北京パラリンピックが2022年3月4日から始まります。
日本選手団の主将は、前回、平昌パラリンピックの金メダリスト、村岡桃佳選手です。
アルペンスキーの村岡桃佳選手は、夏の東京パラリンピックにも出場した二刀流の選手で、今回もメダルへの期待がかかります。
今回は、そんな村岡桃佳選手の出身高校と大学、父母や家族、彼氏そしてプロフィールと経歴に迫ります。
村岡桃佳の出身高校と大学について
まず、村岡桃佳選手の出身高校と大学についてお伝えします。
村岡桃佳選手の出身高校は正智深谷高校です。
正智深谷高校は埼玉県深谷市にある私立高校です。
村岡桃佳選手は、本当は、早稲田大学の付属高校である早稲田大学本庄高等学院に進学したいと思っていました。
早稲田大学には名門スキー部があるので、大学進学までを見据えた選択だったのでしょうね。
しかし、当時の早大本庄高等学院の校舎はバリアフリー化が進んでいなかったので、入学を断念します。
そして深谷市にある正智深谷高校に進みました。
村岡桃佳選手の出身大学は早稲田大学です。
村岡桃佳選手はトップアスリート推薦で早稲田大学に入学することができました。
村岡選手は早稲田大学に入学後、スキー部に入部します。
早稲田大学スキー部は1920年に発足した伝統あるスキー部で、先日の北京オリンピックで活躍した渡部暁斗選手や弟の善斗選手もここの出身です。
早稲田大学スキー部に障がいを持った部員が入部するのは、村岡選手が初めてでした。
高校時代の活躍や頑張りを知っている部員たちは、全員、村岡選手を歓迎したそうです。
スキー部員は全員寮生活を送るので、監督さんが大学と折衝しながら、寮のバリアフリー化を進めたのだそうです。
寮だけではなく、村岡桃佳選手が早稲田大学に入学したおかげで、構内のバリアフリー化も進んでいきました。
そして村岡選手の存在は、障がい者に対する学生たちの意識にも変化を与えたそうです。
すばらしいことですね。
村岡桃佳の父母や家族について
次に村岡桃佳選手の父母や家族について見ていきましょう。
村岡桃花選手の父親は、村岡秀樹さんと言われます。
父、秀樹さんは水道関係のお仕事をされているそうです。
父親は村岡選手が幼い頃からコーチ代わりになり、いつも一緒に練習に付き合ってくれました。
父親、秀樹さんのスキーの腕前は趣味程度だったそうですが、当時はチェアスキーの指導者がいなかったので、父と二人で試行錯誤しながらここまでやってきたのだそうです。
村岡選手の心の中には「一人で闘っていたのではない。」という思いがあります。
村岡桃佳選手の母親は操さんと言われます。
母親の操さんは、そんな父娘を陰でずっと支えてこられたのでしょうね。
母親は、村岡選手が早稲田大学に入学し、寮のバリアフリー化が行われた時には、村岡選手と共に実際に寮を見て回られたそうです。
その結果、浴槽が深いことに気づき、村岡選手は専用の椅子を使って入浴することになります。
そんなことも幼い頃からずっと娘を大切に思い、娘の視点で周りを見てきた母だからこその気づきだったのでしょう。
素晴らしい父母があっての今の村岡桃佳選手なのですね。
また、村岡桃佳選手の兄弟姉妹についてですが、村岡選手には姉と兄と妹がおられます。
村岡選手のお兄さんは弥沙紀さん、妹さんは姫佳さんと言われます。
お姉さんのお名前は分かりませんでした。
村岡桃佳選手のご家族はとても仲が良く、みんなで桃佳選手を一生懸命に応援しておられます。
桃佳選手は、今回の北京パラリンピックで日本選手団の主将になられたので、ご家族はどんなに誇らしい気持ちでしょうね。
村岡桃佳の彼氏は?
村岡桃佳選手ははつらつとしていて、とっても可愛いですね。
村岡選手に彼氏がいるのか気になります。
でも、彼氏についての情報は探すことができませんでした。
もしかしたら意中の人がいるのかも知れませんが、今は目前に迫った試合のことで心はいっぱいのことでしょう。
どちらにせよ、パラリンピックが終わり少しゆっくりできたら、素敵な人と楽しく過ごす時間があったらいいですね。
村岡桃佳のプロフィールと経歴
最後に、村岡桃佳選手のプロフィールと経歴を見ておきましょう。
プロフィール
村岡桃佳選手のプロフィールは以下の通りです。
名前 村岡桃佳(もらおか ももか)
生年月日 1997年3月3日
出身 埼玉県深谷市
年齢 24歳(2022年2月現在)
最終学歴 早稲田大学
2014年 ソチパラリンピックに出場 女子大回転5位
2015年 IPC世界選手権 滑降2位、大回転3位
2017年 IPC世界選手権 滑降3位、スーパー大回転3位、大回転3位
2018年 平昌パラリンピックに出場 女子大回転(座位)で金メダル、他4つのメダル獲得
2021年 東京パラリンピックに出場
2022年 北京パラリンピックに出場
経歴
村岡桃佳選手は1997年3月3日、埼玉県の深谷市に生まれました。
誕生日が桃の節句だから桃佳さんなんですね。
2022年2月現在24歳、もうすぐ25歳です。
村岡桃佳選手は、4歳の時に横断性脊髄炎になり、下半身が麻痺してしまいました。
それ以来、車椅子生活を送っています。
村岡桃佳選手が運動が好きで、小学2年生の時に車椅子陸上を始め、国内の大会に出場するようになりました。
そして中学3年生の時には全国障害者スポーツ大会100mと200mで優勝します。
村岡桃佳選手とスキーとの出会いは小学2年生の時、友達に誘われてチェアスキー体験教室に参加したことです。
村岡選手は体が小さく内気な子だったのですが、チェアスキーでスピードが出るのがとても楽しかったそうです。
村岡選手は、中学2年生の時、トップレベルの選手達が滑っているのを間近で見て、その猛スピードやかっこいいターンに釘付けになりました。
そして、中学3年生の時は初めて海外試合に参加し、そこで大きな刺激を受けて帰ってきます。
そこからは本気で練習に打ち込むようになりました。
2014年、高校2年生の時に出場したソチパラリンピックでは、アルペンスキー 大回転で5位に入賞します。
村岡桃佳選手は、2018年の平昌パラリンピックにも出場し、開幕式では日本選手団の旗手を務めました。
そして、開幕式の翌日、アルペンスキー女子滑降(座位)で銀メダルを獲得し、日本人メダル第1号となりました。
大回転(座位)では、平昌大会において日本選手初の金メダルを獲得し、出場した5種目全てでメダルを獲得しました!
すごいですね!
まとめ
今回は、北京パラリンピックの日本選手団主将になった村岡桃佳選手についてお伝えしました。
村岡桃佳選手は小柄で可愛らしいですが、ものすごいパワーを秘めた方ですね。
村岡選手は「次から次へ新しい課題を見つけ、終わりなき挑戦をすることが楽しく感じられる。」と語っておられます。
北京パラリンピックでのアルペンスキーの競技は3月5日(土)から始まります。