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平野啓一郎の経歴について!結婚と妻は?子供も調査!

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皆さん、こんにちは。

平野啓一郎(ひらの けいいちろう)さんという小説家をご存じですか?

大学時代に華々しくデビューし、その後、モデルの春香さんの夫になられた方です。

その平野啓一郎さんの「ある男」が2019年本屋大賞にノミネートされました。

今回は平野啓一郎さんの経歴や結婚と妻、子供そして出身中学、高校、大学についてお伝えしていきます。

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平野啓一郎の経歴

では、平野啓一郎さんの経歴について見ていきたいと思います。

平野啓一郎さんは1975年6月22日、愛知県蒲郡市に生まれました。

現在、43歳です。

平野啓一郎さんが1歳の時、父親が心臓の病気で亡くなります。

父親は36歳でした。

その後、母親の実家がある福岡県北九州市八幡に移り、18歳までをそこで過ごします。

子供の頃、平野啓一郎さんは外で野球やサッカーをするのが好きで読書は嫌いだったそうです。

でも作文は得意で、よく賞をもらっていました。

中高時代は学級委員をしていましたが、おしゃれに興味があって、髪型や服装などいろいろと自分でも校則違反をしながら、同級生の風紀指導をしていたのだそうです(笑)

平野啓一郎さんは中学2年の時、三島由紀夫の「金閣寺」を読んでから読書の面白さに芽生えました。

高校生の時、17歳で初めて80枚の小説を書きます。

そして大学に進学。

大学在学中の1998年、平野啓一郎さんは「日蝕」を「新潮」に投稿し、「三島由紀夫の再来」と言われるほど華々しくデビューしました。

翌年、同作で当時最年少の23歳で芥川賞を受賞します。

2005年、文化庁の文化大使に任命され、1年間をフランスで過ごします。

2008年、最年少で三島由紀夫賞選考委員になります。

同年、「決壊」で織田作之助賞候補に。

2009年、同作で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

同年、「ドーン」でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

2014年、フランス芸術文化勲章のシュヴァリエ(騎士)を授与します。

2017年、「マチネの終わりに」で第2回渡辺淳一文学賞を受賞。

2018年 、「 ある男」で第70回読売文学賞を受賞。

そして2019年、同作で2019年本屋大賞にノミネートされました。

また平野啓一郎さんは音楽が好きで、その関心はクラシック、ジャズ、ロックと広範囲に渡ります。

特にギターは「速弾きの名手」と言われる程の腕を持っています。



結婚と妻について

次に平野啓一郎さんの結婚と妻について見てみます。

平野啓一郎さんは2008年に結婚されました。

妻はモデルの春香さんです。

妻の春香さんとの出会いは、ルイ・ヴィトンのパーティーで、知人に紹介してもらったことだそうです。

二人は意気投合し、それから交際が始まりました。

交際から2年後の2008年3月29日に明治神宮で結婚式をされました。

妻、春香さんの実家は愛知県にあり、ご両親は兼業農家をされています。

春香さんは両親と祖母、4人の兄弟という大家族の中で育ったのだそうです。

今もよく帰省をされますが、平野啓一郎さんはそういうことに理解のある方だそうです。



子供も調査!

平野啓一郎さんの子供についても見てみましょう。

平野啓一郎さんには二人の子供さんがおられます。

上は女の子供さんで2011年に、下は男の子供さんで2013年に誕生されました。

平野啓一郎さんと妻の春香さんはお二人とも日々活躍されているお忙しい方達ですが、家事や子育ては二人で協力してやっておられるそうです。

買い物や掃除、子供のお風呂などは平野啓一郎さんが積極邸にやっておられるとのことです。

平野啓一郎さんすばらしい夫、父親ですね。

子供が生まれてからは、仕事をする時間帯も子供に合わせないといけなくなり、朝早く起きて書いたり、子供を寝かせてからまた起きたりと、いろいろと工夫されているようです。

それから、父親が36歳で他界したので、平野啓一郎さんは、自分も父親の歳を超えられないのではないかと不安だったそうです。

実は、私の母の実母も36歳で亡くなりました。

母は私に「36になるのが怖かった。36を超えた時ほっとした。子供達のために長生きしたいと思った。」と言ったことがあります。

若くして父母を亡くした人の思いは同じなのですね。

出身中学と高校、大学について

それでは、平野啓一郎さんの出身中学、高校、大学についても見ておきましょう。

平野啓一郎さんの出身中学は明治学園中学校です。

明治学園中学校は福岡県北九州市にあるカトリック系の私立校で、完全中高一貫校です

小学校も併設されています。

明治学園中学校は平野啓一郎さんの自宅から電車とバスを使って1時間半もかかるところにありました。

それで通学時間に本を読むようになり、三島由紀夫の「金閣寺」に大変感動したそうです。

また平野啓一郎さんは中学の頃からバンドでギターを弾き、将来はミュージシャンになりたいと思っていたそうです。

そして福岡県立東筑高校に進学します。

東筑高校は福岡県北九州市八幡にある県立高校で、俳優の高倉健さんもこの高校の卒業生です。

平野啓一郎さんは高校時代、部活にも入らすギターと本に熱中していました。

80枚の処女長編を書いたのも高校時代です。

高校2年生の時、母親が教師に言われた言葉がきっかけになり、京都大学を目指すようになります。

そして見事、京都大学法学部に合格。

なぜ文学部ではなく法学部かと言うと、自分も小説を書いているのに文学の研究をするのはどうだろうと思ったからだそうです。

それから平野啓一郎さんの家系は公務員や医師が多く、親や親戚から理系に行くように勧められたのですが、理系は合わなかったのだそうです。

ちなみに平野さんの姉も医師をされています。

大学時代はバーでのアルバイトと軽音楽サークル、小説の執筆などが忙しかったそうです。

そして平野啓一郎さんは小説家になりたいと思い始め、大学在学中に「日蝕」でデビューすることになるのです。

その頃はヘヴィメタルをやっておられ、「茶髪でピアスの京大生」ということで話題になりました。

今の平野啓一郎さんからは想像がつきませんね。

まとめ

今回は2019年本屋大賞にノミネートされた平野啓一郎さんについてお伝えしてきました。

平野啓一郎さんはご自分の公式サイトに次のように書いておられます。

『透明な迷宮』以来、「ページをめくる手が止まらない」小説ではなく、
「ページをめくりたいけどめくりたくない、
ずっとその世界に浸りきっていたい」小説というのを考えてきました。
何かとくたびれる世の中ですが、小説を読むことでしか得られない精神的なよろこびを、改めて、追求したいと思っています。

引用元 https://k-hirano.com/

これからも妻と子供さん達を大切にされながら、私たちに小説を読む喜びを提供し続けて欲しいものです。

2019年本屋大賞の発表は4月9日(火)です。

楽しみですね。



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