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長谷川町子の生い立ちと経歴について!結婚は?父と母も調査!

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こんにちは。

今年は長谷川町子さんの生誕100周年です。

長谷川町子さんって、あの「サザエさん」の作者ですね。

「サザエさん」は子供の頃からテレビであってました。

大人になると、日曜の夕方6時30分からの「サザエさん」を楽しく見終わると「あー、もうすぐ月曜日だな・・・。」と憂鬱な気持ちになったものです。(笑)

そんな風に、私の人生にずーっといてくれたサザエさん。

でも、生みの親の長谷川町子さんのことはよく知りませんでしたので、今回、長谷川町子さんについて調べてみました。

それでは、長谷川町子さんの生い立ちと経歴、結婚、父と母そして姪についてもお伝えします。

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長谷川町子の生い立ち

まず長谷川町子さんの生い立ちについて見てみたいと思います。

長谷川町子さんは1920(大正9)年1月30日に、佐賀県の小城郡東多久村(現在の多久市)に生まれました。

3人姉妹の2番目です。

長谷川町子さんは小さい時から絵を描くのが好きで、とても上手で細かいところまで描いていたそうです。

そして、とてもおてんばだったそう。

授業中は教科書で顔を隠して先生の似顔絵を描いたり、掃除時間は男の子達とチャンバラごっこをしたりしていたのだとか。

サザエさんにそっくりですね。(笑)

長谷川町子さんの家庭は割と裕福な家庭でした。

長谷川町子さんが生まれて間もなく、父親の仕事の関係で、一家は福岡市春吉(現在の中央区)に移り住みました。

そして長谷川町子さんは高校2年生までを福岡で過ごします。

しかし、父親が亡くなり、1934(昭和9)年に家族で上京しました。



長谷川町子の経歴とプロフィール

それでは、長谷川町子さんの経歴とプロフィールをお伝えしていきます。

長谷川町子さんは福岡市の春吉尋常小学校(現在の福岡市立春吉小学校を卒業後、旧制福岡県立福岡高等女学校(現在の福岡県立福岡中央高等学校)に進みます。

その後、上述したように上京し、2年生の時に山脇高等女学校(現在の山脇学園高等学校)に転校しました。

そして何と高校在学中に田河水泡さんに師事することになりました。

田河水泡さんは、あの人気漫画「のらくろ」の作者です。

すごいですね!

少女倶楽部に掲載された「狸のお面」が長谷川町子さんの処女作になります。

長谷川町子さんは高校卒業と同時に田河水泡さんの内弟子になられるのですが、住み込みの生活は厳しくて、1年も経たずに家に戻ったのだそうです。

1944年、長谷川町子さんとご家族は疎開で福岡に戻って来られます。

そして町子さんは西日本新聞社に入社されました。

でも1945年の終戦の翌日に退社されました。

戦時中は仕事をしていないと徴用の心配がありましたからね。

翌1946年、西日本新聞から独立した夕刊フクニチが連続漫画を掲載することになり、長谷川町子さんに声がかかります。

そしてスタートしたのが「サザエさん」です!

長谷川町子さんはご自宅の近くの百道海岸を散歩していて、「サザエさん」の登場人物の名前を思いついたのだそうです。

「サザエさん」はとても人気になりましたが、長谷川さん一家は上京することになり、夕刊フクニチでの連載は、サザエさんの結婚で終了になりました。

でも、読者からの要望が強く、今度は夕刊フクニチと北海道と名古屋、3つの新聞に掲載されるようになります。

そして1949年からは朝日新聞の夕刊に掲載されました。

すごいですね!

こうして、長谷川町子さんの漫画「サザエさん」は全国で人気になります。

でも、長谷川町子さんは毎日、次の面白いネタを考えるのに疲れたようで、1960年に漫画家廃業を宣言しました。

しかし、朝日新聞社は休刊という形をとり、約半年後に長谷川町子さんに頼んで、「サザエさん」を再開させました。

こうやって「サザエさん」は続いていくのですが、1966年、長谷川町子さんは「サザエさん」とは全く違う雰囲気の「いじわるばあさん」の連載を始めます。

こちらはブラックユーモアが効いていて、長谷川町子さんはご自分の地のまま、気楽に書けたのだそうです。

そんな風にずっと頑張って来られた長谷川町子さんなんですが、1967年、47歳の時に胃潰瘍になられます。

本当は胃潰瘍ではなく胃癌だったのですが、妹さんのご主人が癌で亡くなったこともあり、長谷川町子さんは癌をとても恐れていたので、ご家族は事実を町子さんに隠し通しました。

1970年には「サザエさんバス事件」がありました。

これはあるバス会社が観光バスの車体に「サザエさん」のキャラクターの絵を無断で描き営業していたことに対して長谷川町子さんが複製権の侵害を訴えたもので、長谷川町子さんは裁判で勝訴します。

これは国内で初めてキャラクターの著作権を明確にした事例です。

「サザエさん」の連載は1974年2月21日まで続きました。

1946年に夕刊フクニチでスタートして以来、途中少しのお休みはありましたが、実に28年間続いたことになります。

掲載の回数は6477回だそうです。

驚きですね!

1978年には「サザエさんうちあけ話」が朝日新聞日曜版に連載され、翌1979年には姉妹社から単行本が出されました。

またこれをもとに、NHK朝ドラ「マー姉ちゃん」が放送されました。

1982年、長谷川町子さんは紫綬褒章を受賞されます。

そして1987年、朝日新聞に掲載された「サザエさん旅あるき」が長谷川町子さんの最後の作品となりました。

1990年には勲四等宝冠章を受章。

その2年後、1992年5月27日に、長谷川町子さんは72年の生涯を閉じられました。

死因は冠動脈硬化症による心不全とのことですが、長谷川町子さんは亡くなる一週間前に脳血腫と診断され、大きな病院での入院手術を勧められたそうです。

でも、ご自身はそれを拒否され、葬儀も長谷川町子さんご本人の遺言により肉親のみで執り行われました。

「サザエさん」のテレビ放送は、これもご本人の遺志で続けられることになりました。

その年の7月、戦後の日本に安らぎを与えたということで、長谷川町子さんに国民栄誉賞が贈られました。



長谷川町子の結婚について

長谷川町子さんの結婚についても調べましたが、長谷川町子さんは結婚はされず、生涯独身を貫かれました。

長谷川町子さんが漫画家として活躍を始めた頃、ある年齢になっても独身の女性は珍しかったので、雑誌のインタビューで度々、結婚しない理由を聞かれたそうです。

そんな時、長谷川町子さんは「毎日が楽しくて結婚なんて考えたことがない。」と答えておられました。

お見合いは何度かされたそうです。

長谷川町子さんにとって、皆に喜ばれる漫画を描き続けることと家族を守ることが全てだったようです。

長谷川町子の父と母は?

長谷川町子さんの父親と母親についても見ていきましょう。

長谷川町子さんの父親は勇吉さんと言われます。

父親の勇吉さんは三菱炭坑の技師をされていましたが、独立して、町子さんが生まれて間もない頃に福岡に転居されました。

父親の勇吉さんはハンサムできちんとした方だったそうです。

娘達を可愛がり、でも躾けは厳しかったそう。

そんな父親でしたが、町子さんが高校2年生の時に病気で亡くなられました。

長谷川町子さんの母親は貞子さんと言われます。

母親の貞子さんは、当時の女性には珍しく自立心溢れた方だったようです。

母親の貞子さんのご実家は薩摩の士族で、母親も躾けには厳しく、いたずら好きの町子さんを時々鶏小屋に閉じ込めたのだそうです。

父親が亡くなると、国会議員をしていた兄弟を頼って上京されました。

また母親は行動力が凄く、町子さんが「田河水泡の弟子になりたい。」と独り言を漏らしただけで、積極的に町子さんの肩を押し実現させました。

また、「姉妹社」も母親が思いついたものだったそうです。

それから母親の貞子さんは熱心なクリスチャンでもありました。

そんな母親でしたが、晩年は認知症になり、1987年に91歳の生涯を閉じられました。

長谷川町子の姪について

最後に、長谷川町子さんの姪御さんについてお伝えします。

町子さんの姪、長谷川たかこさんは町子さんの妹、洋子さんの娘さんです。

町子さんの姉は毬子さんと言われ、朝ドラ「マー姉ちゃん」の主人公のモデルになっています。

姉の毬子さんは結婚されましたが、結婚後わずか1週間で夫は召集され戦死します。

それ以降、毬子さんは独身でした。

また妹の洋子さんも結婚されたのですが、夫を癌でなくし、結果、長谷川町子さんのお家は、母親と3姉妹、そして二人の姪、合計6人の女家族になりました。

そんな中、たかこさんは長谷川町子さんの自慢の姪御さんで、ワカメちゃんのモデルでもあります。

長谷川町子さんは子供が欲しいと思った時期もありましたが、可愛い姪ができたので、その欲求は満たされたのだそうです。

たかこさんは11歳で父親をなくし、母親の実家にやって来てから、15年間を伯母である長谷川町子さんと過ごしました。

たかこさんは子供の時はおかっぱ頭だったそうです。

それであの可愛いワカメちゃんができたのですね。

でもたかこさんの性格はカツオだったそう。(笑)

実は、姪のたかこさんは現在、フランスのパリでくらしておられます。

そのきっかけは13歳の時に、長谷川町子さんの取材旅行に同行したこと。

その時、いろいろなところを回りましたが、たかこさんはパリに惹かれ、フランス語の勉強を始めます。

そして上智大学のフランス文学科に入学。

さらにアメリカのペンシルヴァニア大学、パリのソルボンヌ大学に留学しました。

その後、結婚と離婚を経て単身でパリに移り住み、以降、パリでの生活を続けておられます。

パリ生活が30年以上になったたかこさんは、現在、「フレンチ・コード」というパリ情報を日本に発信するウェブマガジンを主宰しておられます。

また、子育て日記ブログ「長谷川たかこのパリのふつうの生活」も運営されています。

長谷川たかこのパリのふつうの生活
パリの日常、フランス人の実態、お薦め映画、子供の世界、猫、友達・・・

本も出版しておられます。

たかこさんはフランス人と再婚され、今は夫と2人の子供とくらしておられます。

まとめ

今回は、日本初の女性漫画家で「サザエさん」の作者である長谷川町子さんの生い立ちと経歴、結婚、父と母そして姪についてお伝えしました。

「サザエさん」はずっと戦後の日本を笑顔にし、支えてきたと言っても過言ではありませんね。

長谷川町子さんに感謝したいです。

長谷川町子さんについて知り、日曜夕方のアニメ「サザエさん」を見るのが益々楽しみになってきました。



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