皆
さん、こんにちは。
2019年本屋大賞候補の中に、木皿泉(きざら いずみ)さんの「さざなみのよる」が入っています。
木皿泉さんというと、テレビドラマになった「野ブタ。をプロデュース」の脚本家として知られていますね。
「野ブタ。をプロデュース」は夢中になって見た方も多いのではないでしょうか。
木皿泉さんって、実はお一人ではないってご存じでしたか?
今回は、木皿泉さんと和泉務さんとの関係について、結婚や夫について、そして名言にも迫ってみたいと思います。
木皿泉と和泉務との関係について
木皿泉というのは、もともと脚本家、和泉務(いずみ つとむ)さんのペンネームでした。
しかし、和泉務さんは後に妻となられた妻鹿年季子(めが ときこ)さんと共同執筆をされるようになり、ご自分のペンネームであった木皿泉をお二人の共作ペンネームにされました。
ですから、木皿泉さんと和泉務さんの関係は、もともとはご本人つまり同一人物だったのですが、現在は、和泉務さんは木皿泉さんの一部ということになります。
よく知られた例では藤子不二雄さんのようなものですね。
藤子不二雄は藤子・F・不二雄さんと藤子不二雄Ⓐさんの共作ペンネームです。
木皿泉という名前の由来は、「キザな和泉」から来ているそうです(笑)
木皿泉の結婚と夫は?
それでは、木皿泉さんの結婚と夫について見ていきましょう。
つまり、和泉務さんと妻鹿年季子さんの結婚についてです。
現在、和泉務さんは65歳、妻鹿年季子さんは60歳です。
お二人が結婚されてから、まだ10年ちょっとしか経っていません。
二人とも、自分は絶対に結婚しないと思っておられたのだそうです。
妻の妻鹿年季子さんは、若い頃から誰かと一緒に住んだりご飯を作ったりするのは絶対に嫌だと思っておられました。
親に勧められて何度もお見合いはしたものの、両親の喧嘩を見て育ったので、結婚が幸せなものだとは思えなかったそうです。
夫の和泉務さんはポリオの後遺症で、子供の頃から足に障がいがありました。
それで和泉務さんのご両親は結婚も大変だろうと心配しておられたそうです。
そんなお二人は1988年に出会い、そしてお互いがとても安心できる存在になっていきます。
ある時、妻鹿年季子さんが「この世に愛なんてない。」と言われたら、和泉務さんが「愛はないけど、愛は育てるもんだよ。」と答えられたそうです。
うわあ、何て深い。素敵!
そうして、二人は一緒に暮らすようになりました。
その時は二人とも30代でした。
誰かと住んだり世話をしたりするのは絶対に嫌だと思っていた年季子さんは、務さんのおかげで変わっていかれます。
務さんも、共働きの忙しい家庭で育ったので、帰った時に年季子さんがいるということが嬉しかったそうです。
そうやってお二人の楽しい時間は過ぎていきましたが、2004年に務さんが脳出血で倒れました。
務さんが52歳、年季子さんが47歳の時です。
手術が終わるのを待っている時、年季子さんは、務さんと一緒にいられることが自分にとって一番幸せなことだと気づきます。
手術後、務さんは命は助かりましたが、左半身に麻痺が残り、介護を必要とする体になりました。
これを機に、お二人はやっと正式に結婚し、夫と妻の関係になられました。
2007年1月のことです。
結婚された時は、共に暮らし始めて約15年が経っていました。
その後、介護の疲れからか年季子さんがうつ病になられます。
しかし今度は夫の務さんが不自由な体ながら、脚本のアイデアを出したりして妻を助けました。
年季子さんは夫を「とむくん」、夫の務さんは妻を「ときちゃん」と呼び合っておられます。
名言もチェック!
木皿泉さん脚本のドラマや小説の中には、見る者、読む者を励まし、明るく生きる力が湧いてくるような名言がいっぱいです。
そんな木皿泉さんの名言をチェックしていきたいと思います。
「すいか」より
20年先でも今でもおんなじなんじゃないかしら。自分で責任を取るような生き方をしないと納得のいく人生なんて送れないと思うのよ。
人はどこでも学べるということを実感したいの。遅すぎることなんてないのよ。私たちはなんでもできるんだから。
人に嫌われてもいいんですよ。矛盾してる自分を許してあげなきゃだめです。いいじゃないですかだらしなくたって。きっとあなたにも何かがあるはずですよ。
今僕がやりたいのは、世の中のことをちゃんと知るということです。名前だけじゃなくて、値段だけじゃなくて、その中身をちゃんと知るということ。ひょっとしたらその中には思いも知らない喜びがあるかもしれないということ。
才能なんかなくっても、この世にはそのままきれいな宝石箱にしまっておきたくなるような、かけがえのない瞬間があるんだと思います。それはどうしようもなく寂しい時、寂しいよねってうなずいてくれる誰かの声。暑かった一日が終わって、優しい風に吹かれる心地よさ。そんな些細なことだと思うんです。
掃除機の音もすごい久しぶりだった。お茶碗とお皿が触れ合う音とか、庭に水まいたり、台所に行って何かこしらえたり、それをみんなで食べたりさ、なんかそういうのみんな、私にはないんだよね。そういう大事なもの、たったの3億円で手放しちゃったんだよね。(3億円強盗で逃亡犯になった元OLの言葉)
「野ブタ。をプロデュース」より
あるんだ、新しく生きていける場所って。私、大きな木になれるかな。誰にも引っこ抜かれない大きな木になれるかな。
どんなやつだってさ、自信なんてないと思うぞ。おどおどして生きてると思うし。本当は自分のことで精一杯で、他人のことなんか考える余裕もなくてさ。だから、怖がる必要なんて全くないんだからさ、まずは良く思われようなんて考えないで、自分はここにいるんだってことをみんなに分からせようぜ。
俺のカッコイイとことか情けないとことかくだらないとことか、全部知ってくれてる人がさ、世の中のどこかにいると思うだけで俺はいいの。それで十分なの。
「人は試すもんじゃないよ。」
「試すもんじゃないなら、何するものなの?」
「育てるもんだよ。愛を持って。」
人を助けられるのは人だけなのかもしれない。誰かがいれば、取り返しのつかない場所からでも戻ってこれる。ここにいる限り、俺は道に迷うことはないだろう。
「Q10」より
人間にはリセットボタンはありません。だから人間はやり直したいとき、助けを呼ぶのですね。
大声で叫ぶと必ず助けてくれます。それが人間のルールです。
同じ風は二度と吹かない。その中で俺たちは生きている。人はなれるものになるんじゃなくて、なりたいものになる。
今わかった。この世のほとんどはどうでもいいこととどうにもならないことでできている。それは俺たちがどうせとか言っているうちにどんどん膨らんでいって、ありとあらゆるものをバラバラにしてしまう。だから大切なものは心から大切だと思うものはチリチリにならないようにしっかりと抱きしめて二度となくさないように努力して、いつかはなくなると分かっているけど努力して・・・
「さざなみのよる」より
お金に変えられないような、そんな仕事をするんだよ。みんなが喜ぶような、読んだ人が明日も頑張ろうって思うようなさ、そういう本を作りなよ。
もどりたいと思った瞬間、人はもどれるんだよ。
よいことも悪いことも受け止めて、最善をつくすッ!
お金にかえられないものを失ったんなら、お金にかえられないもので返すしかない。
最初はね、物真似でも何でもいいんだよ。最終的に自分がなりたいものになれれば、それでいいんだよ。
だからぁ死ぬのも生きるのも、いうほどたいしたことないんだって。
まとめ
今回は木皿泉さんこと、和泉務さんと妻鹿年季子さんご夫妻についてお伝えしてきました。
いかがでしたか?
体が不自由になったり、うつ病になったりと、そんな大変な状況で、多くの人を喜ばせ、元気にする作品を作り続けておられるお二人。
人から見たらきつい状況ですが、お二人は自分たちに与えられた人生を謳歌されているようですね。
本当にすばらしいです。
2019年本屋大賞の発表は4月9日(火)です。
結果を楽しみに待ちたいと思います。