昨年の4月19日、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ新法)が成立しました。
これにより、アイヌは初めて「先住民族」と認められたことになります。
国の間違った政策によって虐げられて来たアイヌの歴史がありますが、今、アイヌであることに誇りを持って、その文化を伝えている大学生がいます。
それが関根摩耶さんです。
関根摩耶さんは、今年の東京オリンピックに大きな期待を持っています。
それは今までのオリンピックの開会式等にその国の先住民が登場し、彼らに対する見方を変えて来たからです。
そんな関根摩耶さんが3月1日深夜放送の「NNNドキュメント」に取り上げられます。
今回は、この関根摩耶さんの祖母と両親、出身高校と大学そして経歴とプロフィールに迫ってみたいと思います。
また、今年、直木賞を受賞した川越宗一さんの「熱源」はアイヌの歴史について深く考えさせられる小説です。
合わせてこちらもお読みください。
作者、川越宗一さんについてはこちらをどうぞ。
関根摩耶の祖母と両親について
まず、関根摩耶さんの祖母と両親についてお伝えします。
関根摩耶さんは北海道平取町(びらとりちょう)二風谷(にぶたに)というところで育ちました。
二風谷の人口の約7割はアイヌの人々で、関根摩耶さんの祖母、貝澤雪子さんはアイヌの伝統織物の継承者です。
雪子さんは関根摩耶さんの母方の祖母で、摩耶さんが幼い頃からアイヌ文化を伝えていって欲しいと言われていました。
関根摩耶さんの父親は関根健司さんと言われ、兵庫県の出身です。
父親の健司さんは、ずっとアイヌ語を勉強し、また教えておられます。
現在は、平取町立二風谷アイヌ文化博物館の学芸員補をされています。
アイヌの映画ができた時にはアイヌ語の翻訳と監修をされました。
関根摩耶さんの母親は関根真紀さんと言われ、アイヌの工芸家です。
映画の中ではムックリという口琴を演奏しておられます。
このように関根摩耶さんの祖母と両親はアイヌの文化をとても大切にし、アイヌ語を守って来られた方達です。
関根摩耶の出身高校と大学は?
次に関根摩耶さんの出身高校と大学について見ていきましょう。
関根摩耶さんの出身高校は札幌第一高校です。
札幌第一高校は札幌市にある私立の高校です。
関根摩耶さんの故郷、平取町から札幌までは100km以上離れています。
高校時代は、周りにアイヌの人がいない環境の中で、自分がアイヌだということを言えずに過ごしていました。
しかし、高校生の時、ハワイに研修に行く機会があり、そこで出会ったハワイの先住民族出身の男性から「アイヌ民族であることに誇りを持ちなさい」と言われたことがきっかけで、自分がアイヌであることを伝えることができるようになっていきました。
関根摩耶さんは現在、慶應義塾大学の3年生です。
関根摩耶さんはは東京にある私立の大学で、皆さん、ご存じのように福沢諭吉の蘭学塾を起源とする大学です。
関根摩耶さんは慶應義塾大学の総合政策学部で学んでいます。
総合政策学部は湘南藤沢キャンパス(SFC)にあり、従来の学部とは大きく違う積極的な学びが展開されています。
関根摩耶さんはここで、先住民のことや難民の問題を考えることができています。
関根摩耶の経歴とプロフィール
最後に関根摩耶さんの経歴とプロフィールについてお伝えします。
関根摩耶さんは北海道平取町二風谷地区に生まれました。
二風谷は人口の約7割がアイヌ民族の血を引いていて、アイヌの文化が残るところです。
前述したように、関根摩耶さんはアイヌ語を大切にする両親のもとで育ち、保育園の頃から親子のアイヌ語教室に通っていました。
小学校は地元の二風谷小学校に入学しました。
二風谷小学校ではアイヌ語を学ぶ時間があったり、アイヌの踊りや文化に触れる機会があったりしたそうです。
2009年、9歳の関根摩耶さんは、平取町のシシリムカ文化祭でアイヌ語の発表を行いました。
関根摩耶さんは小学校を卒業すると登別の中学校に進学します。
ここではアイヌの子がいないので、関根摩耶さんは自分がアイヌだということを言えなくなりました。
明治政府による同化政策で、アイヌの人々は土地を奪われ、アイヌ語や伝統芸能を禁止されたのです。
関根摩耶さんはアイヌが差別されていたことを知り、自分がアイヌであることを隠すようになったのでした。
高校に進学しても、最初はそのような状態でしたが、前述したように、ハワイに行った時に出会った人の言葉によって気持ちが変わってきました。
その人が言うには、終戦直後にアメリカ空軍の技術者として日本をやって来た時、唯一、丁寧に接してくれたのがアイヌの人々だったのだそうです。
友達に自分がアイヌであることを打ち明けた時、「自分の守りたいものがあるっていいね。」と言ってくれる人もいて、関根摩耶さんは自信が持てるようになりました。
そして独学でアイヌ語の勉強を始め、2年でマスターして、アイヌ語やアイヌ文化を伝える活動を始めました。
慶應義塾大学に進学してからは、神奈川県藤沢市で暮らしながら、週1回北海道に通いラジオのアイヌ語講座の講師を務めました。
また路線バスの車内で、摩耶さんの声によるアイヌ語のアナウンスも流れています。
ユーチューブでアイヌの伝統文化やアイヌ語での会話を配信することも始めました。
昨年、関根摩耶さんは沖縄で開かれた「危機的な状況にある言語・方言サミット」にアイヌ代表として参加しました。
そこでノルウェーの先住民族サーミの若者と出会い、大きな刺激を受けました。
ノルウェーではサーミの言葉や文化を学校で自由に学ぶことができるのだそうです。
かつては抑圧されていたサーミの芸能が、1994年のリレハンメルオリンピックの開会式でされ、世界から注目を浴びました。
そして国は過去の誤った政策を謝罪したのだそうです。
関根摩耶さんは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを、世界にアイヌ文化を発信できるチャンスだと捉えています。
まとめ
今回は、アイヌの文化を発信し続けている大学生、関根摩耶さんについてお伝えしました。
今年4月、北海道白老町に「民族共生象徴空間」がオープンしました。
ここは、アイヌ文化発信の拠点となるところです。
アイヌに対する正しい理解が深まったらいいですね。
最後に関根摩耶さんの好きなアイヌ語を紹介します。
それは「イランカラㇷ゚テ」。
「こんにちは」という意味だそうです。
関根摩耶さんはこのように語られています。
この言葉を直訳すると、「あなたの心にそっと触れさせてください」という意味になります。人の優しさ、温かさを感じるんです。争いなく、ともに生きていく姿勢や、ものを大事にする気持ち。こうしたアイヌの精神は、これからの日本に必ず必要なんです。私は東京オリンピックをきっかけに、そのことを多くの人に伝えていきたいです
アイヌは『人間』という意味です。私は1人の人間として、アイヌ語も日本語も共生できる社会を作りたいです。必ずできると信じています
(引用 NHK NEWS WEB より)