作家の馳星周(はせ せいしゅう)さんをご存じですか?
馳星周さんはデビュー作の「不夜城」がベストセラーになり、以降、たくさんの作品を世に出して来られました。
また直木賞候補に選ばれることが多く、今回、「少年と犬」で何と7回目の直木賞候補になられました。
今回は、そんな馳星周さんの経歴とプロフィール、出身大学と高校、妻と子供そして本名に迫ってみたいと思います。
候補作「少年と犬」については、こちらをお読みください。
【追記】
馳星周さんの「少年と犬」が第163回直木賞を受賞しました。
おめでとうございます!
馳星周の経歴とプロフィール
まず、馳星周さんの経歴とプロフィールを見ていきたいと思います。
経歴
馳星周さんは1965年2月18日、北海道浦河町に生まれました。
現在、55歳です。
馳星周さんは小さい頃は病弱でした。
両親が共働きだったので、祖母に可愛がられ、祖母から絵本を読んでもらっていたそうです。
馳星周さんは本好きな少年になり、小学生の時は探偵ものを読むようになりました。
小学校の図書室の本は読み尽くして町の図書館に通うほどだったそう。
小学高学年から中学校時代は日本のSFものに夢中になりました。
高校生の時は、列車を待つ時間に駅前の本屋さんで軽ハードボイルドものをずっと立ち読みしていたそうです。
馳星周さんは高校を卒業すると上京し、内藤陳さんに誘われて新宿のゴールデン街でバーテンのアルバイトを始めました。
大学を卒業してから出版社で編集者を務め、その後フリーライターをされていたのですが、バブル崩壊の影響などもあり、仕事が少なくなりました。
馳星周さんは、自分にはものを書く仕事しかないと思い、それで小説を書くことにされました。
そして1996年8月、「不夜城」で小説家デビューを果たされます。
「不夜城」はベストセラーになり、第116回直木賞候補になりました。
デビュー作がベストセラー、しかも直木賞候補ってすごいですね!
以後、「夜光虫」、「M」、「生誕祭」、「約束の地で」、「アンタッチャブル」と、馳星周さんの作品は度々直木賞候補となります。
そして、「少年と犬」で第163回直木賞候補に。
直木賞候補になるのは、これで7回目です。
馳星周さんは小説だけではなく、ゲーム評論家としても活躍されています。
また葉巻の愛好家としても知られていて、「月刊プレイボーイ」で「俺流シガー読本」を連載されています。
それから大の犬好きで、飼い犬のために軽井沢に別荘を購入したそう。
今も一日に3回、犬と散歩をされるそうです。
10年程前から登山もされています。
馳星周さんって本当に多趣味な方なのですね。
プロフィール
馳星周さんのプロフィールを以下にまとめておきます。
生年月日 1965年2月18日
出身地 北海道浦河町
年齢 55歳
横浜市立大学文理学部仏文科卒業
1996年 「不夜城」でデビュー。
1997年 同作で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。第116回直木賞候補に。
1998年 「鎮魂歌―不夜城II―」で日本推理作家協会賞を受賞。
1999年 「漂流街」で大藪春彦賞を受賞。
同年 「夜光虫」で第120回直木賞候補に。
2000年 「M」で第122回直木賞候補に。
2002年 「ダーク・ムーン」で第15回山本周五郎賞候補に。
2004年 「生誕祭」で第130回直木賞候補に。
2007年 「約束の地で」で第138回直木賞候補に。
2015年 「アンタッチャブル」で第153回直木賞候補に。
2020年 「少年と犬」で第163回直木賞候補に。
馳星周の出身大学と高校は?
次に馳星周さんの出身大学と高校について見てみましょう。
馳星周さんの出身大学は横浜市立大学です。
馳星周さんは横浜市立大学の文理学部を卒業されています。
横浜市立大学は神奈川県横浜市にある公立大学です。
横浜市立大学は何度も学部の統合や改組があっていて、現在、文理学部はありません。
横浜市立大学の出身者を調べたら、セブン&アイ・ホールディングス創業者の伊藤雅俊さん他、大手企業の元社長さん達がたくさんおられました。
また歌手の平井堅さんも横浜市立大学の出身です。
馳星周さんの出身高校は北海道苫小牧東高校です。
北海道苫小牧東高校は北海道苫小牧市にある道立の高校です。
苫小牧東高校はアイスホッケー部と野球部が全国レベルのようです。
馳星周さんは、ここから家に帰る列車を待つ長い時間に毎日たくさん読書をされていたのですね。
馳星周の妻や子供について
馳星周さんは結婚して妻や子供がいらっしゃるのでしょうか?
馳星周さんには20年以上ものお付き合いの末に結婚された妻がおられます。
二人が知り合った頃、妻は会社勤めをされていたので、馳星周さんが食事の用意をされるようになったそうです。
今でも食事は馳星周さんが作っておられるようですよ。
いいですねえ。
また、妻のご実家は運送屋さんなので、馳星周さんの膨大な量の本を、妻のご実家の倉庫に置いているのだとか。
馳星周さんには子供さんはおられないようです。
馳星周さんは「自分はいい親にはなれない。」と思っていらっしゃって、子供をつくる予定はないのだそう。
それで、馳星周さんは妻と犬との暮らしを楽しんでおられるようです。
著書「走ろうぜ、マージ」は、癌で余命3ヶ月になった愛犬マージを馳星周さんと妻が介護した日々を綴ったものです。
このマージの最後の夏のために、軽井沢に別荘を買われたんですね。
馳星周の本名は?
馳星周さんの本名についても触れておきますね。
馳星周さんの本名は坂東齢人(ばんどう としひと)さんと言われます。
齢人さんって珍しいお名前ですけど、馳星周さんのご両親がウラジーミル・レーニンを尊敬しておられるので、そこから付けられました。
それで「れいにん」とお読みすることもあるそうです。
ついでに、ペンネームの「馳星周」ですけど、こちらはご自身が大ファンである香港の映画監督で俳優の周星馳(チャウ・シンチー)の名前を逆にしたものです。
周星馳さんは、日本では映画「少林サッカー」で有名になった方です。
周星馳さんは現在58歳。
写真を見ると、馳星周さんと何となく似てらっしゃいます。
ちなみに、馳星周さんは香港でも有名で人気なんだそうです。
まとめ
今回は、「少年と犬」で7回目の直木賞候補となった馳星周さんの経歴とプロフィール、出身大学と高校、妻と子供そして本名についてお伝えしました。
最後に、あるインタビューで馳星周さんが語られている、とても印象深い言葉がありましたので、紹介させていただきます。
当時は希望なんて信じていませんでした。30代の頃の僕は生意気でしたね。人はみな一人で生きて一人で死ぬんだと思ってたから、小説もそういうものを書いていた。でも今は、希望というものを信じてるんですよ。希望がないと人は生きていけないと思うようになった。年とったからなのかな。
引用元 https://book.asahi.com/article/11570006
馳星周さん、今度こそ、直木賞を受賞されることを願っています!
【追記】
馳星周さん、第163回直木賞受賞、本当におめでとうございました!