窪美澄の結婚について!夫と子供は?出身高校と大学も調査!

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皆さん、こんにちは。

第159回直木賞の発表が迫っています。

今回の候補者の中に窪美澄(くぼ みすみ)さんがいらっしゃいます。

窪美澄さんは35歳で小説を書き始め、発表される作品が次々と大きな賞を受賞される話題の作家さんです。

窪美澄さんの作品には、いろいろな人生を歩む人たちへの温かいまなざしが感じられますが、窪美澄さんは一体どんな人生を送り、その温かいまなざしを持つようになられたのでしょうか?

今回は窪美澄さんに迫っていきたいと思います。

窪美澄の結婚について

まず窪美澄さんの結婚について調べてみました。

窪美澄さんは20代で結婚されましたが、子供さんが10代の頃に、結婚生活がうまくいかなくなり、43歳の時に離婚されました。

本当に人生にはいろんなことがありますよね。

結婚当初は予想もできなかったことが、その後の結婚生活の中で起きてくるものです。

でも、窪美澄さんは結婚されたことを後悔はされていないようですよ。

結婚生活の中でのいい思い出は大事にしておられます。

夫と子供は?

次に、窪美澄さんの夫と子供について見ていきたいと思います。

窪美澄さんは20代の時に、元の夫と東京で暮らし始めます。

夫は優しい人だったみたいですよ。

一緒に住み始めた頃、長野の友達のところに猫が生まれたので、「飼いたい。」と言ったら、東京まで連れてくることやその他いろいろと大変なことがあるのに、夫は「いいよ。」と言ってくれたのだそうです。

窪美澄さんは今でもその時のことを思い出すと嬉しくなり、「自分の人生もなかなかいい人生じゃないか。」と思えると語っておられます。

しかし夫の仕事がうまくいかなくなり、自分が稼いで子供に食べさせなくちゃと思いました。

子供が15歳になった時、窪美澄さんは夫と別居し、子供との2人暮らしを始めました。

実は窪美澄さんは26歳の時、最初の子供を産みますが、その子供は亡くなってしまいます。

そして28歳の時に次の子供を出産しました。男の子です。

2011年に、「ふがいない僕は空を見た」が山本周五郎賞を受賞し、また本屋大賞第2位になって、本が売れるようになりますが、その収益は全部、息子さんの大学受験や学費に使われたそうです。

窪美澄さんは、大学受験を控えた息子さんに、そういうお金の話をして、ある時は「カネ、カネってうるさい!」とキレられたのだとか。

子供さんは今は一人暮らしをされていますが、一緒に暮らしていた頃から、母親である窪美澄さんの小説の内容については何も話すことはないそうです。

子供さんは「ふがいない僕は空を見た」がテレビで紹介された時、性描写があることを知ってショックを受けていたそうです。

でも、小説家としての母親の仕事をきちんと理解し、尊重しておられるようです。

窪美澄さんは炊事が苦手ですが、子供さんと暮らしておられた時は、子供さんのために食事作りや弁当作りを頑張ったのだそうです。

出身高校と大学も調査!

窪美澄さんの出身高校と大学についても調べました。

窪美澄さんの出身高校はカリタス女子高等学校です。

この高校は、神奈川県川崎市唯一のキリスト教カトリック系の私立高校で、中高一貫女子校です。

母体はカナダにあるケベックカリタスという修道女会です。

この高校の出身者には、乃木坂46の桜井玲香さんや小説家の乃南アサさんなどがおられます。

窪美澄さんは高校卒業後、短期大学に進まれました。

しかし、その大学についての具体的な情報は見つけることができませんでした。

しかし、大学在学中に、父親が自己破産をして、そのため大学を続けることができずに、中退しなければいけませんでした。

経歴とプロフィール

それでは、窪美澄さんの経歴とプロフィールについてもまとめておきます。

窪美澄さんは1965年に東京都稲城市に生まれました。

子供の頃は中川李枝子さんの「いやいやえん」や「ももいろのきりん」などをよく読んでいました。

積極的に本を買ってくれる家庭ではなかったので、学校の図書室や稲城市の図書館で本を借りていました。

窪美澄さんは小学校からカトリックの学校へ行きます。

多分、カリタス女子高校の系列であるカリスタ小学校だと思われます。

窪美澄さんは7歳の時に「こどものせいしょ」をもらって何度も繰り返して読みました。

それがきっかけになって物語世界に惹かれていきました。

また小学校のころから作文が得意で、先生に褒められていたそうです。

小学2年生の時、コンクールに出すために放課後残って作文を書かされますが、窪美澄さんは調子に乗って原稿用紙5枚くらい書いたのだそうです。

小学2年生で5枚だなんて、びっくりです。

それからある担任の先生は「せんせいあのね」を続けてくださったそうです。

「せんせいあのね」とだけ書かれたプリントに自由に何かを書いていくと、先生が丁寧にコメントを返してくださり、それが嬉しくていろいろと書いていたのだそうです。

こういうことは、子供達の将来に大きな影響を与えるものなんですね。

中高学年になってからは、12歳で飛び降り自殺をした子の詩集「ぼくは12歳」を何度も読みました。

窪美澄さんが中学生の時、母親が家を出て行くというとてもショックなことがありました。

父親は絶望して、子供達を連れて心中しようとまでしたのだそうです。

そして前述したように、高校、短大と進みますが短大を中退します。

その後、いろいろなアルバイトをするのですが、アルバイトをしていた広告制作会社の社員になります。

結婚、出産の後、お金を稼ぐ必要から、ある雑誌のライターになります。

ライターとして、いろいろな人に取材をしていくと、そのまま雑誌には書けないけれど、フィクションとしてなら書けるのではないかと思うことがあり、35歳の時から小説を書き始めました。

そして2009年、「ミクマリ」で第8回女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞し、小説家としてデビュー。

2011年、「ふがいない僕は空を見た」で第24回山本周五郎賞を受賞し、さらに第8回本屋大賞第2位に輝きます。

同作はタナダユキ監督によって映画化され、第37回トロント国際映画祭に出品されました。

2012年、「晴天の迷いクジラ」で第3回山田風太郎賞を受賞

そして2018年、「じっと手を見る」で第159回直木賞候補になります。

窪美澄さんはご自身が小説を書くことについて、このように語っておられます。

言っていることは「生きる」というシンプルなことなんですけど、その一言に説得力を持たせるために、小説を書いているという思いはあります。
すごく悩んでいる人に「死んじゃだめだよ」とただ声をかけるだけじゃ響かないことも、小説を読んで、初めて腑に落ちる、届く言葉というのが、たぶんいっぱいあるんじゃないかなと思うんです。そのために私は300枚、400枚かけて書いているんだと思います。

引用元 http://www.hmv.co.jp/news/article/1112120047

窪美澄さんの小説は読者への「今は苦しくても生きていこうよ。」というエールなんですね。

第159回直木賞の発表は7月18日(水)です。

楽しみですね。

 

 

 

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