PR

古市憲寿の昔の若い頃をリサーチ!家族と両親は?経歴もチェック!

芥川賞・直木賞
記事内に広告が含まれています。

さん、こんにちは。

古市憲寿(ふるいち のりとし)さんの「百の夜は跳ねて」が第161回芥川賞にノミネートされました。

前回に続いて2回目のノミネートです。

古市憲寿さんというと、情報番組のコメンテーターとして有名ですよね。

その、歯に衣を着せない発言がちょくちょく「炎上」することでも話題になります。

でもメディアでは発言の一部だけを切り取ることも多いようですから、私達は発言の真意をしっかり考えることも大事ですね。

今年の元日も、NHKの「新世代が解く!ニッポンのジレンマ 元旦スペシャル 」(午後11時から)でMCを務められました。

それから、3~5歳の教育無償化が決定しましたが、古市憲寿さんは2015年に「保育園義務教育化」という本も出しておられます。

まさに時代を読む若者ですね。

そんな古市憲寿さんって、どんな子供の頃を過ごされたのでしょうか?

今回は、古市憲寿さんの昔の若い頃、家族と両親そして経歴や出身高校と大学に迫ってみました。

<スポンサード リンク>

 




古市憲寿の昔の若い頃について

まず、古市憲寿さんの昔の若い頃のことを調べました。

古市憲寿さんは小学生の頃、クラスという閉鎖的な空間に馴染めず、学校が好きじゃなかったそうです。

それで、中学年くらいまでは学校を休みがちでした。

体を動かすのも好きではなくて、体育は見学ばかりしていたそう。

でも勉強は好きでした。

春休みに次の学年の勉強を終わらせたりしていたので、学校に行く意味あるのかなと思っていました。

よほど勉強のできる子だったんですね。

自分でも、勉強はできるんだから何も文句を言われる理由はないと開き直っていたそうです。

先生にとっては、困った子供ですよね(笑)

作文は好きで、よくコンクールに入賞していました。

高学年になると、嫌いだった学校を自分の居心地のいい場所に変えればいいんだと思い始めます。

そして小学5年生の時、学級新聞係になり、クラスにあったポイント制を利用して、クラスの世論をコントロールしようとしたそうです。

子供なのに、すごいことを思いつきますね。

古市憲寿さんって、昔からすごく頭の冴えた人だったんですね。

また図鑑が好きで、物語は読まなくて図鑑ばかり読んでいました。

そして自分でいろいろ調べて、サメ図鑑を作ったのだそうです。

そういうふうに、物事を整理して体系化することが、子供の頃から好きだったようですね。

初めて読んだ漫画は「ドラえもん」で、これも「ドラえもん」そのものが面白かったのではなく、「ドラえもんの秘密」という考察本を読み、その内容を検証したかったのだそうです。

将来、学者と呼ばれる素質は、この頃からあったのですね。

また小学校高学年の頃はゲームもよくしていました。

中学生の時はホラー小説に夢中になったそうです。

そして高校は、苦労せずに入って、入ってからも楽に過ごせるところを選びました。

なかなかクールな少年ですね。



家族と両親は?

次に古市憲寿さんの家族と両親について見てみたいと思います。

古市憲寿さんの家族は両親と祖父母と兄弟3人の合わせて7人家族です。

兄弟は、一人は2歳年下の妹さんです。

もう一人も女の兄弟のようですが、お姉さんなのか妹さんなのかは分かりませんでした。

2歳年下の妹さんは結婚されていて、2015年に赤ちゃんが生まれました。

古市憲寿さんは、この甥御さんをとってもかわいがっておられるようです。

ツイッターで甥御さんと一緒の写真を何度もアップしておられます。

古市憲寿さんのご家族は港区虎ノ門の高級マンションに住んでおられます。

古市憲寿さんの家族は、それぞれがすごく独立されていて、テレビもそれぞれの部屋で見る、食事も自分の好きな時間にすませるという感じのようです。

古市憲寿さんの両親は、父は公務員で母は専業主婦ということです。

両親は個人主義で、古市憲寿さんの進路についても、基本的には古市さんに任せておられました。

また、欲しいものは何でも買ってくれたそうです。

お金に余裕のあるご家庭なんですね。

羨ましいです。

経歴もチェック!

それでは、古市憲寿さんの経歴について見てみましょう。

古市憲寿さんは1985年1月14日、東京都に生まれました。

上述したように、裕福で、自分の意志を尊重してもらえるという恵まれた子供時代を過ごし、高校、大学に進学。

大学時代には海外留学も経験し、その後大学院にも進学。

その後は、社会学者として、また作家として、多くの提言をしていきます。

安倍内閣の「経済財政動向等についての集中点検会合」委員や自民党の「歴史を学び未来を考える本部」のオブザーバー、厚生労働省の「多様な選考・採用機会の拡大に向けた検討会」委員など、多くの重要な役職にも就かれます。

すごいですね。

作家としては、2011年、「希望難民ご一行様 ピースボートと『承認の共同体』幻想」で新書大賞7位に「絶望の国の幸福な若者たちで 第11回新潮ドキュメント賞候補に選ばれました。

2018年、初めての小説「平成くん、さようなら」が第160回芥川賞候補になります。

そして今年、「百の夜は跳ねて」で第161回芥川賞候補になられました。

また数多くのテレビやラジオ番組のコメンテーターやMCとして、独自の考えを発信し続けておられます。



出身高校と大学は?

古市憲寿さんの出身高校と大学についても見ておきたいと思います。

古市憲寿さんの出身高校は埼玉県立越谷北高等学校です。

2000年に高校に入学されました。

越谷北高校は進学指導に力を入れている難易度の高い高校なんですが、古市憲寿さんは「楽に入れるところ」ということで、この高校を選んだそうです。

驚きですね。

越谷北高校は勉強だけではなく、部活動にも力を入れていて、特にパワーリフティング部や新聞部、吹奏楽部などは全国レベルの力を持っています。

古市憲寿さんの出身大学は慶應義塾大学です。

慶應義塾大学の環境情報学部に入られました。

その理由も、すぐに専門を選ばなくていいという「ゆるさ」からだったようです。

この学部には、個性的な人がたくさんいて、とても面白かったと言っておられます。

大学入試の時も、特に受験勉強をする訳ではなく、AO入試という制度で受験しました。

AO入試というのは、高校までの成績や活動、面接などで合否を決める大学入試のやり方で、日本では慶應義塾大学が初めて導入しました。

それで、古市憲寿さんは高校での活動の評価を上げるために、詩を書いて受賞したりしたそうです。

小説ではなくて詩にしたのは、少ない文字数で書けるからだそうですよ。

いやいや、だからと言って、普通は簡単に受賞しないでしょう。

やはり古市憲寿さんは人並み外れたセンスをお持ちなのですね。

古市憲寿さんは大学2年生まではデザインに興味があったのですが、2年の後期に、ご自分が受けたかった授業を履修することができず、仕方なく社会学の授業を受けることにしました。

それが、社会学に興味を持つきっかけだったとか。

古市憲寿さんって、「目標に向かってまっしぐら!」というタイプとは正反対の生き方なんですね。

大学3年生になるとノルウェーに留学し、オスロ大学で学びます。

これも就活したくなくて楽な道を選んだのだそうです。

古市憲寿さんは、会社に入って、毎日同じような業務を繰り返す生活は耐えられないと思い、就活はしなかったそうなんです。

2007年に慶應義塾大学を卒業すると、人に勧められて東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程に進まれました。

まとめ

今回は、古市憲寿さんの今までについて調べてみました。

古市さんがここまで自由にご自分の道を歩むことができたのは、その類い希なる才能と恵まれた環境によるものだと思いました。

古市憲寿さんは、考えもなしに多数派に同調したくないと言われます。

すばらしいことですよね。

これからも、社会に向かって、いろいろな提言を発信し続けていって欲しいと思います。

芥川賞の方も期待しています!



タイトルとURLをコピーしました