谷真海(トライアスロン)の結婚と夫と子供について!出身高校と大学は?プロフィールもチェック!

いよいよパラリンピックが始まりました!

このコロナ禍の中で、複雑な思いですが、今までがんばってきた選手の皆さんにとって、素晴らしい大会であるようにと祈ります。

さて、入場行進の旗手を務めたのはトライアスロンの谷真海選手と卓球の岩渕幸洋選手でした。

谷(当時は佐藤)真海選手というと、2013年のIOC総会での感動的なスピーチを思い出しますね。

谷真海選手はトライアスロンで初めて出場した2017年の世界選手権でいきなり優勝しちゃいました。

谷真海選手って凄い人ですね。

今回は、谷真海選手の結婚や夫、子供、出身大学と高校、そしてプロフィールと経歴についてお伝えします。

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谷真海の結婚と夫について

まず、谷真海選手の結婚と夫について見ていきましょう。

谷真海選手の夫は電通社員の谷昭輝さんです。

真海選手と夫、昭輝さんとの出会いは、2013年9月のIOC総会の時だったそうです。

東京オリンピック・パラリンピックの招致のプレゼンテーションの映像制作を電通社員である谷昭輝さんが担当しておられました。

そこからお付き合いが始まり、IOC総会のちょうど1年後、2014年9月7日に結婚されました。

前から外国で結婚式を挙げるのが夢だった谷真海選手は、ハワイで挙式をしました。

夫の昭輝さんは、会社でも責任ある立場になり、仕事を頑張りながらも全力で真海選手をサポートしておられます。

真海選手が早朝トレーニングをしている間に子供の朝食を作り、保育園への送迎もされているそうです。

週末のジョギングには子供を乗せた自転車で並走することも。

海外遠征の時は、家事と子育てを一手に引き受け、国内でのレースは子供とともに応援に行きます。

谷真海選手も「ずっと夫との2人3脚でここまでやって来られた。」と言われています。

いい人との出会いがあって、本当によかったですね。



谷真海の子供は?

谷真海選手には、2015年4月27日に初めての子供、海杜君が生まれました。

海杜君は現在、6歳になります。

子供に「ママ、がんばれー。」と言われると力が出ると真海選手は言われていました。

ずっとママの姿を見てきた海杜君は、朝になると真海選手のところに義足を持ってきてくれるのだそうです。

子供の頃から谷真海選手やその他の「障がい」を持っているたくさんの選手達を見てきた海杜君は、きっとそれぞれの違いを受け入れ、理解する優しい大人になることでしょうね。

東京パラリンピックで金メダルへの自信をなくしそうな谷真海選手に、子供の海杜くんは、「やる前から諦めるな!」と言うのだそうです。

その言葉は、いつも自分が母親の真海選手から言われてきたのでしょうね。

谷真海の出身高校と大学について

谷真海選手の出身高校は仙台育英学園高校です。

仙台育英と言えば甲子園の常連校として知られていますね。

仙台育英高校は野球やラグビー選手他、多くの著名人を輩出しています。

谷真海選手は中学校から続けてきた陸上を高校3年間も頑張り、中距離で活躍していました。

谷真海選手の出身大学は早稲田大学です。

谷真海選手は早稲田大学の商学部に進学しました。

谷真海選手は、大学ではチアリーダー部に入り、個人競技とはまた違う世界を楽しんでいました。

谷真海選手が骨肉腫を発症し、右足膝から下を切断しなければいけなくなったのは、青春を謳歌している大学時代のことでした。



谷真海のプロフィールと経歴

それでは、谷真海選手のプロフィールと経歴についてお伝えします。

プロフィール

谷真海選手のプロフィールは以下の通りです。

名前 谷 真海(たに まみ)(旧姓 佐藤)
生年月日 1982年3月12日
出身地 宮城県気仙沼市
所属 サントリーホールディングス株式会社CSR推進部
2000年  仙台育英学園高校卒業
同年   早稲田大学商学部入学
2004年  早稲田大学商学部卒業
同年   サントリー株式会社(現サントリーホールディングス株式会社)入社。
同年   アテネパラリンピック 走り幅跳び9位
2008年   北京パラリンピック 走り幅跳び6位
2011年   早稲田大学大学院スポーツ科学研究科入学
2012 年  早稲田大学大学院スポーツ科学研究科 修士課程修了
同年   ロンドンパラリンピック 走り幅跳び9位
2013年   日本記録をマーク 国際パラリンピック委員会主催の世界選手権 走り幅跳び3位
同年    IOC総会でプレゼンターを務め東京五輪招致に貢献
2016年  パラトライアスロンへ転向
2017年 尚美学園大学と日本福祉大学の客員教授に就任
2021年 東京パラリンピックにトライアスロンの選手として出場 旗手を務める

経歴

谷真海選手は1982年3月12日、宮城県気仙沼市に生まれます。

旧姓は佐藤です。

子供の頃からスポーツが大好きで、小学1年生で水泳を始めました。

中学と高校では陸上部で活躍、早稲田大学ではチアリーディングをしていました。

ところが、チアリーディングに打ち込んでいた大学2年生の時に骨肉種を発症し、入院生活が始まります。

抗がん剤治療により髪の毛が抜けていくことは、20歳を前にした女の子にとってどんなに辛いことだっでしょう。

そして20歳の時に右足膝下を切断することになりました。

しかし、もともと負けん気が強く、明るい性格の真海選手は、2003年から障害者スポーツセンターに通い始め、高校以来の陸上をすることになります。

2004年、大学を卒業するとサントリーに入社し、仕事をしながらパラリンピック出場を目指してトレーニングを続けました。

谷真海選手は、何と、その年のアテネパラリンピックに走り幅跳びで出場を果たすのです。

びっくりですね!

4年後の北京パラリンピックにも出場。

結果は6位入賞でした。

その次のロンドンパラリンピックに向けて練習をしていた2011年3月、東日本大震災が故郷を襲い、自宅も津波に飲まれてしまいました。

真海選手は、会社のサポートも受けながら復興支援活動を頑張っていましたが、故郷の人々のパラリンピックでの活躍を期待する声を聞き、消沈した心をもう一度奮い立たせて、ロンドン大会に出場するのです。

そして、自己記録を更新して9位という成績を出しました。

その年の世界選手権では銅メダルに輝きました。

こんな真海選手は2013年、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会のプレゼンターに選ばれ、障がい者として、また大震災の被災者としてスポーツの素晴らしさを訴えます。

このスピーチは日本だけでなく世界中の人々に感動を与えました。

谷真海選手はその功績によりウーマン・オブ・ザ・イヤー2014に選ばれました。

そして、2014年の結婚、翌年の出産を経て、2016年から競技生活を再開します。

選手名も「佐藤真海」から谷真海に変えました。

そして走り幅跳びからトライアスロンに転向しました。

それは瞬発系の競技よりも持久系の方が長く続けられると思ったからだそうです。

あんな大変な競技を自ら選ぶなんて、私には信じられないくらいの強靭な肉体と精神力です。

谷真海選手は、2017年のワールドシリーズと世界選手権、トライアスロンで全て優勝しました。

驚きです!

現在はサントリーに勤務しながら、講演活動も行い、障害者スポーツの普及と啓発に取り組んでいます。

そして2021年東京パラリンピック出場を果たし、見事に旗手も務めました。

まとめ

右足膝下切断と大震災による被災、この2つの大きな試練を乗り越えて、多くの人々に希望と勇気を与えてくれる谷真海選手。

こんなに強い谷真海選手ですけど、いつも穏やかで温かい笑顔が魅力的ですよね。

谷真海選手はこう語っています。

パラリンピックを機会に心のバリアフリーを進めていきたい。街でも学校でも会社でも、いろいろな人が混じり合い、一緒に社会をつくっていくのが当たり前になって欲しい。

本当にその通りですね。

谷真海選手の東京パラリンピックでの活躍を心から応援します。



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