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鈴木沙織(スキー)の経歴について!専門学校と美容師時代もチェック!

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さん、スキー フリースタイルの鈴木沙織選手をご存じですか?

1ヶ月後に迫った平昌オリンピックを目指している選手です。

美容師からオリンピック選手という異色の経歴と、何度倒れてもあきらめない、明るく前向きな姿が、今大きな注目を浴びています。

今回は、この鈴木沙織選手についてお伝えしたいと思います。

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鈴木沙織(スキー)の経歴は?

鈴木沙織選手の経歴は以下の通りです。

 

1990年1月9日生まれ。現在27歳。

出身は山形県長井市。

3歳でスキーを始める。

長井市の豊田小学校5年生の時にアルペンスキーを始める。

長井南中学卒業後、スキー強豪校、山形中央高校へ進み、その間アルペンスキーを続ける。

しかし、思うような結果を出すことができず、競技人生をあきらめ、美容専門学校へ。

2年後、美容師として働き始めるが、半年後退職し、再度スキーの道へ。競技種目はフリースタイルに転向。

2015年、ワールドカップに出場し、4位に入賞。

2016年4月、城北信用金庫(東京都)に入庫し、オリンピックを目指す。

身長は161cm。

 

この記事を書いているのは1月8日なので、明日が誕生日。明日で28歳になられます。

一度は競技人生をあきらめ、専門学校で学び美容師になったのに、心の中のスキーへの思いに再び火がつき、オリンピックを目指す選手になるなんて、持って生まれた才能と強い意志そして運命としか言えませんね。

そして、「復帰するからには世界の頂点を狙おう。」と決心し、熟考の末、アルペンスキーからフリースタイルに転向します。
その後、2度の大きなけがに苦しむのですが、それでもあきらめずに挑戦し続けているのです。

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専門学校と美容師時代をチェック!

スキーが大好きで、高校までアルペンスキーに挑戦し続けましたが、なかなか思うような結果が出せなかったのだそうです。

大学から声もかかるのですが、スキーをあきらめ、美容師になる道を選びます。

他のスポーツもそうですが、一流になるにはすごくお金がかかります。鈴木選手はこれ以上、両親に負担をかけたくないと思ったのだそうです。

そして、東京の資生堂美容技術専門学校に入学します。

でも、資生堂美容技術専門学校と言ったら、大きくて有名なところなので、そこに入学し、2年間みっちりと美容師になるための勉強をするというのは、それだけでもとてもすごいことですよね。

美容師になりたいという夢を持って専門学校に行っても、実習など、いろいろと現実の大変さからやめてしまう人も多いと聞きますので、鈴木選手は根っからのがんばり屋さんなのだろうと思います。

しかも、スキーの次の選択として美容師を選ぶということは、おしゃれに対する意識も高いということなのでしょうね。

そして2年後に晴れて美容師免許を取得し、就職が決まります。その時はきっと、とても嬉しかったのではないでしょうか。

しかし、運命は黙っていませんでした。

就職して引っ越した家の近くに室内スキー場があったのだそうです。

そこで滑った時に心の中のスキーへの情熱に再び火がついてしまったのです。

そうして両親に手紙を書き、自分の気持ちを訴え、美容師になって半年後に仕事を辞め、競技に復帰しました。

2010年、20歳のことです。

現在は城北信用金庫の職員として練習し、大会に出場しています。

大会での戦歴は?

 

スキープレイヤーとして復帰し、フリースタイルでの初めての大会は、2011年2月19日にあり、結果は優勝でした。すごいですね。

2012年3月の戸倉ビックエアでは3位。すごいことですが、本人曰く「1位以外は負け」なのだそうです。

その年の12月、初めて海外の大会に参戦します。コロラドFISレースです。ここで4位入賞。その時は「世界で戦える!」と確信したそうです。

しかし、その後アメリカで、ワールドカップに向けて練習中に右足の前十字靭帯損傷を負い、ワールドカップ出場を断念しなければいけませんでした。

翌年2月に手術し、復帰はけがから1年後の2013年12月になります。

その後、2015年には、アスペンオープン FISレースで3位、レボリューションツアー FISレースで優勝、そして3年越しに出場したニュージーランド ワールドカップでみごと4位に入賞します。

続けて2016年のマンモスマウンテン ワールドカップでも4位、レボリューションツアー FISレースで5位と快進撃を続けます。

2016年12月のカッパーマウンテン ワールドカップでも7位に入賞するのですが、翌年2月にまたしても右膝半月板損傷の大けがを負い、本当に悔しい思いをしました。

それでも前向きでいられるところが鈴木選手のいいところです。ある取材で「けがをしてしまったことは、どうしようもない事実。そのことを感謝できるようになりたい」と語っていました。本当にすばらしいですね。

リハビリの後、初めての大会が2017年12月のカッパーマウンテン ワールドカップでした。無理をしてでも戦いたい気持ちを抑え、できることを確実にやって、結果は12位。また同じところをけがすることだけは絶対に避けたいからでした。

そして今、1ヶ月後に控えた平昌オリンピックを見据えてがんばっています。

まとめ

鈴木沙織選手の好きな言葉は「流されず流れていこう自分の意思で」だそうです。

自分の意思を堅く持ち、行動に移す、でも、大けがという突然の苦難がやって来ても、それを明るく受け入れ、前を向く、まさに鈴木選手そのもののような言葉だと思います。

つらいリハビリに奮闘している姿は、闘病生活を送っている患者さん達の大きな励ましになったのだそうです。

そんながんばり屋の鈴木選手ですが、普段はおしゃれで明るい現代の女の子です。

彼女が平昌オリンピックで活躍したら、日本中の多くの人に元気を与えてくれることでしょう。

がんばれ!鈴木沙織選手!

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