昨
日、今年のノーベル平和賞が発表されました。
今年、ノーベル平和賞を受賞したのはイラクのナディア・ムラドさんとコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師のお2人です。
戦争の武器としての性暴力撲滅への貢献が2人の受賞理由です。
ナディア・ムラドさんはまだ25歳という若さなのに、壮絶な体験をしてきました。
日本に住む私達には考えられないことです。
しかしナディア・ムラドさんは性暴力に苦しめられている多くの女性のために声を上げました。
今回はそんなナディア・ムラドさんについてお伝えしていきます。
ナディア・ムラドの経歴とプロフィール!
ナディア・ムラドさんは1993年、イラクのコジョ村に生まれました。
コジョ村は民俗宗教であるヤジディの教徒が集まっている村です。
2014年8月、コジョ村は過激派組織「イスラム国」に襲撃されます。
ナディア・ムラドさんは姉妹や村の女性達と共に誘拐され、イスラム国の男達の性奴隷にされるのです。
イスラム国は兵士達に、「しつけとして女の奴隷を殴ってもよい、思春期前の女の奴隷と性交渉をしてもよい、女の捕虜はただの財産であるから売り買いしてもよい。」と教えています。
あり得ないことです。
しかし現実は、このような身勝手なきまりによって多くの女性が性奴隷にされ、苦しめられているのです。
ナディア・ムラドさんは誘拐されてから3ヶ月目にある家族の助けによって脱走に成功します。
ナディアさんは難民キャンプにたどり着き、そこからドイツに亡命することができました。
2015年2月、ナディアさんはバシマという仮名を使って、初めて自分の体験したことを証言しました。
ナディアさんはそれを聞いたある弁護士によって庇護されることになります。
2015年12月、ナディアさんはイスラム国の組織的なテロと大量虐殺(ジェノサイド)を糾弾し、国連安保理事会の介入を求めました。
2016年6月にはアメリカ連邦議会で証言しました。
2016年9月、ナディア・ムラドさんは人身取引被害者の尊厳のための国連親善大使に就任しました。
その年、ナディアさんはヴァーツラフ・ハヴェル人権賞とサハロフ賞を受賞しました。
そして2018年10月5日、ノーベル平和賞を受賞するのです。
出身は?
ナディア・ムラドさんの出身はイラク北部のニーナワー県コジョ村です。
コジョ村はクルド系少数派のヤジディ教徒が住んでいるところです。
2014年8月、ナディアさんの出身地コジョはイスラム国に襲撃されました。
村を包囲され、逃げることのできなかった村人は惨殺されたり拉致されたりしました。
男性350人が殺され、100人以上の女性が拉致されたとも言われています。
襲撃の翌日、米軍はイスラム国への報復のためにコジョ村の付近で空爆を実施します。
これにより、また新たな犠牲者が出たと思われます。
暴力に暴力で対抗しても、住民は犠牲になるばかりですね。
家族も調査!
ナディア・ムラドさんは故郷のコジョ村で母親やたくさんの兄弟姉妹と暮らしていたようです。
しかし、2014年にイスラム国から襲撃された時、ナディアさんの母親と兄弟6人は殺されました。
ナディアさんの母親は処刑され、埋められたということです。
ナディアさんの2人の姉妹は、ナディアさんとともに拉致されました。
後にナディアさんの姉もドイツに避難することができ、ナディアさんは姉と再会を果たしました。
2016年9月16日、ナディア・ムラドさんは国連本部でこのように訴えました。
「私のような女性たちが解放されない限り、私は自由を感じることができません。3200人のヤジディ教徒がとらわれたままです。救わねばなりません。」
「首をはねられ、性奴隷とされ、子どもがレイプされても動かないのなら、いつ行動するのですか。」
引用元 https://www.buzzfeed.com/jp/sakimizoroki/amal-and-nadia-at-unga