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伊東ゆかりの経歴とプロフィール!病気とは?父と兄弟も調査!

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さん、こんにちは。

歌手の伊東ゆかりさんをご存じでしょうか?

50代以上の日本人なら知らない方はおられませんよね。

「小指の想い出」が大ヒットしたのは私が小学生の頃でした。

どこに行ってもこの歌が聞こえてくるので、私も意味も分からずに歌っていたものです。

でも、伊東ゆかりさんは知らない人がいない程の大歌手になっても、20年程前までは自分に自信がなく、人前で歌うことが好きではなかったのだそうです。

びっくりですね。

今回はそんな伊東ゆかりさんにフォーカスしたいと思います。

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伊東ゆかりの経歴とプロフィール

それではまず、伊東ゆかりさんの経歴とプロフィールを見ていきましょう。

伊東ゆかりさんは1947年4月6日、東京都品川区に生まれます。

現在71歳です。

本名は伊東信子さんと言われます。

伊東ゆかりさんは幼い頃から歌が上手で、6歳の頃、東京の聖路加国際病院で歌ったのをきっかけとして、進駐軍で歌うようになりました。

伊東ゆかりさんの歌は兵士達にとても喜ばれましたが、伊東さんは表情豊かに歌うのが苦手で、直立不動で笑顔も出さずに歌っていたのだそうです。

11歳まで進駐軍で歌い、その後1958年、キングレコードから「クワイ河マーチ」でデビューします。

出身校は杉並区立高井戸第二小学校、私立立正中学校、関東学園女子高校(現在の関東国際高校)です。

1963年、テレビ番組「スパークショー」で中尾ミエさん、園まりさんとトリオを組んだ「3人娘」で人気者になりました。

1965年にはサンレモ音楽祭に日本人として初めて出場します。

そして1967年、「小指の想い出」が爆発的ヒットし、日本レコード大賞 歌唱賞を受賞。

翌年も「恋のしずく」「朝の口づけ」「知らなかったの」と次々とヒットを飛ばします。
1969年にはNHK紅白歌合戦の赤組司会を担当することに。

2002年、初ライブを成功させ、その年、J-POPの名曲をカバーしたアルバム「Touch Me Lightly」を発売します。

2003年にはそれらの功績により、第45回日本レコード大賞功労賞を受賞します。

2005年、40年ぶりに「3人娘」を再結成し、「メモリアルコンサート~ニッポンを元気に~」と題したコンサートを全国で展開し、第49回日本レコード大賞 企画賞を受賞。

同年、還暦コンサートも開催します。

2012年には3人娘50周年記念コンサート「メモリアルコンサート~ニッポンをもっと元気に~」を全国で開催。

翌年、2013年には歌手生活60周年記念コンサートを開催します。

そして現在もステージで歌ったり、テレビに出演したりと、精力的に活動を続けておられます。

もう70代なのに、素晴らしいエネルギーですね!

病気について

伊東ゆかりさんは一度大きな病気をされました。

鼓膜が破れて耳が聞こえなくなったのです。

歌手なのに、耳が聞こえなくなるなんて、どんなに辛かったことでしょうね。

でも、そのおかげでいいこともありました。

耳の病気から回復した直後、今まではうるさいとしか思わなかった街の騒音でさえ、

新鮮に聞こえ、音って素晴らしいと再認識できたのだそうです。

その経験があったからこそ、今も聴く人を感動させる歌を歌い続けることができるのかも知れませんね。

また2015年には声帯炎で声が出なくなるということもありましたが、こちらも本人の努力と周りの人々の支えで乗り越えることができました。

それに続いて2016年は股関節の骨董部分の変形により、歩けなくなってしまいました。

伊東ゆかりさんは入院、出術そしてリハビリをがんばられて、見事歌手として復帰されました。



父と兄弟は?

次に伊東ゆかりさんの父親と兄弟について見ておきたいと思います。

伊東ゆかりさんの父親は伊東謙吉さんと言われ、バンドでベースを弾いておられました。

父親のバンドは進駐軍で演奏していたので、伊東ゆかりさんも進駐軍で歌うようになります。

父親のバンドのマネージャーの方がゆかりさんの歌唱力に目を留めたのだそうです。

伊東ゆかりさんの母親はゆかりさんが5歳の時にはもうおられず、その後ずっと父親がゆかりさんと兄弟を育ててくださいました。

歌を教えたのも父親で、父親はゆかりさんに英語の歌を徹底的に教えたそうです。

当時、ゆかりさんは人の前で歌うのが嫌いだったのですが、その頃はまだ珍しかったコーラやハンバーガーなどにつられて歌っていたのだそうです。

ゆかりさんの父親は優しい言葉を娘にかけるような人ではなく、褒められたことは一度もなかったそうです。

だからゆかりさんはコンサートに父親を呼んだことはありませんでした。

でも父親はこっそりと観に来ておられたようです。

そんな父親ですが、亡くなる直前に一度だけ「感謝するよ。」と言ってくれたのだそうです。

心の中ではずっとそう思っておられたのでしょうね。

伊東ゆかりさんの兄弟は弟さんが一人おられます。

父親はゆかりさんと弟さんを一人で育ててくださいました。



夫と娘について

伊東ゆかりさんは1971年、24歳の時に結婚されました。

割と早いですけど、「結婚したら歌が辞められる。」と思ったのだとか。

その頃はまだ歌が楽しいとは思えなかったのだそうです。

夫は歌手の佐川満男さんでした。

伊東ゆかりさんは夫、佐川満男さんとの間に二人の子供をもうけました。

しかし、諸事情があり1976年に離婚することになりました。

伊東ゆかりさんは結局また歌手として復帰することになります。

ゆかりさんと元夫の佐川満男さんは仲が悪くなって離婚されたのではないようです。

その証拠に2016年、佐川満男55周年記念コンサートで、佐川さんは伊東ゆかりさん、娘さんと共演されました。

翌年は「徹子の部屋」に伊東ゆかりさんと元夫の佐川満男さんが一緒に出演されています。

更に昨年は伊東ゆかりさんと佐川さん、それに娘さん、3人で出演し、話題になりました。

伊東ゆかりさんと佐川さんの娘さんのお名前は公美さんと言われ、2002年に発売されたゆかりさんのアルバムの中で初めて母子デュエットを果たしました。

その後2008年に宙美(ひろみ)という芸名で、歌手としてデビューされます。

娘の宙美さんはお母さん譲りの美しい声を持っていらっしゃいます。

まとめ

70を超えてもなお、若々しく、美しく、その歌声で多くの人を楽しませることができるなんて、伊東ゆかりさんは本当に素晴らしい人生を歩んでおられますね。

また娘さんと共にステージに立って歌うことができるとは、何て幸せなことでしょう。

伊東ゆかりさん、どうぞこれからも益々お元気で活躍してください。



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