皆
さん、こんにちは。
私、ちょっと楽しみなことがあります。
それは、もうすぐ県外の孫達に会いに行くことです。
孫のところに行くと、待ってましたとばかりに「これ読んで~」と絵本を次々に持ってきます。
3歳の男の子のお気に入りは「りんごかもしれない」と「もうぬげない」の2冊。
「りんごかもしれない」は男の子特有の”へりくつ”に満ちています。
「もうぬげない」は、ばかばかしくて笑っちゃいますね。
そのゆるさがとても安心でき、心をリラックスさせてくれるんです。
そんなゆるーい絵本の作者がヨシタケシンスケさんです。
今回は、このヨシタケシンスケさんにフォーカスしたいと思います。
ヨシタケシンスケのプロフィールと経歴
まず、ヨシタケシンスケさんのプロフィールと経歴について見ていきたいと思います。
プロフィールは?
ヨシタケシンスケさんのプロフィールは以下のようになっています。
1973年、神奈川県生まれ。
筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。
イラストレーター。絵本作家。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど、多岐にわたる作品を発表しつづけている。
絵本デビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で、第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞を受賞。
『りゆうがあります』(PHP研究所)で第8回MOE絵本屋さん大賞第1位、『もうぬげない』(ブロンズ新社)で第9回同賞1位。
著書に『しかもフタが無い』(PARCO出版)、『結局できずじまい』『せまいぞドキドキ』(以上、講談社)、『そのうちプラン』(遊タイム出版)、『このあとどうしちゃおう』『ぼくのニセモノをつくるには』(以上、ブロンズ新社)、『なつみはなんにでもなれる』(PHP研究所)などがある。引用元 https://www.1101.com/yoshitake/2017-05-20.html
経歴について
ヨシタケシンスケさんの経歴についても見ていきましょう。
ヨシタケシンスケさんは1973年6月17日、神奈川県茅ケ崎市に生まれました。
ヨシタケシンスケさんは姉1人と妹2人の4人兄弟という環境で育ちました。
2つ上の姉は勉強も絵も得意でいつも表彰されているような人でした。
ヨシタケさんは何をやっても姉にかなわないので、自己主張することもなく、場を荒立てないように、いつもおとなしくしていたのだそうです。
しかし姉は工作だけはやらなかったので、ヨシタケさんが物を作ると、母親が喜んでくれました。
ヨシタケさんは、それが嬉しくて工作が好きになりました。
主体性のない子どもだったので、将来の夢を思い描くこともなく、小学校で自分の夢を書きなさいと言われることが嫌で、中学校で進路を決める時も困りました。
いつも親や先生に怒られないようにしていたので反抗期もなかったそうです。
大学は子供の頃から好きだった造形の方に進みました。
大学卒業後はゲーム会社に就職します。
ここではストレスが溜まり、職場で上司の悪口をイラストにしていたそうです。
人が通ると、見つからないように利き手でさっと隠していました。
それで、ヨシタケシンスケさんのイラストは小さくなったそうです(笑)
ヨシタケさんは、それらのイラストをコピーして、自費出版の冊子を作りました。
それがある編集者の目に留まり、イラスト集「しかもフタが無い」を出版します。30歳の時です。
その後、「週刊文春」でイラストの仕事を14年間続けました。
そして2013年、40歳の時に初めての絵本「りんごかもしれない」を出版。
これが思いもかけず、爆発的に売れて、65刷を重ねました。
「りんごかもしれない」は第6回MOE絵本屋さん大賞第1位になり、第61回産経児童出版文化賞美術賞も受賞しました。
その後、次々に絵本を出版し、「りゆうがあります」は第8回MOE絵本屋さん大賞 第1位になります。
「もうぬげない」はボローニャ・ラガッツィ賞 特別賞を受賞。
「このあとどうしちゃおう」は第51回新風賞を獲得しました。
ヨシタケシンスケさんの絵本の作り方は他の絵本作家さんとは違っていて、いつも持ち歩いている手帳に小さいイラストを描き、それを拡大コピーするそうです。
着色が苦手なので、色はデザイナーさんにつけてもらいます。
一度、自分で色をつけたら、即、ボツになったのだとか(笑)
そのゆるーいところが、何ともいいんですよね。
ヨシタケシンスケさんは、絵本作家としてだけでなく、NHKみんなの歌で放送された「恋なんです」のDVD用アニメーションを担当するなど、イラストレーターとしても活躍されています。
本名は?
ヨシタケシンスケさんの本名について調べてみました。
ヨシタケシンスケさんの本名は吉竹伸介さんです。
ペンネームは本名と同じ読みをカタカナにしただけなんですね。
なぜカタカナにしたのかは、ご自分でもはっきり覚えておられないそうですけど、大学生の時に、現代美術家のヤノベケンジさんがデビューされて、カタカナ表記がかっこいいと思ったのだろうということです。
でも造形のお仕事の時は本名の漢字を使っておられるそうです。
ヨシタケシンスケさんのゆるーい絵本に、「ヨシタケシンスケ作」というのは、とっても合いますね(笑)
妻と子供について
次にヨシタケシンスケさんの妻と子供について見てみたいと思います。
ヨシタケシンスケさんは2003年に結婚されました。
ヨシタケシンスケさんの妻は、ヨシタケさんの作品には興味がなかったんですけど、ヨシタケさん自身には興味を持ってくれたのだそうです。
あるインタビュー記事によると、ヨシタケさんの妻は、はっきりした、元気な感じの方のようです。
ヨシタケさんには二人の子供がいます。
二人とも男の子です。
ヨシタケさんが34歳の時に上の子供が生まれました。
子供が生まれると、夜中にしょっちゅう起きて寝不足になったり、妻がリウマチになって子供を抱っこできなかったりと、とても大変だったようです。
ヨシタケさんは子供をおんぶしてイラストを描いていました。
ヨシタケシンスケさんは、10年前に妻と子供たちと一緒にご実家に帰って来られました。
現在、子供さん達は小学6年生と6歳です。
子供達は言われたことはすぐにしない、訳の分からないことをずっとやっているという「男の子」の典型のような子供達です。
ヨシタケさんの妻は、しょっちゅう子供達を怒っているそうです。
そうなりますよね。だって母親は男の子になった経験がありませんから、男の子のことが今一つ分からないのです。
ヨシタケシンスケさんは、子供を育てていなかったら絵本を描いていなかっただろうなと思うことがあるそうです。
出身大学と高校は?
それでは、ヨシタケシンスケさんの出身大学と高校も見てみたいと思います。
ヨシタケさんの出身大学は筑波大学です。
ヨシタケさんは、1992年に筑波大学芸術専門学群に入学しました。
そして1996年、筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースに進み、1998年に修了します。
大学時代は立体作品を作っていました。
デッサンは苦手で、「よくそれで、ここに来れたな。」と言われる程でした。
高校については、具体的な高校名は分かりませんでしたが、地元の神奈川県内の高校のようです。
高校進学の時は、特に行きたい高校も、やりたいこともなく、ただ先生に勧められてその高校に進学しました。
願書を出しに行くまで、その高校の場所も知らなかったそうです(笑)
まとめ
今回はちょっと変わった絵本作家、ヨシタケシンスケさんについてお伝えしてきました。
場を荒立てないようにひっそりと生きてきたヨシタケシンスケさん。
でも実はその生き方が、多くの子供達や大人のを共感を得ているんでしょうね。
短所と思っていたことが、今は長所になり、多くの人を楽しませています。
ヨシタケシンスケさんはこう言われています。
日常の延長線上にあるささやかな出来事を、「身もフタもないようなことってあるよね」って言いたいんです。逆に言うと、その身もフタもないようなことをちゃんと笑い飛ばすようなことができれば、意外とそれが幸せへの近道になるんじゃないかと思っていて。自分の生き方の肯定に近づくんじゃないかという気もするんですよ。ちょっとずつ、世界観が変わっていくはずなんです。
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