皆さん、羽田空港が、2021年も世界一清潔な空港に認定されました!
これで6年連続、「世界一清潔な空港」に選ばれたんです。
そこには清掃員、新津春子(にいつ はるこ)さんの並々ならぬ努力がありました。
新津春子さんはNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で2度も紹介され、大反響を呼び、今や道徳の教科書にも載っておられます。
新津春子さんの清掃はただ物質的な清掃ではなく、思いやりの心に溢れ、生き方そのものなんです。
多くの人にこれほど感銘を与える新津春子さんとは一体どのような方なのでしょうか?
今回は新津春子さんの経歴や掃除を依頼する方法、夫や子供について調べてみました。
新津春子の経歴とプロフィール
経歴
それではまず新津春子さんの経歴を見ていきます。
新津春子さんは1970年、中国の瀋陽(しんよう)に生まれました。
現在49歳です。
瀋陽はかつて日本が占領していた旧満州にある町です。
新津春子さんは日本人で中国残留孤児の父親、一郎さんと中国人の母親、俊子さんとの間に生まれました。
新津春子さんの中国での名前は郭 春艶(カク シュンエン)さんと言われます。
新津春子さんは小さい頃はおとなしくて、人と話すのが苦手だったそうです。
でもスポーツが好きで体力はあったそう。
兄弟は3人で、2歳上の姉が家事を全てやっていたので、新津春子さんはハンカチを洗ったこともなかったそうです。
そんな新津春子さんでしたが、学校に行くと「日本人」と言われて差別され、いじめを受けていました。
1972年、日中国交正常化が実現し、父の願いによって1987年、新津春子さん17歳の時に家族5人で日本に移住しました。
一家は日本での姓を、日中国交正常化に努力した田中角栄元総理にあやかって田中とすることとし、新津さんの名前は田中春子となりました。
新津春子さんは東京都内の高校に編入しましたが、日本語が話せず、また今度は「中国人」と言われていじめを受けます。
中国では「日本人」、日本では「中国人」と言われ差別されるなんて、本当に悲しいことです。
また日本の物価が高く、一家の家計は苦しくなっていきました。
新津春子さんは家計を助けるために清掃のアルバイトを始めました。
偶然、清掃員募集の張り紙を見て、これなら日本語ができなくてもやれると思ったからです。
新津春子さんは高校に通いながら、平日は朝と夜、長期の休みには一日に3つほどの仕事をこなしました。
仕事をする上でも、中国人として差別を感じたり、清掃員ということで下に見られたりすることがありましたが、新津春子さんはそのことを恥ずかしいと思ったことはなく、逆に清掃という仕事にやりがいを感じるようになりました。
高校卒業後、新津春子さんは音響メーカーに就職します。
しかし、清掃員のアルバイトは辞めずに続けていました。
そのうちに清掃の仕事を極めたいと思うようになり、東京都品川区の職業職業技術専門校で清掃の知識や技術を学び始めました。
清掃にかける意欲と情熱がすごいですね!
そして、新津春子さんは音響メーカーを退職し、1995年、25歳の時に日本空港テクノ株式会社に入社し、羽田空港の清掃員になりました。
入社する時もスムーズではありませんでした。
男性しか募集していないと言われ、男女平等の社会で育った新津春子さんは納得できず、何度も交渉してやっと入社することができました。
翌1996年、ビルクリーニング技能士の国家資格を取得。
また清掃作業監督者の資格も取得します。
翌1997年、全国ビルクリーニング技能競技会東京予選で2位になります。
その時、お世話になっていた常務から「あなたには優しさがない。」と言われ、最初は意味が分からなかったのですが、「次の人が使う時のことを考え、感謝の気持ちを込めて清掃することが大切。」と言われてはっとしました。
清掃といえども、そこにも人やものへの優しさと思いやりが最も大切なことだったのですね。
それから全国大会までの2ヶ月間、新津さんは先輩の道具の扱い方や笑顔を真似て必死で練習しました。
そして全国大会で見事に優勝!
当時、最年少記録となる27歳での優勝でした。
その後、新津春子さんには人やものをじっと観察する癖がついたそうです。
あるインタビューでこのように語っておられます。
ちょこちょこと小さな歩幅でしか歩けない方がいますね。私たちにはなんてことない段差でも、そういう方はつまずいて転ぶ危険があります。仕事中に気づいてそのままにしておいて、仮にお年寄りが転んでケガをしたら絶対に後悔すると思うんです。
引用元 http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no58/08.html
これこそが本当の優しさであり、清掃の心ですよね。
私はこの一文を読んで、とても感動しました。
清掃員としての誇りを感じます。
こうして新津春子さんのおられる羽田空港は世界一清潔な空港となったのです。
現在は、ご自分でも清掃のお仕事をされながら、環境マイスターとして後輩達の指導に当たっておられます。
また「思う心」というハウスクリーニングの事業をしておられます。
掃除に関する著書も多数です。
新津春子さんは80歳まで現役で働きたいと言われています。
すごいですね!
それは、実際の行動で示して周りの人を励ましたいという気持ちからだそうです。
本当に人思いの新津春子さんなのですね。
プロフィール
こちらは新津春子さんの公式情報サイトに紹介してあったプロフィールです。
1970年(0歳) 中国・瀋陽に生まれる。
1987年(17歳) 来日。清掃の仕事を始める。
1994年(24歳) 東京都立品川高等職業技術専門校 ビル衛生管理課 修了
(現・東京都立城南職業能力開発センター)1995年(25歳) 日本空港テクノ株式会社に入社、羽田空港の清掃員となる。
1996年(26歳) 国家資格「ビルクリーニング技能士」「清掃指導監督者」等の資格を習得。
1997年(27歳) 全国ビルクリーニング技能競技会で最年少優勝。
2013年(43歳) 「世界一清潔な空港」に羽田空港が選出。
2014年(44歳) 「世界一清潔な空港」に羽田空港が選出。
2015年(45歳) 「環境マイスター」として後進の指導に当たる。
引用元 https://www.shc.co.jp/book/event/yogoreotosi/
新津春子さんに掃除を依頼する方法は?
そんな清掃のカリスマ、新津春子さんに掃除を依頼するにはどうしたらいいのでしょうか?
それは、新津春子のハウスクリーニング”思う心”から申し込むことができます。
これは新津春子さんが監修し、ご自分も掃除スタッフとして活躍されているハウスクリーニングサービスです。
ここのスタッフは、羽田空港の中にある専用のトレーニング施設で、技術だけでなく身だしなみや思いやりの精神を徹底的に教育された人達です。
依頼主のお家の汚れの状況や環境から最適な掃除法と洗剤を見極めてくれます。
サービス内容はエアコンクリーニング、キッチンクリーニング、レンジフードクリーニング、浴室クリーニングの4種類ですが、それ以外にも要望に応じて対応してくださるそうです。
見積もり訪問は無料です。
料金や詳しい内容は公式ホームページをご覧ください。
新津春子さんご本人に掃除を依頼したい場合は別途連絡をしてくださいということです。
新津春子の夫や子供について
新津春子さんは結婚されていて、夫や子供さんがおられるのか気になったので調べてみました。
そうしたら、1998年に結婚されたことが分かりました。
これは全国ビルクリーニング技能競技会で優勝された翌年です。
実は、新津春子さんは「全国ビルクリーニング技能競技会で優勝するまでは結婚しない。」と言われていたんだそうです。
見事に、ご自分の言葉を実現されたのですね!
現在の「新津」という姓は夫の姓なのですね。
また子供さんはおられないようです。
新津春子さんは、「清掃の仕事と子育てを自分は両立できないから。」と子供は作らないと決めたのだそう。
新津さんの夫もそれを了解されているのだそうです。
新津春子さんは、とにかく一つのことに徹底的に向き合う性格なのですね。
今度のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でどんなお話が聞けるのか、とても楽しみです。