鈴木健二(アナウンサー)の生い立ちとプロフィール!妻と息子は?昭和からの遺言も紹介!

ソーシャル
この記事の所要時間: 717

皆さん、NHKのアナウンサーとして活躍されていた鈴木健二さんをご存じですか?

鈴木健二さんというと、「NHK紅白歌合戦」の司会をされた時の「私に1分間時間をください。」が思い出されますよね。

私は若い頃、鈴木健二さんの著書を何冊か読みましたが、そんな鈴木さんが、私の住む熊本の県立劇場館長になられたので、私にとっては、とても身近に感じられる方です。

鈴木健二さんは90歳になられましたが、平成が終わろうとする今年、「昭和からの遺言」という本を出版されました。

今回はそんな鈴木健二さんに迫ってみたいと思います。

<スポンサード リンク>
 




鈴木健二の生い立ちについて

                             Image by congerdesign on Pixabay 

それではまず、鈴木健二さんの生い立ちについて見ていきたいと思います。

鈴木健二さんは1929年1月23日、東京都墨田区に生まれました。

6歳上の兄は映画監督をされていた鈴木清順さんです。

両親は日本橋で呉服小物の商売をされていました。

母親の実家は新橋でうなぎ屋をされていて、以前は近くにNHKがあったのだそうです。

それで子供の頃に遊びに行くと、祖母からお客さんには放送局の人が多いと聞かされていました。

第一東京市立中学を卒業し、旧制弘前高校の4年生、16歳の時に東京大空襲を経験します。

鈴木健二さんと両親と3人で空襲から逃げ、その後は本所・亀沢町に移り、両親は自転車部品の製造・販売を始められました。

この東京大空襲の経験は、その後の鈴木健二さんの生き方に大きく関わってくることになります。

東京大空襲の直後に旧制東北大学に進学します。

鈴木健二さんは昔は将来画家になりたいと思っておられ、文学部美学美術史学科で学ばれました。

東北大学を選ばれたのは、そこの教授をされていた哲学者の阿部次郎さんを慕ってのことでした。

大学時代は学生寮の寮務委員長になって、学生達の世話をすることになりました。

やはりもともと人のために動くのが好きな方なのでしょうね。

大学時代は太宰治とも出会います。

また戦災孤児のいる施設で、知的障害を持った少女が一日中、皆のために洗濯をしているのを見て感動し、自分も人のために生きようと決心されます。



鈴木健二のプロフィール

では、鈴木健二さんのプロフィールについても見ておきます。

上記のような生い立ちを経て、鈴木健二さんがNHKに入局したのは1952年の時です。

テレビが本格的に放送開始になる1年前でした。

鈴木健二さんは本ばかり読んでいて、放送には何の関心もなかったのに、友達に誘われて採用試験を受けたのだそうです。

しかもアナウンサーの部門を受けたのは、応募人数が一番少なかったからというから驚きです。

1952年、最初の赴任地は熊本でした。

1954年、東京アナウンス室へ転勤。

1958年、大阪放送局へ。

1960年、東京アナウンス室へ復帰。

その頃から、ドキュメンタリー番組のナレーションを数多く担当し、NHKのエースアナウンサーとして知られるようになります。

その中で、鈴木健二さんご自身が最も良かったと自負されているのは、1969年のアポロの月面着陸におけるアナウンスです。

月面着陸の瞬間、この歴史的な瞬間を大事にしたいと、鈴木健二さんは何も言葉を発せずに見守ったのだそうです。

素晴らしい英断だったと思います。

1966年からは「こんにちは奥さん」の司会も担当されるようになり、報道番組だけでなく、ワイドショーやバラエティ番組でも人気者になっていかれました。

1969年には「こんにちは奥さん」や「昭和の放送史」などの司会に対して第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞されました。

1983年から3年間、「NHK紅白歌合戦」の白組司会を担当されますが、2回目の時の「私に1分間時間を下さい!」はその後、語り草になっています。

私もその時のことははっきり覚えています。

とにかく一生懸命の鈴木健二さんがおられました。

1988年、59歳でNHKを退職し、熊本県立劇場の初代館長になられます。

鈴木健二さんは、熊本県立芸場の館長として、チアリーダーの要請や「こころコンサート」の開催など、精力的に動かれました。

私もよく覚えています。

1998年、70を前にして青森県立図書館長になられます。

当時の青森県の図書館蔵書数や貸出数が全国最低だと知り、子ども達に読書の大切さを伝えたいと思われたからだそうです。

そして青森県内の学校をボランティアで出前授業をして回られます。

75歳で公職を退かれましたが、生命尊重センターの名誉顧問だけは続けておられます。

これは厳しい状況の妊産婦を支援し中絶を防ぐ活動を行っている団体です。

超多忙の生活を続けて来られた鈴木健二さんですが、そんな中で大量の著書を出版しておられます。

出版された本はNHK時代だけで約70冊というから驚きです。

鈴木さんは短時間で文章を書く才能をお持ちで、執筆するのがお得意で、新幹線の中などで執筆されたのだそうです。

多くの著書がベストセラーになりましたが、中でも「気くばりのすすめ」はシリーズ累計550万部以上の大ヒットになりました。

そして平成が終わろうとする今年、2019年1月に「昭和からの遺言」を出版されました。



妻と息子は?

鈴木健二さんの妻や息子についても調べてみました。

鈴木健二さんには妻がおられますが、残念ながら、お名前など具体的な情報は見つけることができませんでした。

でも鈴木健二さんの妻はずっと鈴木さんを支え続けて来られた方です。

鈴木健二さんは超多忙な中、何度も瀕死の病にかかられています。

40代で糖尿病になり、それが悪化して50歳の時には左の腎臓が壊滅的な状態に。

それでも番組の司会を代わってもらえる人はいないので、決死の覚悟で仕事をされたそうです。

このことを妻にも言わず、必死で収録を終え、その後、腎臓摘出の手術を受けることになりました。

死と直面されています。

妻はその度にどんなに心配されたことでしょう。

息子さんについても調べましたが、息子さんについては情報がありませんでした。

もし何か分かりましたら、こちらに追記させていただきます。

「昭和からの遺言」について

「昭和からの遺言」は戦前・戦中・戦後を生き抜いてきた鈴木健二さんが、平成が終わろうとする今年、どうしても伝えておきたいことを綴ったものです。

特に、1945年3月10日に起きた東京大空襲の経験は、鈴木健二さんに絶対に戦争を風化させないで語り伝えなければいけないという思いを強くさせます。

鈴木さんは、焼け野原となった東京下町の地獄のような光景を決して忘れることはできません。

また、ご自分の幼少期や青年時代、そしてNHK時代のエピソードも綴られていて、鈴木健二さんがどんなことを大切に生きてこられたかが分かる一冊です。

目次は以下のようになっています。

第1章 生身の戦争                           (桜からのメッセージ
兵隊さんが吹くラッパの音
戦争は突然始まる ほか)
第2章 感動なしに人生はありえない                   (うなぎ屋の縁
下町の人情
命の種 ほか)
第3章 テレビ界最後の職人                       (優しさと勇気、そして気配り
大病を患って
ドイツ取材で得たもの ほか)




コメント