今年は明治維新から150年。
NHKの大河ドラマでも、明治維新の立役者である西郷隆盛を主人公にした「西郷どん」が放映されています。
書店には原作の「西郷どん!(せごどん!)」(林真理子著)がたくさん並べられていますね。
さて、この幕末から明治という激動期に生きた浮世絵師、小林清親(こばやし きよちか)をご存知ですか?
小林清親は西郷隆盛より約20年後に生まれた人ですが、知れば知るほどすごい人です。
小林清親による西郷隆盛の肖像画もありますよ。
今回は、「最後の浮世絵師」と呼ばれる小林清親の作品や生い立ちに迫ります。
小林清親の作品について
錦絵
小林清親は、西洋の画風を取り入れた「光線画」という描き方で「東京名所図」と言われる全部で95の風景画シリーズを出版し、人気を得ました。
今までの日本の浮世絵にはなかった光と影の描写や空間表現が画期的で、まさに新しい時代の幕開けを感じさせる浮世絵版画でした。
このように江戸時代に確立した浮世絵版画のことを錦絵と言います。またこの頃に作られた「猫と提灯」は木版とは思えない超絶技巧で、見る者の心を捉えます。
ポンチ絵
小林清親は「光線画」の後、ポンチ絵を描き、新聞に投稿したり、新聞の挿絵を描いたりするようになります。
ポンチ絵というのは漫画のことで、「団団珍聞」という新聞にユーモアと風刺の効いたポンチ絵を描きました。
林清親という人は、絵のセンスに優れているだけでなく、ユーモアと社会の流れや人の心をキャッチする鋭い目を持っていたのですね
また日露・日清戦争の時は戦争画を数多く描きました。
肉筆浮世絵
錦絵が次第に衰退していくと、清親は肉筆浮世絵に力を入れます。肉筆浮世絵というのは、版画ではなく、直接絹や紙に描く浮世絵のことです。
清親が晩年に作成した川中島合戦図屏風は166×358.8㎝もある大作で、裏には龍虎の水墨画が描かれています。
これまでの清親の集大成とも言える作品です。
展覧会の案内
光と影の表現者「小林清親」展 ガスミュージアム
1月6日(土)から3月31日(土)までの午前10時から午後5時までです。
月曜日は休館日です。但し、1月8日(月)と2月12日(月)は開いています。代わりに1月9日(火)と1月12日(火)が休館です。
場所は、ガスミュージアムがす資料館のガス灯館2階ギャラリーです。
東京都小平市大沼町4-31-25 ℡ 042-342-1715
明治維新150年 幕末・明治-激動する浮世絵 太田記念美術館
明治維新150年にあたっての企画展です。
1月5日(金)から2月25日(日)まで開かれています。
前期(1月5日~28日)と後期(2月2日~25日)で展示内容が変わります。
展覧会の見どころを担当学芸員が解説するスライドトークや若手の研究者による浮世絵に関する講演会も開かれます。
場所は太田記念美術館です。
03-3403-0880
販売や価格は?
小林清親の作品は、いろいろなギャラリーから販売されています。ネット販売もたくさんあっています。
ヤフオクのネットオークションにもたくさん出されています。
だいたい1万円から12万円くらいのようです。
復刻版は3千円台や5千円台などがあります。
興味のある方は、お気に入りの一枚を見つけてみてください。
また、これから清親の絵について知りたい方には画集や本がおすすめです。
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小林清親の生い立ちについて
小林清親は弘化4年8月1日(1847年9月10日)に江戸の蔵屋敷に生まれました。
幼い頃は勝之助という名前でした。
幼い頃から絵を描くのが好きな少年でしたが、15歳で父親を亡くし、家督を継いで将軍直属の御家人として勤めることになりました。
その時から清親と名乗るようになります。
清親は将軍徳川家茂の家来として、慶応4(1868)年の伏見の戦いにも参加しました。
明治維新後には徳川家に従って静岡に移住しましたが、明治7(1874)年、東京に戻り、江戸から東京になった街を見て、時代の大きな変化を肌で実感しました。
清親は絵描きとして生きていくことを決心します。
『絵入りロンドン・ニュース』紙の特派画家チャールズ・ワーグマンに師事したこともあり、浮世絵の中に西洋の表現を取り入れていきます。
そして明治9(1876)年、江戸から明治へと時代の流れに翻弄される東京の風景を、光と影の表現に工夫を凝らした木版画として発表しました。
これが「東京名所図」と言われるもので、大きな評判になりました。
明治14(1881)年、両国の大火が起こると、火事を写生するために出かけ、その間に自宅が焼けてしまったのだそうです。しかし、この時の写生をもとにした火災シリーズは大好評でした。
清親はこの年から光線画による浮世絵をやめて、ポンチ絵と呼ばれる風刺画や戦争絵を描くようになります。
これらの作品には、清親のユーモアと風刺力が光っています。
晩年は絹や紙に直接描く肉筆浮世絵を手がけました。
最期は持病のリウマチが悪化して、大正4(1915)年11月28日に、69歳でこの世を去りました。
小林清親は「最後の浮世絵師」と言われています。
まとめ
小林清親、いかがでしたか?
私も今回、小林清親について調べて、ぜひ、自分の目で作品を見たいものだと思いました。
もし、お近くで展覧会が開かれる時は、皆さんもぜひ、激動の時代を生きた小林清親の才能と心に触れてみてくださいね。