皆さん、中国秘境の多くの人々の命を救った遠山正瑛(とおやま せいえい)さんという方をご存じでしょうか?
5月13日放送の「世界ナゼそこに?日本人」で紹介されるということでしたので、遠山正瑛さんの生い立ちやプロフィール、妻や子供そして本と名言について調べてみたのですが、本当にすごい方でした。
遠山正瑛の生い立ち
それでは、まず遠山正瑛さんの生い立ちを見ていきたいと思います。
遠山正瑛さんは1906年12月14日、山梨県南都留郡瑞穂村(現在の富士吉田市)に生まれました。
実家は貧しい田舎の寺で、6人兄弟の3番目として生まれた遠山正瑛さんは、小学生の時、母方の祖父母の養子になります。
祖父も寺の住職をしていましたが、明治の世になっても、腰に刀を差しているような人で、その祖父のもと、遠山正瑛さんは厳しく躾けられました。
そうやって両親と離れて暮らすことになった遠山正瑛さんですが、母が常日頃言っていた「世のため、人のために働いてくれ。」と言う言葉を生涯忘れることができませんでした。
この母の言葉が、遠山正瑛さんの生き方の基盤になったのではないかと思われます。
遠山正瑛さんは仙台の旧制第二高等学校に入学しますが、この時に、その後の進路を決定づける大事な出会いがありました。
それは高校の先輩であり、京都大学農学部の教授であった菊池秋雄先生との出会いでした。
遠山正瑛さんは日々食べるのに困るような貧しい子供時代を送ってきたので、将来は農業をやって作物を作ったら暮らしていけると漠然と考えていました。
菊池先生に、将来何をやりたいかと聞かれて、「園芸農業をしたい。」と答えたら、「それなら京都大学に来なさい。」と言われて、1931年、京都大学農学部に入学します。
入学後に、菊池先生は遠山正瑛さんに言われました。
「農学を選んだ者には、一日も休みはありません。動物や植物は一日も休みません。」
この言葉は、その後の遠山正瑛さんの大きな指針となりました。
遠山正瑛のプロフィール
京都大学を卒業してからの遠山正瑛さんのプロフィールは以下のようになっています。
大学卒業後、遠山正瑛さんは京都大学で菊池教授の助手をしていましたが、その時、外務省からの依頼の「中国の土地と農業の調査研究」に推薦され、中国に行くことになります。
1935年、29歳の時、遠山正瑛さんは初めて中国に渡りました。
遠山さんは黄河流域の農業の調査をし、その調査は内モンゴル(現在の内モンゴル自治区)にまで広がりました。
そして、生まれて初めて砂漠に入りました。
モウス砂漠と言われるその砂漠は九州くらいの大きさで、一面砂の海でした。
ここで遠山正瑛さんは思ってもいなかった発見をします。
それは不毛の地だと思っていた砂漠に花が咲いていたり、野菜が栽培されていたのです。
遠山正瑛さんは、水さえあれば、砂漠はきっといい農地になると確信し、砂漠の緑化を決心するのです。
それは他の人から見ると、大変無謀な計画でした。
遠山正瑛さんが砂漠の緑化計画を進めようとしていた矢先に日中戦争が勃発。
遠山正瑛さんはやむなく日本に帰国しました。
1937年7月のことです。
それから5年後の1942年、鳥取高等農林学校(現在の鳥取大学農学部)に赴任します。
それから40年後の1979年、「中国西域学術調査団」が結成され、遠山正瑛さんは再び中国に向かいました。
その時、遠山正瑛さん既に72歳。
普通ならとっくに引退ですよね。
でも、「やっと砂漠を緑化する夢が叶う!」と遠山正瑛さんは意気揚々でした。
しかし、中国の人々はそんな遠山さんを変人扱いしました。
それから5年後、77歳の時、遠山さんは「第一次中国砂漠開発日本協力隊」の隊長に選ばれます。
そして「近代化ブドウ園」計画を進めました。
砂漠には虫が寄りつかないので、農薬は一切必要がなく、3年後には立派な実を結びました。
遠山さんを変人扱いしていた中国の人々は驚き、遠山正瑛さんに尊敬の目を向けるようになります。
その後、遠山さんは「日本砂漠緑化実践協会」を設立します。
5年間で100万本のポプラを植え、中国の砂漠化を食い止めるためです。
そして、84歳にして、遠山正瑛さんは恩格貝砂漠開発モデル地区に移住してしまい、毎日体を動かして働きました。
遠山正瑛ってすごすぎます。
中国政府は遠山正瑛の功績を記念して、彼の銅像を建てました。
中国で生きているうちに銅像が立ったのは、毛沢東と遠山正瑛の2人だけなんだそうです。
2003年にはその功績をたたえ、アジアのノーベル賞といわれる「ラモン・マグサイサイ賞」が授与されました。
その翌年、2004年2月27日、遠山正瑛さんは97歳で逝去されました。
「自分の亡骸は中国に埋めて欲しい。」というのが、彼の遺言だそうです。
妻と子供は?
遠山正瑛さんの妻については、情報を見つけることはできませんでしたが、きっと遠山さんの意志を理解、生涯にわたって夫を支える方だったのでしょうね。
子供さんについては何人かおられると思われますが、ご長男は遠山柾雄さんと言われ、父親の意志を継いで、ザンビアでの植林計画を進められました。
本と名言も紹介
最後に遠山正瑛さんの本と名言を紹介したいと思います。
遠山正瑛さんの書かれた本は「よみがえれ地球の緑 沙漠緑化の夢を追い続けて 」という題名です。
また遠山正瑛さんは「やればできる。やらなきゃできない。続けさえすれば成功。やめた時が失敗だ。」という名言を残しておられます。
本当に、この精神、私達も遠山正瑛さんから学んで、諦めずに進んでいきたいものです。