めます。
翌年、連作「シンジケート」で第32回角川短歌賞の次席に選ばれます。
その時に角川短歌賞を受賞したのは俵万智さんだったそうです。
俵万智さんは、1987年に出した歌集「サラダ記念日」が大ベストセラーになり、一躍有名になられましたよね。
穂村弘さんは、大学卒業後、文芸とは関係のないシステム会社に就職しました。
就職して3年経った時、貯金をつぎ込んで歌集「シンジケート」を自主出版します。
その後は歌人として活躍しながらも会社勤めを続け、総務課長代理にまでなられました。
でも、緑内障になり、失明するかもしれないと言われて、自分はものを書くことをしたいと会社を退職します。
そして、短歌だけでなく、絵本の翻訳や評論、エッセイなど広い分野で活躍し、数々の賞を受賞されます。
2015年にはNHK全国学校音楽コンクール 高等学校の部課題曲の作詞もされました。
2017年にはエッセイ集「鳥肌が」で第33回講談社エッセイ賞を受賞。
そして今回、17年ぶりに出した歌集「水中翼船炎上中」で第23回若山牧水賞に輝きました。
妻と子供は?
穂村弘さんの妻と子供についても調べてみました。
穂村弘さんは2005年に結婚されました。
前述したように、緑内障で失明するかもと、現在の妻に言うと、妻は「じゃあ結婚しようか。」と言ってくれたのだそうです。
すばらしい妻ですね。
自分がこの人を支えて、ともに生きていこうと思われたのでしょうね。
そんなお二人ですが、子供さんはおられません。
穂村弘さんは子供がいないから、子供を持つ気持ちを知らないままに死んでいくことへの不安のようなものがあるのだそうです。
独特の表現で、多くの人を楽しませる穂村弘さんですが、とても敏感で繊細な方なんでしょうね。
出身大学と高校も調査!
最後に、穂村弘さんの出身大学と高校についても調べました。
穂村弘さんの出身大学は上智大学です。
実は、高校卒業後、北海道大学に入学します。
ワンダーフォーゲル部に入って活動したのですが、北海道大学を中退します。
北海道大学は留年する人が多かったからだそうです。
それが事実だったとしても、自分ががんばれば関係ない気がしますけどね。
その後、穂村弘さんは上智大学に入学し、文学部英文学科で学ばれます。
そして、上智大学の図書館で短歌と出会い、その魅力にはまっていったのだそうです。
上智大学は東京にある、日本で初めてのカトリック大学です。
上智大学の出身者には、衆議院議員の野田聖子さんや元総理大臣の細川護煕さん、数学者の秋山仁さん、作家の井上ひさしさん、 歌手のジュディ・オングさんや早見優さんなど、各界の著名な方々がおられます。
小林麻央さんも上智大出身だそうです。
穂村弘さんの出身高校は名古屋市立桜台高校です。
桜台高校は男子ハンドボールの強豪校として有名です。
穂村弘さんは高校で天文部に所属しておられました。
歌集「水中翼船炎上中」について
歌集「水中翼船炎上中」は前作の「ラインマーカーズ」から17年ぶりの歌集です。
穂村弘さんの歌集として4冊目となります。
「水中翼船炎上中」は現在を詠んだ「出発」から子供時代についての「楽しい一日」など、思春期の「チャイムが違うような気がして」そして最後にもう一度現在「水中翼船炎上中」に戻るという11章の構成になっていて、全部で328首が収められています。
本当に穂村弘さんの独特な感性と表現力には驚かされ、とても楽しませてくれる歌集です。
それに穂村弘さんと同世代の私は、「ああそうだった、そうだった。」と、子供の頃の情景が蘇り、懐かしさに心が温かくなるのです。
そこに登場する味の素や炬燵、BCGなど、まさに昭和を象徴する言葉です。
下の2首にとても共感。
オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂
お茶の間の炬燵の上の新聞の番組欄のぐるぐるの丸
穂村さんが大人になってからの、両親への、特に母親を想った歌には、私も亡くなった母の姿を思い出し、しみじみとした気持ちになりました。
時々、思い出してはページをめくるのに向いている本だと想います。
穂村弘さんは、あるところで、このように語っておられます。
電車の中で誰かがへんなことを言うと、「あなたのおかげで短歌が一首できます」って五百円玉をあげたくなる。自分の想像を超えた文字列に出会うと興奮するのは、たぶん別世界へ行きたい願望なんだと思う。扉の奥に、いま自分がいる世界と全然違う世界を妄想してイメージが広がります。
引用元 https://www.newspostseven.com/archives/20180623_704218.html
皆さんもこの秋、穂村弘ワールドに浸ってみられたらいかがでしょうか?