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河野通洋(八木澤商店社長)の妻と子供について!出身高校は?経歴もチェック!

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2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市に醤油、味噌づくりの老舗、八木澤商店があります。

そこの河野通洋(こうの みちひろ)社長は震災後、会社と工場が全壊しても社員を一人も解雇することなく、また予定していた新入社員も受け入れました。

そうやって絶対に人を切ることなく、会社を再建され、八木澤商店は今も成長を続けています。

そんな河野通洋社長とはどんな方なのでしょうか?

今回は八木澤商店社長、河野通洋さんの妻と子供、出身高校と大学そして経歴に迫ってみたいと思います。

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河野通洋社長の妻と子供について

まず、河野通洋社長の妻と子供について見ておきましょう。

河野通洋社長には妻がおられますが、具体的な情報は探し出すことができませんでした。

でも、河野通洋社長がインタビューや講演で語られたものを読むと、河野社長の妻はとてもしっかりした方で、河野社長の今があるのは妻のおかげだということが分かります。

河野通洋社長がアメリカから帰ってきて、八木澤商店を立て直そうとした時は、とても傲慢な態度で、社員の気持ちも考えなかったのだそうです。

結果、社員達からの信頼を失い、相手になれなくなりました。

その時、妻に「まずは自分が悪かったというところに立たないと何も変わらない。」と言われたのだそうです。

またある時、妻は「会社を悪くしているのはあなたよ。会社のみんなは必死に良くしようとしているのに。」と言った後で、河野通洋社長に謝られたのだそうです。

妻は心の底から、夫である河野通洋社長と八木澤商店を思う方なんですね。

厳しい言葉は本物の愛情の裏返しですね。

また河野通洋社長には3人の子供さん達がいらっしゃいます。

こちらも具体的なことは分かりませんでしたが、後述する「奇跡の醤」が完成し、河野社長の妻がそれで作った料理を出したら、子供さん達が「これは生揚醤油で作ったんでしょ?」と聞いたのだそうです。

さすが、老舗「八木澤商店」の子供さん達ですね。

人は食べ物でも宝石でも、本物に触れることによって、本物が分かるようになると言いますが、河野通洋社長の子供さん達は幼い頃から本物の味噌、醤油で育ってきたので、すぐに分かったのでしょうね。



河野通洋社長の出身高校と大学は?

次に河野通洋社長の出身高校と大学についても見ておきます。

河野通洋社長の出身高校は地元の岩手県立高田高校です。

高田高校には普通科と海洋システム科がありますが、2011年の東日本大震災による津波で甚大な被害を受けたそうです。

4年前に新校舎が完成し、今は新しい校舎で授業が行われています。

河野通洋社長は高校時代に「アフリカの砂漠を緑化したい。」という大きな夢を抱くようになります。

今もその夢は変わっていないそうです。

高校時代に、何か砂漠のことを知り考える機会があったのでしょうね。

河野通洋社長は今、いろいろなところで講演をしておられますが、中学校に呼ばれて中学生に向かってお話をされることもあるようです。

そんな時に、ご自分のことに触れながら、夢を持って高校に行くことの大切さを語っておられます。

河野通洋社長は高校を卒業すると日本の大学には進まずにアメリカコロラド州のレッドロックスコミュニティカレッジに入学します。

ご自分の夢の実現のためにアメリカの大学を選び、そこで砂漠の緑化について学ばれました。

そしてアメリカでの大学生活を送っていらっしゃいましたが、23歳の時に、父親が脳梗塞で倒れられたのをきっかけに帰国されました。



河野通洋社長の経歴とプロフィール

それでは河野通洋社長の経歴とプロフィールを見ていきたいと思います。

経歴

河野通洋社長は1973年6月24日、岩手県陸前高田市に、老舗八木澤商店の長男として生まれました。

現在、45歳です。

河野通洋社長は子供の頃から父親に「店を継ごうとは思わなくていい。生きたいように生きなさい。」と言われていました。

河野通洋社長は高校卒業後アメリカに留学されましたが、父親が病気に倒れたのをきっかけに帰国されます。

父親はその時、「おれのために帰らなくてもいい。おまえは自分の夢を追え。」と言ってくださったのですが、河野通洋社長は「自分は夢をあきらめた訳ではない。父の後を継ぐという新たな夢が生まれただけだ。」と思われたのだそうです。

河野通洋社長も父親も何て優しく立派な方達でしょうか。

1997年、経営者としての修行のために岩手観光ホテルに入社。

父親は回復されて、八木澤商店の第8代目社長を続けられました。

1999年に後継者として八木澤商店に入社。

河野通洋さんは将来9代目にある人ではありましたが、平社員からスタートし、しばらくしてから部長になられました。

部長になって、順調だと思っていた八木澤商店の経営が厳しい状況にあることを知ります。

河野通洋さんは会社を建て直すために徹底的な合理化を図り、会社の状況は上向きになります。

しかし、河野通洋さんは社員の言うことを一切聞こうとしなかったので、互いの信頼関係は崩れ、社員達の労働意欲は低下していったのです。

河野通洋さんは社内の冷たい空気を何とかしたいと、いろいろな勉強会に参加するようになりました。

そしてある勉強会で、変わらなければいけないのは自分だと気づかされます。

それから河野通洋さんは社員の声に積極的に耳を傾けるようになりました。

社員との信頼関係は次第に回復していき、社員達も自分の意見をどんどん言うようになっていきました。

そんな時に東日本大震災が起きるのです。

八木澤商店も工場も津波にのみ込まれ、全壊してしまいました。

せっかく社員達との絆も深まり、ともに築き上げてきた会社がなくなってしまい、河野通洋さんはどんなにショックだったことでしょう。

それだけでなく、ご自宅も全壊だったそうです。

でも河野通洋さんは社員達の前で、会社の再建を誓い、4月から入ってくることになっている新入社員もそのまま受け入れると言われました。

会社もなくなり、地域全体が壊滅的な状況の中、新入社員を受け入れるんんて普通は考えられないことです。

しかし河野通洋さんは、人と家とが津波で流されているのを見た時に「雇用を守る!」と決めたのだそうです。

そして河野通洋さんと社員達は地域のボランティア活動を始められました。

そして4月1日、河野通洋さんは八木澤商店の代表取締役に就任します。

その間に八木澤商店の新しい拠点となる建物も見つけ、4月の始めには会社の再スタートを切ることになりました。

ところが4月7日の余震でその建物も壊れていまいます。

次に見つけた建物は陸前高田市の隣りでしたが、河野通洋さんは「必ず陸前高田市に戻る。」と誓いながら、5月1日にその地で再スタートしました。

その時、売ることのできる商品はたった4種類。

味噌醤油作りの職人さん達も一緒に必死で売り込みを頑張り、苦労しながら何とか営業を続けました。

そして2012年10月、陸前高田市に工場が完成し、会社も工場の近くに移転しました。

また河野通洋社長は自分の会社のことだけでなく、「一社も潰すな」のスローガンのもと、地域の企業のリーダーとなり、経営者達をまとめ、活動していかれたのです。

すごいですね!

そして現在は八木澤商店を一番人気の「奇跡の醤」や味噌、そしてそれらを使った調味料やソーセージ、スイーツまでを開発、販売する会社に成長されられました。

プロフィール

河野通洋社長のプロフィールをまとめておきます。

1973年 6月24日、岩手県陸前高田市に生まれる。

岩手県立高田高校卒業後、コロラド州レッドロックスコミュニティカレッジに入学。

1997年、岩手観光ホテルに入社。

1999年、八木澤商店に入社。

2011年4 月、八木澤商店代表取締役社長(9代目)に就任。

岩手県中小企業家同友会理事、復興まちづくり会社なつかしい未来創造株式会社専務取締役を兼任。

奇跡の醤について

HiCさんによる写真ACからの写真

震災前に、八木澤商店のもろみが、微生物の研究のために岩手県釜石市の水産技術センターに預けてあったそうです。

ここの研究所はコンクリート製だったために、津波に流されずに済んだのですが、室内はがれきで一杯になっていました。

そこの研究員の一人が、たまたま、社員を一人も解雇しないだけか新入社員も受け入れようとされている河野通洋社長のことをテレビで見て、研究所にもろみがあったのを思い出し、がれきの中から密閉容器に入った4㎏のもろみを見つけ出してくれたのだそうです。

そのもろみは奇跡的に波をかぶっていませんでした。

河野通洋社長はこの4㎏のもろみを培養し、2014年11月に八木澤商店の看板商品だった「生揚醤油(きあげしようゆ)」を復活させました。

これが「奇跡の醤」です。

本当にすごい奇跡ですよね!

でもこの奇跡は、河野通洋社長の会社と人を思う心、そして決してあきらめない心があったから起きたのだと思います。

「奇跡の醤」は現在、八木澤商店の人気ランキング1位の商品です。

まとめ

今回は、東日本大震災にも負けずに、会社と社員を守った八木澤商店の河野通洋社長についてお伝えしてきました。

素晴らしい方ですね。

八木澤商店のホームページの社長のことばのところには、新渡戸稲造のこんな言葉が書いてありました。

いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常に、もう少しだと言って進むといい。やがて必ず前途に光がさしてくる。

引用元 https://www.yagisawa-s.co.jp/outline/message.html

河野通洋社長も常にこの言葉を信じて歩いてこられたのでしょうね。



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