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年程前、ある契約社員の男性と話していました。その人は会社から指示された現場に行き、土木工事をしている人でした。
「どんなにきつくても、何があっても、絶対に行かんといかん。もし、遅れたり欠勤したりすれば、自分だけじゃなくて、一緒に働く仲間まで減給になる。」
その言葉がとてもショックでした。「会社はそうやって休むのを許さず、工事の遅れを防ぐのか・・・。」
さて、過労死が後を絶ちません。その死因の多くは自殺です。どんなにきつくても、家族への責任、会社や同僚への責任を背負い、そして、遂にどうしようもなくなって自ら命を絶つのです。
そんな悲しい現実に終止符を打ちたいと、亡くなった方達に代わってがんばっておられる方がおられます。それが川人博(かわひと ひろし)弁護士です。
今回は川人博弁護士についてお伝えします。
川人博弁護士について
川人博弁護士は、30年以上過労死の問題に取り組んできたベテラン弁護士で、東京にある川人法律事務所でお仕事をされています。
主に過労死や労災、職業病に関わる民事事件、刑事事件を担当され、今まで関わって来られた事件の約60パーセントが過労死と労災関係です。
最近の裁判例には2016年に勝訴判決が出た東芝うつ病事件や今年の2月に一審で勝訴判決が出た新任教員過労自殺事件などがあります。
著書も数多く出版されていて、来月には、元電通社員で24歳という若さで亡くなった高橋まつりさんのことを書かれた「過労死0の社会を ー高橋まつりさんはなぜ亡くなったのかー」が出版されます。これはまつりさんのお母様、高橋幸美さんとの共著になっています。
川人博弁護士は、「亡き人になりかわる」ことをモットーに、社会を変えようと日々闘っておられる方です。
出身大学と高校は?
川人弁護士は東京大学経済学部を卒業されています。大変優秀な方なのですね。でも法学部ではなく経済学部を卒業されているということは、もともと弁護士を目指しておられたのではなかったのかもしれません。
出身高校は大阪府立三国丘高校です。三国丘高校には文理学科と普通科があり、全国的にも評価の高い、大変優れた高校のようです。
今年の進路状況も東京大学や京都大学、慶応義塾大学、早稲田大学などに数多く進学しています。
また三国丘高校は元野球選手の高木喬さんや脚本家の今井雅子さん、川田裕美アナウンサー、元サッカー日本代表監督の川淵三郎さん、作家で俳優の川淵三郎さん、土井隆雄宇宙飛行士など、様々な分野の有名人を輩出しています。
経歴とプロフィール
川人弁護士は1949(昭和24)年、大阪府泉佐野市で生まれました。現在68歳ですね。
東京大学経済学部を卒業した後、1978年に弁護士になられ、東京の文京総合法律事務所でお仕事をされます。
1988年から「過労死110番」の活動に参加されるようになり、1995年に川人法律事務所を創立され、たくさんの裁判に関わってこられました。
現在は過労死弁護団全国連絡会議幹事長や過労死等防止対策推進全国センター共同代表幹事、厚生労働省の過労死等防止対策推進協議会委員を務めておられます。
また過労死関係だけでなく、東京大学で「法と社会と人権」というゼミを担当しておられ、拉致問題やその他の人権問題にも深く関わっておられます。
評判も紹介!
前述したように、川人弁護士は多くの書物を出版されていますが、アマゾンでのカスタマーレビューを見ると、大変評価が高いことが分かります。
例えば、「過労自殺 第二版」については、「我が国における過労自殺について、これほどよくまとまった本はない。」「大変悪質な労働実態が明らかにされている。」「過労で苦しまないために、多くの人に読んで欲しい。」などの感想が多く寄せられていました。
また実際に講演を聞かれた方からは「先生の大変誠実な人柄に感銘を受けた。」との感想が寄せられていました。
苦しんでいる人に寄り添い、企業を変えようという本気さがなければ30年以上も過労死の問題に関わり続けることはできないでしょうし、裁判を勝利に導くこともできないでしょう。
また遺族のお母さんと共同で本を出版するなど、余程の信頼がなければできないことだと思います。
川人弁護士の評判がいいのは当然のことですよね。
人に寄り添い、自分に何ができるか考えたい
11月20日(月)の22時25分からのNHK総合テレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「過労死と闘い、命を守る~弁護士・川人博~」が放送されます。
川人弁護士の日々の仕事ぶりとその人柄に接することができるだろうと今から楽しみです。
「死ぬくらいなら仕事を辞めればいいじゃないか。」と言う人もいますが、その実態をよく知ったうえでのことばなのでしょうか?
私はこの番組から、過労死の実態を学び、過労死を0にするために自分にもできることはないのかを考えてみたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。