5月31日放送の「情熱大陸」では、アイヌの木彫家、貝澤徹(かいざわ とおる)さんが取り上げられます。
今、アイヌに大きな注目が集まっています。
一つは今年1月に直木賞を受賞した川越宗一さんの「熱源」の影響があります。
また大ヒットし、2018年からはテレビアニメにもなっている「ゴールデンカムイ」も人々のアイヌへの関心を高めました。
それから、アイヌの魅力を発信し続けている大学生の関根摩耶さんのがんばりも大きいですね。
そんな中、自分のアイデンティティーと向き合い、独自の作品を生み出してきた貝澤徹さんは日本だけでなく、世界各地の人々を魅了しています。
今回は、そんな貝澤徹さんのプロフィールと経歴、家族、そして「ゴールデンカムイ」との関係についてお伝えします。
直木賞受賞作品「熱源」と著者、川越宗一さんについてはこちらをご覧ください。
関根摩耶さんについてはこちらをどうぞ。
貝澤徹のプロフィールと経歴
まず、貝澤徹さんのプロフィールと経歴を見ていきたいと思います。
貝澤徹のプロフィール
貝澤徹さんのプロフィールは以下の通りです。
「二風谷アイヌ匠の道」というサイトから引用させていただきました。
1958年、二風谷に生まれ、工芸家の父(勉)やその仲間の職人に囲まれて育つ。 曾祖父の貝澤ウトレントクは、明治時代に名工といわれた二人のうちの一人。その曾祖父から引き継ぐ伝統を重視しながら、そこに独自の感性と技術をとけ込ませ、自分らしさやメッセージを表現する、独創的なアイヌアートに精力的に取り組んでいる。ふと気づいたことを題材に作品を創作。
代表作「UKOUKU(ウコウク)/輪唱」は、昔のアイヌ民族の入れ墨をした女性の手の写真から発想し、世代交代しながら文化が受け継がれるというメッセージをこめて創り上げた。
北海道アイヌ伝統工芸展北海道知事賞ほか受賞多数。「北の工房 つとむ」店主。
引用元 http://nibutani.jp/artisan/t_kaizawa.html
貝澤徹の経歴
それでは、貝澤徹さんの経歴を見ていきましょう。
貝澤徹さんは1958年9月11日、北海道平取町二風谷に生まれました。
現在、61歳です。
貝澤徹さんは高校3年間だけ二風谷を出て、白老(しらおい)で下宿生活をしました。
高校時代は吹奏楽部に所属し、アルトサックスを吹いていたそうです。
高校を卒業して二風谷に帰って来た貝澤徹さんは子熊の世話をさせられました。
当時は猟師が捕まえたヒグマの子を売りに来ていたそうです。
また実家が土産店だったので、店先で客寄せのために彫物の実演を始めました。
二風谷では多くの人が、男性は彫物、女性は織物をしていました。
しかし貝澤徹さんは高校を卒業するまで、彫刻刀を握ったこともありませんでした。
それでも親や祖父を見て育っているので、自然に彫り方を覚えていったそうです。
そんな貝澤徹さんが20歳くらいの時に人生を変える程の大きな出来事がありました。
それは、有名なアイヌ民族彫刻家、藤戸竹喜さんとの出会いです。
藤戸竹喜さん阿寒湖畔で彫物をしておられた方で、JR札幌駅にあるエカシ(長老)像も藤戸竹喜さんの作品です。
2015年には北海道文化賞を受賞されています。
貝澤徹さんは藤戸さんにもらった木彫の熊に大きな衝撃を受けました。
貝澤徹さんは、藤戸さんの作品を見て、自分も量産するものではない、ちゃんとした木彫をやろうと思ったそうです。
貝澤徹さんは自分がアイヌであるということで傷つくことも多く、コンプレックスを抱えていました。
でも、曾祖父のイタ(盆)を復元する機会があり、そのことを通してアイヌの伝統工芸を前向きに捉えることができるようになり、解放されていきました。
貝澤徹さんが30代半ばになろうとする時のことです。
そして伝統を取り入れながら現代的意識や葛藤を表現する独自の手法を確立していきました。
そんな貝澤徹さんの作品は多くの人を魅了し、国内だけでなく、海外の博物館などでも展示されるようになります。
2018年には、次世代への想いを託した「ケウトゥムカンナスイ/精神再び」が大英博物館に常設展示されることになりました。
また今年の5月、北海道白老町にオープン予定だったウポポイ(民族共生象徴空間)には、貝澤徹さんの大作、火の神「アペフチカムイ」の像が設置されることになっていますが、新型コロナの影響でオープンが延期されています。
貝澤徹さんは木彫家であり、「北の工房 つとむ」の店主をしておられます。
またアイヌ文化活動のアドバイザーもされています。
貝澤徹の家族について
貝澤徹さんの家族についても見ておきたいと思います。
貝澤徹さんは両親のもと、3人兄弟の長男として育ちました。
貝澤徹さんの家は観光業で生計を立てていました。
貝澤徹さんの父親は貝澤勉さんと言われ、若い頃に徹さんの母親のお兄さんのところで木彫りを始めたのだそうです。
今の貝澤徹さんのお店「北の工房 つとむ」の名前は父親からとったものなんですね。
貝澤徹さんが子供の頃は、父親は共同作業所で彫り物を、母親は自宅でアットゥシと呼ばれる樹皮でできた布の織物をしていました。
父親の勉さんの祖父、つまり徹さんの曾祖父にあたる貝澤ウトレントクさんはアイヌの伝統工芸で名工と言われている人です。
曾祖父のウトレントクさんは文久2年に生まれて大正3年に亡くなっています。
その時代はアイヌで最も盛んに彫り物がなされていた頃です。
貝澤徹さんの祖父は貝澤勘太郎と言われ、北海道庁の国有林境界測量人夫をしておられました。
祖父は冬の間はアイヌ文様を入れたパイプや茶托などを作り、祖母がそれを売りに行っていたそうです。
祖母も織物をされていて、自分が作ったものを白老や登別温泉に卸していたのだそう。
その祖母は、徹さんにアイヌ語ではなく日本語で話したのだそうです。
アイヌとして苦労するよりも日本人として生きていけるようにと思われたのでしょうね。
また、貝澤徹さんの弟さん、貝澤幸司さんも木彫をされています。
このように貝澤徹さんの家族は、皆さん、優れたアイヌ工芸家だったようですね。
貝澤徹のゴールデンカムイとの関係は?
「ゴールデンカムイ」
は大ヒットした漫画ですね。
この「ゴールデンカムイ」のヒットによって、アイヌの文化に注目が集まるようになりました。
実は、「ゴールデンカムイ」の著者である野田サトルさんは、貝澤徹さんのもとを訪れて、マキリと呼ばれるアイヌの小刀の制作を依頼しました。
貝澤徹さんは、この依頼を受けて、「ゴールデンカムイ」の登場人物に持たせるマキリを制作しました。
野田サトルさんは貝澤徹さんが制作したマキリを見て、それを漫画の中で描いたのですね。
これは凄いことですよね。
本物にこだわる情熱が伝わってきます。
貝澤徹さんのお店には、「ゴールデンカムイ」のファンの方達もたくさん来られるようです。
ファンとしては、そのマキリを実際に見たいでしょうし、自分も欲しいでしょうね。
貝澤徹のお店の場所は?
貝澤徹のお店「北の工房つとむ」は平取町の二風谷にあります。
住所は、北海道沙流郡平取町字二風谷74-12です。
営業時間は8時から18時まで。
休業日は不定です。
まとめ
今回は、アイヌの木彫家、貝澤徹さんのプロフィールと経歴、家族そして漫画「ゴールデンカムイ」との関係をお伝えしました。
私も、北海道に行く機会があったら、ぜひ二風谷に立ち寄り、貝澤徹さんの木彫に触れてみたいと思います。
そして、ウポポイでアイヌの歴史を学び、貝澤さんの火の神「アペフチカムイ」の像も見てみたいです。