原田マハの経歴とプロフィールについて!本名は?夫や兄もリサーチ!

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さん、原田マハさんという小説家をご存知ですか?

作品が映画やドラマにもなった人気の作家さんですが、美術関係のお仕事から小説家になるというユニークな経歴をお持ちの方です。

この原田マハさんの作品が昨年に続き、今年も本屋大賞にノミネートされています。

今回は、そんな原田マハさんの経歴とプロフィール、本名、そして夫や兄についてお伝えしていきます。

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原田マハの経歴とプロフィールについて!

原田マハさんは1962年7月14日、東京都小平市に生まれました。

幼い頃から絵を描くことと本を読むことが大好きでした。

お気に入りの本は「ドリトル先生」と「シートン動物記」。好きな画家はピカソですが、自分のほうが上手だと思っていたそうです(笑)

小学6年生の時、父の転勤により岡山に引っ越します。

岡山市立三門小学校、市立石井中学校を経て、私立山陽女子高校に入学。

高校時代はフォークバンドを作ったり、恋愛小説や少女マンガを書いたりと自由に過ごしていたそうです。

1981年、関西学院大学文学部に入学します。

最初はドイツ文学科に入りましたが、あまりにもドイツ語ができなくて日本文学科に転科したそうです。

1988年、飛びこみで「雇ってください」と訴えマリムラ美術館に就職。

1990年5月に結婚。
マリムラ美術館を退職し、アートマネジメント学校のディレクターとなりますが、給料が安すぎるため伊藤忠商事に移ります。

この時も飛び込みでプレゼンして、その度胸を買われて採用されるという強運の持ち主です。

1994年、早稲田大学第二文学部の美術史科を学士受験し、みごと合格。

1995年、森ビルの森社長の誘いを受け、伊藤忠商事を退職して株式会社森ビルに入社し、森美術館の設立準備に携わります。
1996年、早稲田大学を卒業。学芸員の資格を取得します。

1999年、森社長からの指示で通訳学校に入学。ビジネス通訳初級を獲得し、森社長の通訳を務めるそうです。

2002年、40歳にして、一番やりたいことをやろうと、何の展望もない中、森ビルを度胸で退職し独立。

2004年、「CET04 VISION QUEST」という展覧会を立ち上げて、2万人を動員します。

そしてその年、取材で訪れた沖縄で、運命の出会いが待っていたのです。

伊是名島に渡り、浜辺で遊ぶ男性とラブラドール犬に出会う。もちまえの好奇心から、「何て名前のワンちゃんですか」と聞いたところが、「カフーっていうんです」と。「どう言う意味ですか?」「沖縄の言葉で、『幸せ』という意味です」・・・・・・
その瞬間、何かが、どーんと下りてきた。沖縄の離島の浜辺で、幸せという名の犬に出会ってしまった・・・・・。
帰りのレンタカーの中で、すっかり小説のプロットができあがっていた。

もし、あの犬の名前が「シーサー」だったら、小説を書くことはなかっただろう。飼い主の名嘉民雄さんの名付けセンスに感謝。

引用元 http://haradamaha.com/profile/

こうして小説家への道が開かれます。

2005年9月、処女作「カフーを待ちわびて」が完成します。

その年の10月には「CET05 Office Vacant」が始まり。5万人の動員を記録。

11月30日に「カフーを待ちわびて」が日本ラブストーリー大賞を受賞
2006年、同作で小説家デビューを果たします。

原田マハさんはご自分の人生を「度胸と直感」と言われていますが、本当にその通りですね。

原田マハさんの度胸と直感に拍手喝采!

受賞歴は以下の通りです。

2005年 「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞。

2012年 「楽園のカンヴァス」で第25回山本周五郎賞を受賞。

同作で第147回直木賞候補、第10回本屋大賞第3位に。

同年「キネマの神様」で第8回酒飲み書店員大賞を受賞。

2013年 「ジヴェルニーの食卓」で第149回直木賞候補に。

2016年 「暗幕のゲルニカ」で第155回直木賞候補に。翌年、本屋大賞6位になります。

2017年 「リーチ先生」で第36回新田次郎文学賞を受賞。

そして、「たゆたえども沈まず」で2018年本屋大賞にノミネートされます。

「カフーを待ちわびて」と「ランウェイ☆ビート」、「でーれーガールズ」は映画化され、「本日は、お日柄もよく」はテレビドラマに、「アイのリラ〜一分間だけ」は漫画にもなります。

また「maha」の名でケータイ小説も執筆しておられます。

すごくエネルギーのある方ですね。



本名は?


「原田マハ」はペンネームです。

「マハ」というのは、フランス最大の画家と言われるフランシスコ・ゴヤの作品

「着衣のマハ」、「裸のマハ」からとったそうです。

さすが、美術に造詣の深い原田マハさんですね。

もう一つ、ピカソと愛人との間に生まれた子供が「マハ」という名前だったそうです。

子供の時からピカソが好きだった原田マハさんは当然そのことを知っておられますから、これも名前の由来の一つになっていると思われます。

小説家である兄は原田宗典さんなので、「原田」は本名だと思います。

しかし、下のお名前は公表されていません。

もし情報が見つかりましたら、またこちらに追記させていただきますね。



夫は?

原田マハさんは1990年5月、28歳で結婚されます。

夫は一般の方で公表はされていません。

でも、結婚してからも自分の思うことをどんどんやってしまう原田マハさんを妻にした方なので、きっととても理解があり、包容力のある方なのだろうと思います。

夫も子供の頃から読書が好きな人だったようで、何度も読んでボロボロになった吉川英治さんの「三国志」を持っておられました。

原田マハさんは夫に勧められて、最初は気が進まなかったものの、32歳の時にやっと「三国志」を読んだそうです。

そうしたらすっかりハマってしまって、3か月間は「三国志」のことしか頭になかったということです。

あまりのことに、勧めた夫もびっくり仰天だったそうです。

兄もリサーチ!

兄は有名な小説家である原田宗典さんです。

原田マハさんと兄は、幼い頃、競争して本を読んでいたそうです。

そんな兄が子供の頃からの夢を叶えて、1987年に小説家としてデビューします。

原田マハさんは兄の根性と才能にびっくりしたと言われていますが、幼い頃から一緒に過ごした兄の小説家デビューを、きっととても誇らしく感じたことでしょう。

兄、原田宗典さんは、代表作「スメル男」、「やさしくって少しばか」などの小説や戯曲、エッセイなど多数の著書がある人気作家さんです。

しかし、2013年、54歳の時、覚せい剤取締法違反などの罪で逮捕されます。

兄は躁うつ病にかかり、人知れず苦しんでいたのでした。

原田マハさんはそんな兄の社会復帰を支えていく決心をします。

現在、兄、原田宗典さんは執筆活動を再開しておられます。

また躁うつ病であることを公にし、その関連の書物も出しておられます。

それから、「鼻の下研究所」や「王様鑑賞友の会」などユニークな私設機関を立ち上げておられます。

原田マハさんの兄は、きっと繊細さと面白さを併せ持った方なのだろうと思います。

まとめ

今回は、原田マハさんについてお伝えしました。

なかなかユニークな人生を歩まれている方ですね。

今回の本屋大賞候補のタイトルでもある「たゆたえども沈まず」という言葉は、フランス、パリ市の標語で「揺れるけれども決して沈まない。」という意味なのだそうです。

この作品は、日本美術の影響を大きく受けた巨匠ゴッホの生涯が史実と想像を織り交ぜて描いてある、とても興味深い一冊です。

2018年本屋大賞の発表はいよいよ今日4月10日(火)の午後7時から。

さあ、誰の本が大賞に輝くのでしょうか?



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