昨
年の3月まで、NHK「あさイチ」でお馴染みの顔だった柳澤秀夫(やなぎさわ ひでお)さん。
いかにも優しそうなおじさんという感じですよね?
そして、時々シャレを言おうとしても外れちゃうようなところが可愛いというか(笑)
その柳澤秀夫さんを最近、民放の報道番組で発見してびっくり!
「あら、こんなところに。」
知り合いのおじさんに久しぶりに会ったような温かい気持ちになりました。
私、一度柳澤秀夫さんにお会いしたことがあります。
熊本地震の後、あさイチのメンバーだったイノッチさん、有働アナと一緒に被災地を訪れてくださいました。
私がお会いした時も、物静かで優しい方でした。
でも、柳澤さんは戦争の現場を取材して情報を発信し続けられたすごい方なんです。
また病魔との闘いも経験しておられます。
今回は、NHKを退局した今も精力的にがんばっておられる柳澤秀夫さんについてお伝えしていきます。
柳澤秀夫のプロフィールと経歴について
それではまず、柳澤秀夫さんのプロフィールと経歴を見ていきたいと思います。
柳澤秀夫さんは1953年9月27日、福島県の会津若松市に生まれました。
現在65歳です。
地元の福島県立会津高等学校を卒業し、早稲田大学政治経済学部に進学されます。
1977年、NHKに入局。
1984年から外信部記者としてカンボジア内戦や湾岸戦争などの取材をされました。
2000年にはNHK解説委員に就任。
中東情勢を担当し、コメンテーターとして報道番組に出演されるようになります。
2006年4月3日からスタートした夜9時台の報道番組「ニュースウオッチ9」ではメインキャスターを務められます。
しかし、病気のために翌年10月31日で降板されることになりました。
2009年からは再び出演されています。
2010年3月からは「あさイチ」でイノッチと有働アナとともにMCを務められました。
以前中東を取材し、解説をされていた柳澤さんを知らない世代にとっては、「あさイチに出る人で、優しいおじさん」というイメージが強いのではないでしょうか?
2012年、NHK放送総局解説委員長に昇進されますが、その後また解説委員に戻られました。
高いところにいるよりも現場の方がお好きだったのでしょうか?
2017年10月、「会津会」の第8代会長に就任されます。
「会津会」というのは会津出身者による親睦会で明治45年から続いているそうです。
柳澤秀夫さんは現在も会長をされているようです。
柳澤さんは2018年9月30日にNHKを退局されました。
そして翌日、ホリプロとマネジメント契約をされました。
趣味はアマチュア無線で、どこに行くにも無線機を持って行かれます。
熊本に取材に来られた時も無線機を何台も持っておられました。
そういうところは少年のようですね。
アマチュア無線技士としては高度な知識と技術を持っておられるようです。
現在は?
柳澤秀夫さんは現在ホリプロに所属しておられます。
そしてテレビ朝日の「ワイド!スクランブル」に、水曜と金曜のレギュラーコメンテーターとして出演されています。
柳澤さんは現在65歳ですが、60歳で定年を迎えてから5年間、NHKで継続してがんばってこられました。
でも、「ここでもう一度初心に返り、やりたいことにチャレンジしたい。」とホリプロに移籍することを決心されたのだそうです。
私より年配なのに、その内に秘めた情熱と若々しさに驚くばかりです。
すごく尊敬します!
病気も気になる!
柳澤秀夫さんの病気が分かったのは、2007年、「ニュースウオッチ9」でメインキャスターをされていた頃でした。
柳澤さん、54歳の時です。
病名は肺がん。
柳澤さんは、医者から「肺がん」と聞かされた時、大きなショックを受け、病名を口に出すことができなかったそうです。
戦争の現場を取材してきた自分が、自分の病気にショックを受けているという事実もまた、柳澤さんにとっては二重のショックだったかも知れませんね。
当初は「肺疾患」ということで番組を降板し、治療に専念することになりました。
柳澤さんは手術を受けて右肺の上葉を取り除きました。
手術は成功したのですが、その後は抗がん剤に苦しむことになります。
しかし、家族の支えがあり、柳澤さんは病気を克服されました。
あさイチが始まった2010年はまだ治療中の時だったようです。
でもお仕事に復帰できるくらい、体調は回復されていたのでしょうね。
柳澤さんは2012年11月に放送された「NHKスペシャル」で初めて、ご自分の病気が肺がんだったことを明かされました。
そしてご自身の闘病体験と日本のがん治療に対する考えを語られました。
現在は病気を克服し、お元気で、これからの夢に向かっておられます。
妻と子供について
柳澤秀夫さんの妻と子供についても調べてみました。
柳澤さんは結婚されていて、妻と二人の子供さんがおられます。
子供さんは男の子と女の子だそうです。
外信部の記者としてカンボジアの内戦や湾岸戦争などを取材しておられた時は、一度出かけたらいつ帰るか分からないような生活を続けておられました。
妻や子供からは「うちにはお父さんはいない。」と言われていたそうです。
そんな柳澤さんですが、妻は柳澤さんが病気の時は共に病気と闘われたそうです。
妻のおかげで、今の柳澤さんがあるのですね。
まとめ
今回は、元NHK解説委員の柳澤秀夫さんについてお伝えしました。
静かで優しそうな柳澤さん。
でも世界の情勢をキャッチし、真実を伝えていきたいというその姿勢には大変感銘を受けます。
そして命に関わる大病をされた経験が、今の柳澤さんんの包容力を作っているのではと思いました。
柳澤秀夫さんはこのように語っておられます。
これを機に色んなことにチャレンジしたいと思いますが、現場にはこだわっていきたいですね。
取材現場にも行きたい。
私の五感、六感を使い世の中に伝え、ジャーナリズムという原点にも帰りたい。
そして世の中や次の世代のためになれたらうれしいですね。
引用元 https://www.oricon.co.jp/news/2120776/full/