谷真海(トライアスロン)の結婚と夫と子供について!出身高校と大学は?プロフィールもチェック!

ソーシャル
この記事の所要時間: 637

3日前に、2020年東京オリンピック・パラリンピックの公式マスコットが決定したとのニュースがありましたね。

決定したマスコットは福岡県在住のイラストレーター、谷口亮さんの作で、桜の触角を持っていて超能力のあるキャラクターだそうです。

いよいよ東京オリンピック・パラリンピックが近づいてきたという感じがしますね。

さて、皆さん、2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会での佐藤真海選手のスピーチ覚えていらっしゃいますか?

人を引き込む素敵な笑顔で「病気や東日本大震災を乗り越えられたのは“スポーツの力”があったから。」という言葉に世界中が心を動かされました。

現在は谷真海(たに まみ)さんと言われ、東京パラリンピックでのトライアスロン競技でのメダル獲得を目指しておられます。

トライアスロンは水泳と自転車とランニングを続けてしなければいけないものすごく過酷な競技です。

パラリンピックでは前回のリオ大会から正式種目になりました。

谷真海選手はトライアスロンで初めて出場した2017年の世界選手権でいきなり優勝しちゃいました。

谷真海選手って凄い人ですね。

今回はこの谷真海選手の結婚や夫、子供、プロフィールなどについてお伝えします。

<スポンサード リンク>
 




谷真海の結婚と夫について

谷真海選手の夫は電通社員の谷昭輝さんです。

真海選手と夫との出会いは、2013年9月のIOC総会の時だったそうです。

東京オリンピック・パラリンピックの招致のプレゼンテーションの映像制作を電通社員である谷昭輝さんが担当しておられたのだそうです。

そこからお付き合いが始まり、IOC総会のちょうど1年後、2014年9月7日に結婚されました。

前から外国で結婚式を挙げるのが夢だった真海選手は、ハワイで挙式をしました。

夫の昭輝さんは、会社でも責任ある立場になり、仕事を頑張りながらも全力で真海選手をサポートしておられます。

真海選手が早朝トレーニングをしている間に子供の朝食を作り、保育園への送迎もされているそうです。

週末のジョギングには子供を乗せた自転車で並走することも。

海外遠征の時は、家事と子育てを一手に引き受け、国内でのレースは子供とともに応援に行きます。

真海選手も「ずっと夫との2人3脚でここまでやって来られた。」と言っています。

いい人との出会いがあって、本当によかったですね。



子供は?

2015年4月27日に初めての子供、海杜君が生まれます。

もうすぐ3歳になりますね。

子供に「ママ、がんばれー。」と言われると力が出ると真海選手は言っています。

ずっとママの姿を見てきた子供は、朝になると真海選手のところに義足を持ってきてくれるのだそうです。

子供の頃から真海選手やその他の「障がい」を持っているたくさんの選手達を見てきた海杜君は、きっとそれぞれの違いを受け入れ、理解する優しい大人になることでしょう。

出身高校と大学は?

谷真海選手の出身高校は仙台育英学園高等学校です。

仙台育英と言えば甲子園の常連校として知られていますね。

仙台育英高校は野球やラグビー選手他、多くの著名人を輩出しています。

谷真海選手は中学校から続けてきた陸上を高校3年間も頑張り、中距離で活躍していました。

高校卒業後は早稲田大学の商学部に進学します。

大学ではチアリーダー部に入り、個人競技とはまた違う世界を楽しんでいました。

骨肉腫を発症し右足膝から下を切断しなければいけなかったのは、青春を謳歌している大学時代のことでした。



プロフィールもチェック!

谷真海選手は1982年3月12日、宮城県気仙沼市に生まれます。

旧姓は佐藤です。

子供の頃からスポーツが大好きで、小学1年生で水泳を始めました。

中学と高校では陸上部で活躍、早稲田大学ではチアリーディングをしていました。

ところが、チアリーディングに打ち込んでいた大学2年生の時に骨肉種を発症し、入院生活が始まります。

抗がん剤治療により髪の毛が抜けていくことは、20歳を前にした女の子にとってどんなに辛いことだっでしょう。

そして20歳の時に右足膝下を切断することになります。

しかし、もともと負けん気が強く、明るい性格の真海選手は、2003年から障害者スポーツセンターに通い始め、高校以来の陸上をすることになります。

2004年、大学を卒業するとサントリーに入社し、仕事をしながらパラリンピック出場を目指してトレーニングを続けます。

そして何と、その年のアテネパラリンピックに走り幅跳びで出場を果たすのです。びっくりですね。

4年後の北京パラリンピックにも出場

結果は6位入賞でした。

その次の ロンドンパラリンピックに向けて練習をしていた2011年3月、東日本大震災が故郷を襲い、自宅も津波に飲まれてしまいます。

真海選手は、会社のサポートも受けながら復興支援活動を頑張っていましたが、故郷の人々のパラリンピックでの活躍を期待する声を聞き、消沈した心をもう一度奮い立たせて、ロンドン大会に出場するのです。

そして、自己記録を更新して9位という成績を出しました。

その年の世界選手権では銅メダルに輝きました。

こんな真海選手は2013年、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会のプレゼンターに選ばれ、障がい者として、また大震災の被災者としてスポーツの素晴らしさを訴えます。

このスピーチは日本だけでなく世界中の人々に感動を与えました。

谷真海選手はその功績により「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2014」に選ばれました。

2014年の結婚、翌年の出産を経て、2016年から競技生活を再開します。

選手名も佐藤真海から谷真海に変えました。

そして走り幅跳びからトライアスロンに転向しました。

それは瞬発系の競技よりも持久系の方が長く続けられると思ったからだそうです。

あんな大変な競技を自ら選ぶなんて、私には信じられないくらいの強靭な肉体と精神力です。

2017年のワールドシリーズと世界選手権、トライアスロンで全て優勝しています。驚きです。

現在はサントリーに勤務しながら、講演活動も行い、障害者スポーツの普及と啓発に取り組んでいます。

そして2020年東京パラリンピックを見据えて日々のトレーニングに精を出しています。

まとめ

右足膝下切断と大震災による被災、この2つの大きな試練を乗り越えて、多くの人々に希望と勇気を与えてくれる谷真海選手。

こんなに強い谷真海選手ですけど、いつも穏やかで温かい笑顔が魅力的ですよね。

谷真海選手はこう語っています。

「パラリンピックを機会に心のバリアフリーを進めていきたい。街でも学校でも会社でも、いろいろな人が混じり合い、一緒に社会をつくっていくのが当たり前になって欲しい。」

本当にその通りですね。

谷真海選手の東京パラリンピックでの活躍を心から応援します。



 

コメント