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三浦大知の生い立ちと父母について!出身中学と高校は?歌声の響も調査!

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2019年2月24日、天皇陛下在位30年記念式典が国立劇場において行われました。

そこで三浦大知(みうら だいち)さん「歌声の響」を歌われました。

皆さん、聴かれましたか?

私は本当に感動しました。

両陛下も嬉しそうなお顔で聴いていらっしゃいましたね。

これは1975年に両陛下が初めて沖縄に行かれた時に作られた曲です。

在位30年記念式典においてこの歌を選ばれたということには本当に深い意味が込められています。

そして、歌唱披露の大役に沖縄出身の三浦大知さんが選ばれたことにも大きな意味がありますね。

今回は、天皇陛下在位30年記念式典において「歌声の響」を披露した三浦大知さんについて、また「歌声の響」についてお伝えします。

沖縄については、直木賞を受賞した「宝島」の記事もご覧ください。

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【追記】

2022年の沖縄本土復帰50年に合わせて放送されている朝ドラ「ちむどんどん」の主題歌「燦燦」が素敵です。

三浦大知さんの歌声に、毎朝、心が癒やされています。

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三浦大知の生い立ち

(Pixabayのczijp0による画像です)

まず三浦大知さんの生い立ちを見ていきたいと思います。

三浦大知さんは1987年8月24日、沖縄県に生まれました。

現在31歳、身長は175cmです。

三浦大知さんは幼い頃からダンスが好きで、よくテレビアニメの主題歌に合わせて踊っていたそうです。

それを見た母親が沖縄アクターズスクールに通わせてくれるようになります。

6歳の頃です。

沖縄アクターズスクールと言ったら、あの安室奈美恵さんが所属していたことで有名になったところですね。

その後大阪や横浜などにも進出しましたが、現在は沖縄校のみとなっています。

三浦大知さんは、その沖縄アクターズスクールまで、自宅からバスで90分もの道のりを通い、ダンスや歌の練習をするようになりました。

また、同じ6歳の時に初めて自分のCDを買いますが、それがマイケル・ジャクソンのアルバムで、三浦大知さんは自分もマイケルのようになりたいと思ったのだそうです。

1997年、9歳の時、スクールの練習生で結成されたグループ「Folder」のメインボーカルに選ばれ、「DAICHI」という芸名でデビューします。

「Folder」のメンバーの中には満島ひかりさんもおられました。

その後、変声期を迎え、スクールを1年間お休みします。

その間はダンスの練習に専念したそうです。

中学校ではバレーボール部で活躍していたということですから、本当に活動的だったんですね。

その後、ニューヨークに留学し、帰国してからはピアノやギターを独学で始めます。

そして、2005年、芸名を本名の「三浦大知」にしてソロデビューを果たします。

それから今日に至るまでは、以下のように本当に輝かしい歩みを続けておられます。

2012年、日本武道館公演成功。

2013年、横浜アリーナ公演成功。

2014年、ヨーロッパ最大の音楽授賞式「2014 MTV EMA」においてベスト・ジャパン・アクトに選出される。

2017年、「EXCITE」でオリコン週間シングルチャート1位を獲得。

同年、国立代々木競技場第一体育館公演成功。

同年、「第50回日本有線大賞」において有線音楽優秀賞を、「第59回輝く!日本レコード大賞」において「EXCITE」が優秀作品賞を受賞。またNHK紅白歌合戦に初出場。

2014年から2017年まで、ミュージックビデオの祭典「MTV VMAJ」において、ベストR&B賞を4年連続で受賞。

2018年、大阪城ホール公演、2日間では初めてとなる日本武道館公演成功。

同年、初めてのベストアルバム「BEST」を発売。

2019年2月24日、天皇陛下在位30年記念式典において、「歌声の響」を歌唱披露。



父母について

それでは三浦大知さんの父母について見てみましょう。

三浦大知さんの父母は三浦友和さんと山口百恵さんではという噂がありますが、これは全くのでたらめです。

お名前が似ているのと、百恵さんの息子さんも音楽活動をされているということで、こんな噂が広まったようですね。

三浦大知さんの父母はお二人とも沖永良部島のご出身だそうです。

三浦大知さんはそんな父母のもとで生まれ、一人っ子として育ちました。

そのため、父母は三浦大知さんを異年齢の子供達で構成されているクラスのある幼稚園に通わされました。

それで三浦大知さんは兄弟のような関係も学びながら育つことができました。

父母と大知さんはとても仲がよく、大知さんが幼い頃は父親の膝がソファー代わりだったそうです。

三浦大知さんの父親は自衛官で転勤が多く、家族は広島や神奈川など、いろいろなところに住まわれています。

また父親は相撲がとてもお好きで、ご自身も沖縄の相撲大会に出場されていたそうです。

それから父母ともに音楽が大好きな方達なのでしょうね。

6歳で買ったCDがマイケル・ジャクソンだなんて、そういうものに触れることのできる家庭環境だったのでしょうね。

また母親が大知さんの才能を見抜いて、幼い頃からダンススクールに通わせるなんて、すごい実行力のある母親だと思います。

そんな父母のもとで育ったから、今の三浦大知さんがおられるのですね。

ちなみに、三浦大知さんご自身も既に父親になっておられます。

三浦大知さんは2015年に結婚され、2016年12月9日に男の子が誕生しました。



出身中学と高校は?

三浦大知さんの出身中学と高校についても見ておきたいと思います。

三浦大知さんの出身中学についての情報は残念ながら見つけることができませんでしたが、三浦さんは中学校でバレー部のキャプテンをされていたそうです。

運動ができて、しかも周りに頼られる存在だったのでしょうね。

三浦大知さんの出身高校は渋谷高等学院です。

渋谷高等学院は1995年に開校した通信制のサポート校ですが、2015年に閉校しました。

三浦大知さんと同じ9期生には木下優樹菜さんがおられます。

「歌声の響」とは?

2月24日の天皇陛下在位30年記念式典において、三浦大知さんが歌った「歌声の響」は天皇陛下が作詞され、皇后様が作曲されたものです。

天皇、皇后両陛下は皇太子時代の1975年に沖縄を初めて訪問されました。

沖縄の本土返還が1972年ですから、その3年後ですね。

その時、両陛下は国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪ねられます。

全国にはハンセン病療養所が14ヶ所ありますが、先日美智子様が「全国のハンセン病療養所全てを訪ねた。」と言われていたのを聞き、私はすごく驚いたとともに感銘を受けました。

ハンセン病は以前は間違った情報で恐れられ、ハンセン病患者の人達やその家族は酷い偏見と差別に苦しめられました。

両陛下はそんなハンセン病患者や元患者の人々のことをいつも心に留めておられたのでしょうね。

ですから、沖縄に行かれた時も「沖縄愛楽園」を訪れることを忘れられませんでした。

両陛下が園を去られる時に、入所者達は沖縄の船出歌「だんじょかれよし」を歌ってお二人を見送りました。

その時の光景が陛下の心に深く刻まれ、沖縄の伝統的な琉歌によってうたを詠まれました。

それに皇后様が曲をつけられて「歌声の響」が生まれました。

「歌声の響」は沖縄愛楽園に贈られ、今も入所者の人達が歌っておられるのだそうです。

両陛下が天皇陛下在位30年記念式典での歌としてこの歌を選ばれた、そのお気持ちに深く感動します。

沖縄は第2次世界大戦時、日本で唯一地上戦が行われたところであり、今も基地問題に苦しんでいるところです。

両陛下の平和への強い願いと弱い立場の人々への思いの深さを感じます。

その歌を歌うために選ばれたのが沖縄出身の三浦大知さんでした。

三浦大知さんの「歌声の響」は温かさに溢れていて、本当にすばらしかったです。

【追記】

天皇陛下在位30年記念式典が行われた翌日の2月25日、皇居・宮殿において宮中茶会が開かれました。

安倍総理他、約840人が招待されましたが、その中に「歌声の響」を歌った三浦大知さんもおられました。



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