2018年の「24時間テレビ」で紹介され、注目が集まったアイスホッケーの伊藤樹(いとういつき)さん。
あの時小学生だった伊藤樹さんは現在高校3年生。
2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピック出場目指して日々頑張っています。
そのエネルギーと情熱がすごいです。
今回は、伊藤樹さんの父母と兄弟、プロフィール、出身中学についてお伝えします。
伊藤樹の父親と母親について
事故で下半身が不自由になっても、自分のやりたいことを諦めずに、何にでも挑戦してきた伊藤樹さん。
きっと樹さんの父母は、樹さんが幼い時からいろいろな経験をさせて来られたのでしょうね。
樹さんは幼稚園の頃にアイスホッケーを始めたということですが、どうやってアイスホッケーに興味を持ち始めたのかも気になるところです。
住んでいるところは寒いところではなく大阪ですから、だいたいサッカーとかに興味を持ちそうですけど。
もしかしたら、樹さんの父親がアイスホッケーをされていたか、お好きだったのかも知れませんね。
樹さんの母親は紅子(べにこ)さんと言われます。
母親もクラブチームに入ってアイスホッケーをがんばる樹さんを一生懸命に応援してこられたことでしょうね。
小学3年生の時に事故に遭い、樹さんが今までのように走れないと分かった時はどんなにつらいお気持ちだったことでしょう。
母親は「できるものなら自分が代わってやりたい。」と思いますよね。
樹さんの母親もそんな気持ちで毎日を過ごされたことでしょう。
樹さんは母親に「足の魂がなくなった。」と言ったのだそうです。
でも、母親の紅子さんはとても陽気な性格だということなので、そのことが樹さんを支えてきたのでしょうね。
伊藤樹の兄弟は?
伊藤樹さんにはお姉さんがおられます。
お姉さんもアイスホッケーをされていて、カナダでプレーしておられました。
お姉さんは海外の大学に進学する予定だそうです。
伊藤樹のプロフィールについて
伊藤樹さんは幼稚園の時にアイスホッケーをやり始めました。
所属は臨海ジュニアアイスホッケークラブでした。
このクラブは、関西では最も古い歴史のあるクラブです。
樹さんはこのクラブで、将来アイスホッケーの選手になる夢を抱いてがんばっていたのですが、小学3年生の時に交通事故に遭い、脊髄を損傷してしまいます。
一時期はアイスホッケーをやめてしまいましたが、あるきっかけで、またクラブに戻ることができました。
臨海ジュニアアイスホッケークラブのOBで、パラアイスホッケー日本代表のコーチをされていた方がおられたのです。
それで、樹さんはその方から指導を受けることができるようになりました。
そして事故の翌年の2015年にクラブに戻ってきました。
臨海ジュニアアイスホッケークラブのホームページを見たら、2015年5月6日の親子大会の写真に、車いすの樹さんがプレーをしている姿があり、「いつき君が氷上復帰!!」というコメントが付いていました。
それを見たら、クラブのみんなで樹さんが戻ってきたのを喜んでいるのが伝わってきて、ジーンときました。
本人もですけど、父母はどんなに嬉しかったことでしょう。
そして臨海ジュニアアイスホッケークラブで週1、2回練習する他、長野県にあるパラアイスホッケークラブ、長野サンダーバーズにも所属し、活躍してきました。
2017年12月には東日本クラブ選手権大会で初アシストを記録しました。
長野サンダーバーズというと、パラリンピックで活躍した最年長選手の福島忍選手を思い出しますね。
樹さんにとって、福島忍選手は師匠のような存在なのだそうです。
福島忍選手についてはこちらの記事をご覧ください。
伊藤樹さんは、アイスホッケーだけでなく、車イスバスケットやスレッジスキーもやっていたそうです。
すごいですね!
そして中学生からパラアイスホッケーの日本代表の強化選手として活躍しています。
でも、2022年の北京パラリンピック大会は年齢制限により出場することができませんでした。
現在は、2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピック出場を目標にがんばっています。
伊藤樹さんの出身中学と高校について
伊藤樹さんの出身中学と高校についても調べてみました。
伊藤樹さんは東大阪市立北宮小学校に通っていました。
この小学校を卒業したらほとんどの子は、同じ校区にある東大阪市立盾津東中学校に進学します。
一部、私立の中学校に進む子供もいるようですが。
それで伊藤樹君の通っていた中学校は大阪市立盾津東中学校だと思われます。
そして現在は大阪学芸高校に通っています。
樹君は車いすの生活ですけど、すごいスポーツマンなので、きっとクラスメイトと活発な学校生活を送っていることでしょうね。