岩手県盛岡市在住の作家、くどうれいんさんの「氷柱(つらら)の声」が第165回芥川賞にノミネートされました!
くどうれいんさんは盛岡市で会社員として働きながら文芸活動を続けている26歳の女性です。
このくどうれいんさんの芥川賞ノミネートは大きな反響を呼び、地元、岩手めんこいテレビでのインタビューがYouTubeで公開されました。
すごいですね!
今回は、そんなくどうれいんさんのwikiプロフィールと経歴、会社、出身大学と高校についてお伝えします。
その他の第165回芥川賞候補者についてはこちらをどうぞ。
くどうれいんのwikiプロフィール
それではまず、くどうれいんさんのプロフィールをまとめておきます。名前 工藤玲音(くどうれいん)生年月日 1994年出身地 岩手県盛岡市
2018年 エッセイ集「わたしを空腹にしないほうがいい」出版
2020年 エッセイ集「うたうおばけ」出版
2021年 歌集「水中で口笛」出版
同年 初の小説「氷柱の声」が「群像4月号」(講談社)に掲載される
同年6月10日 同作が第165回芥川賞候補作に
同年7月 同作が単行本として出版予定
くどうれいんの経歴
くどうれいんさんのこれまでの経歴も見ていきましょう。
くどうれいんさんは1994年に岩手県盛岡市に生まれました。
現在、26歳です。
くどうれいんさんの誕生日は残念ながら分かりませんでした。
もし分かったら、こちらでお伝えしますね。
「れいん」って個性的な名前ですよね。
実はこれは本名で、ペンネームはひらがなですが、本名は「玲音」と書きます。
くどうれいんさんが生まれた時に霧雨が降っていたのですが、れいんさんの父親が直感的にひらめいて、親族の反対も押し切り「玲音(れいん)」と名付けたそうです。
小学生の時は、あることがきっかけで本名がニュースに載り、いろいろとネット上で悪口を言う人もいたらしいですが、たぶん、れいんさんは今、ご自分の名前が好きなんだと思いますよ。
だって、ペンネームにもしているからですね。
くどうれいんさんが、文学の世界に飛び込んでいったのは、中学時代に母親に連れられて参加した地元の俳句会がきっかけだったそう。
俳人しかいない俳句会に母親が所属していたけど、仕事が忙しくなり、くどうれいんさんが、母親に言われて俳句を書くようになりました。
母親が「娘の作品です」と俳句会に参加している方々へ披露したところ、たいそう喜ばれ、俳句会に参加する時には娘同伴でと言われたそうです。
それからは、母親とともに俳句会に参加するようになりました。
くどうれいんさんは、中学時代から高校、大学へ入学しても俳句や短歌を書き続けました。
しかし、東北大学の短歌会に参加したら、参加者の短歌を聞いても理解できず困ったそうです。
ところが、くどうれいんさんは、短歌をやり続けたら他の人の短歌の内容を理解できるようになると思い、諦めずに続けました。
確かに短歌は、分かる人にしか分からないですよね。(汗)
くどうれいんさんは、オリジナルの俳句や短歌を作ることにこだわりを持っていました。
そのこだわりというのは、それを聞いた全員が分かるような俳句や短歌ではなく、たった一人だけに聞かせるものを目指すということでした。
くどうれいんさんが16歳から26歳まで書き続けてきた俳句や短歌を綴った「ショート・ショートの宝箱」という共著にはその思いがしっかりと現れているのでしょうね。
だから、読んだ人の心に刺さるのだと思います。
くどうれいんさんが作品を執筆する時に心がけていることは、
「みんなのわからない言葉は使わない」
「みんなが知っている言葉でまだ誰も書いていないことを書く」
ということです。
くどうれいんさんの著書の大部分はひらがなでつづられた作品なんですよ。
そして、初の小説「氷柱の声」が第165回芥川賞の候補になりました。
「氷柱の声」は、東日本大震災を題材にして、高校生だったくどうれいんさんご自身の成長を書き綴った作品です。
「氷柱の声」は7月に単行本が出版される予定です。
こちらから予約できます。
氷柱の声 / くどうれいん 【本】
現在、くどうれいんさんは、岩手県盛岡市渋民に住んでいて、普段は会社員として働き、その合間をぬって執筆活動を続けています。
それから何と、6月16日発売の「anan」の「心地よく、ハッピーなココロの整え方。癒しの法則」という特集に文章を寄せておられ、今大きな話題になっています!
くどうれいんの会社はどこ?
くどうれいんさんが会社員であることは分かっていました。ところが、勤務先については岩手県盛岡市の会社員とだけでそれ以上のことは、残念ながら分かりませんでした。くどうれいんさんの勤務先について、情報が入りましたら、こちらに追記しますね。
それにしても会社勤めを続けながら、素晴らしい作品を次々に生み出すって、本当にすごいことですね!
くどうれいんの出身大学と高校について
くどうれいんさんの出身大学と高校についてもまとめてみました。くどうれいんさんの出身高校は盛岡第三高校です。くどうれいんさんは盛岡第三高校の文芸部に所属していました。盛岡第三高校の文芸部は、全国高等学校文芸コンクールで上位入選するほどで、全国的にも強豪校として知られている高校です。くどうれいんさんは高校生時代にも数々の賞を受賞しています。第6回全国高等学校短歌大会(盛岡短歌甲子園2011)優勝、岩手日報随筆賞(最年少)、全国高等学校文芸コンクール優秀賞(詩部門・短歌部門・小説部門)などです。本当に素晴らしい方ですね。くどうれいんさんは、2018年から、母校、盛岡第三高校の文芸部のコーチをしています。
くどうれいんさんに指導してもらえる高校生達、すごく幸せですね。
くどうれいんさんの出身大学は宮城大学です。
くどうれいんさんは宮城大学の事業構想学部を卒業されています。
くどうれいんさんは、大学進学で宮城県仙台市へ行き、感じたことがありました。
それは、盛岡市では自分のことを知っている人はたくさんいても仙台では誰も知らない、そして自分よりもできる人がたくさんいることでした。
れいんさんは大学の仲間やいろいろな人と出会い、切磋琢磨しながら俳句や短歌を作り続けました。
そして、大学卒業後は盛岡市に戻り、会社員として働きながら執筆活動を続けています。
くどうれいんの歌集も紹介
くどうれいんさんの第一歌集「水中で口笛」 より、いくつか抜粋して紹介します。
水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく
ガーベラもダリアも花と呼ぶきみがコスモスだけはコスモスと呼ぶ
噛めるひかり啜れるひかり飲めるひかり祈りのように盛岡冷麵
ハムカツをげんきに頼むハムカツをげんきに頼むわたしを頼む
無言でもいいよ、ずっと 東北に休符のような雪ふりつもる
眠る人のあまりに自由なそのかたちを誰も知らない部首だと思う
思わず吹き出しそうな表現もあり、また郷里への愛も感じられ、なるほど「みんなが知っている言葉でまだ誰も書いていないことを書く」というくどうれいんさんのスタンスそのものだなと思いました。