皆さん、こんにちは。
今、夏の甲子園で毎日熱戦が繰り広げられています。
今さっき、仙台育英高校が徳島の鳴門高校を破り2年ぶりの3回戦進出を決めました。
仙台育英高校と言うと、エースとして活躍し、その後オリックスに入団した佐藤世那(さとう せな)選手のことが思い出されますね。
その佐藤世那選手はプロ3年目の2018年10月に、戦力外通告を言い渡されました。
そして11月13日に12球団合同トライアウト参加しましたが、3人の打者と対戦しましたが、1与四球1被安打という結果に終わってしまいました。
しかし、佐藤世那選手は今年7月、プロ球界復帰を目指して右肘の完全治癒に専念することを決心したんです。
今回はそんな佐藤世那選手の父母と弟、出身中学、球速そして仙台育英高校時代についてお伝えします。
佐藤世那の父母と弟について!
まず、佐藤世那選手の父母と弟について見てみたいと思います。
佐藤世那選手の父親は慎一さんと言われます。
いつも世那選手の体を心配しておられ、一生懸命に応援しておられます。
母親のお名前はルリ子さんとおっしゃいます。
今まで、試合の度に毎回ドキドキだったそうです。
でも佐藤世那選手が高校3年生の時、宮城県大会で優勝した時は「また甲子園に連れて行ってもらえて嬉しい。」と語っておられました。
母親のルリ子さんは、水に慣れさせるために、世那選手が小学校の高学年の時に、スイミングスクールに通わせておられたそうです。
佐藤世那選手の肩甲骨周りが柔らかく、素晴らしいピッチングができるのは、その影響もあるのかも知れませんね。
佐藤世那選手には3歳下に弟さんがおられ、令央(れお)さんというお名前です。
弟の令央さんも世那選手と同じく仙台育英高校の硬式野球部へ入部し、投手として活躍しました。
2017年、高校2年生の時は夏の第99回全国高等学校野球選手権全国大会に、控え選手として出場しました。
佐藤世那選手と弟の令央さんはとても仲の良い兄弟のようです。
弟の令央さんはいつも兄の世那選手と比べられ、嫌な思いもしたけど、でも兄がいたから今の自分があると言われています。
弟さんは今のところ、プロ野球には進まれないようですが、これからもがんばって欲しいです。
出身中学は?
佐藤世那選手の出身中学は秀光中等教育学校です。
この中学校は佐藤世那選手の出身地である宮城県仙台市にある私立の中学で、学校法人仙台育英学園が経営しています。
佐藤世那選手は小学2年生の頃から野球を始め、中学校の軟式野球部で、エースとして活躍しました。
中学卒業後は、皆さん、ご存じのように仙台育英学園高等学校へ進学し、プロが注目する活躍を見せます。
球速も調査!
佐藤世那選手は2016年にオリックス・バッファローズへ入団しましたが、以前から肘に不安があり、登板することはありませんでした。
しかし、オーバースローからサイドスローに転向し、球速は140kmを超すようになっていたそうです。
名前の由来も調査!
佐藤世那選手の名前は父親の慎一さんが付けられました。
「せな」ってかっこいいですよね。
父親は外国の人が自分の名前を呼ぶ時に「しんいち」と言えなくて「しいち」になっていたそうです。
それが嫌で、子供には外国の人にも発音しやすいように2文字の名前を付けられました。
「せな」というのは、F1の名ドライバー、アイルトン・セナにちなんであるということです。
アイルトン・セナは「音速の貴公子」と呼ばれたので、佐藤世那選手が高速のピッチャーになるようにと願われたのでしょうか。
また1996年、フジテレビで大ヒットしたドラマ「ロングバケーション」の、キムタクが演じた主人公「瀬名秀俊」にもちなんでいるそうです。
仙台育英学園高校時代
最後に、皆さんよくご存じと思いますが、仙台育英学園高校時代の活躍についてもまとめておきます。
佐藤世那選手が2年生の時に第45回明治神宮野球大会で優勝しました。
3年生の時には春の甲子園と夏の甲子園に連続出場しました。
夏の甲子園では、初戦から決勝までの5試合を何と一人で投げ抜きました。
決勝では完投したものの、惜しくも東海大相模高校に敗退し、準優勝という成績でした。
しかし、その直後に行われたWBSC U-18ワールドカップに出場し大会のベストナインに選ばれました。
そしてオリックス・バファローズから指名され、プロ入りを果たします。
佐藤世那選手、プロ復活を目指してがんばってください!
応援しています。