皆さん、こんにちは。
19歳で渡米し年商250億、アメリカでイチローの次に有名な日本人ってご存知ですか?
それはヨシダソースの創業者、吉田潤喜(よしだ じゅんき)さんです。
吉田潤喜さんは日本でも「カンブリア宮殿」や「真相報道バンキシャ!」など多くの番組に取り上げられたビジネス成功者です。
吉田潤喜さんは「金儲けは恩返し」と言われます。
どういうことでしょう?
私は、お金持ちの人って、お金を儲けることが一番なのかなと勝手に思っていましたが、吉田潤喜さんはそうではないみたいです。
吉田潤喜さんって一体どんな人生を送って来られたのでしょうか?
今回は吉田潤喜さんの妻と娘、経歴とプロフィール、そして名言に迫ってみました。
吉田潤喜の妻と娘について!
吉田潤喜さんの妻のお名前はリンダ・マクファレンさんです。
吉田潤喜さんは渡米した直後に、大学で空手を教えていた時期がありました。
その時に妻のリンダさんに出会い、一目ぼれをしてしまったそうです。
そして2度目のデートでプロポーズ。
それもすごいですけど、もっとすごいのは、そのプロポーズの方法。
火の付いたタバコを自分の手に押し当て「お前がOKと言うまで、ずっとこうしている。」と言ったそうです。
うわっ、こんなプロポーズ、初めて聞きます。
びっくり仰天ですね!
それから今まで、妻、リンダさんはずっと吉田潤喜さんを支え続けてこられました。
ピンチでどん底に落ちそうになった時も、妻の叱咤激励によって、吉田潤喜さんは再び前を向くことができました。
また妻の父親も、自分の大切な退職金を吉田さんが事業を立て直すために使ってくれたのだそうです。
結婚して45年が過ぎた今、妻のリンダさんは吉田潤喜さんとの結婚生活を「エキサイティングで、楽しかった。素晴らしい旅は続いている。」と語っておられます。
吉田潤喜さんには3人の娘さんがおられます。
最初の娘さんはクリスティーナさん、2番目か3番目の娘さんはエリカさん、もう一人のお名前は分かりませんでした。
最初の娘さんは、生後まもなく危険な状態になり、治療をしないといけなかったそうですが、
当時は貧乏で、治療費が支払えるか心配したそうです。
でも病院からの請求はたったの250ドルで、吉田潤喜さんは病院への感謝で涙が止まらなかったそうです。
その時、吉田さんは、将来絶対成功して病院に恩返しすると決心しました。
その娘さんには現在4歳と6歳の息子さんがおられます。
吉田潤喜さんはお孫さん達が可愛くて仕方がないようです。
2番目の娘さんは不動産のお仕事を、3番目の娘さんは大学卒業後、CGの勉強をされているそうです。
経歴とプロフィールは?
それでは、吉田潤喜さんの経歴とプロフィールを見てみたいと思います。
吉田潤喜さんは1949年12月7日、京都府京都市に7人兄弟の末っ子として生まれました。
現在68歳。
ご両親は韓国人で、吉田さんは在日コリアン2世です。
旧名は準輝(じゅんき)さんです。
父親はカメラマン、母親は雀荘店や焼肉店を経営されていて、大変貧しいくらしだったそうです。
吉田潤喜さんは3歳の時、目に針がささって右目を失明してしまいます。
子供時代は右目のことや在日コリアンということで大変ないじめに遭うのですが、そのことが「今に見とれ!」というその後の吉田潤喜さんを作るエネルギーとなります。
強くなるために始めた空手は8段の腕前です。
19歳の時、大学受験に失敗したのを機にアメリカに渡ります。
アメリカで空手道場を開きますが、生徒数が減り、経営難に陥ります。
そんな時、生徒からもらったクリスマスプレゼントのお返しに、手作りのバーベキューソースを贈ります。
物を買うお金もないので、焼肉店をやっていた母親に教えてもらい、醤油ベースのソースを作ったのです。
思わぬことにこのソースが大好評で、これで商売を始めることになります。
30歳の時に母親のたれをもとに「吉田グルメのたれ」を考案。
1982年、オレゴン州に吉田フーズを創立します。
そして吉田社長自ら店頭に立ち、カウボーイハットと着物、下駄などの独特ないでたちとパフォーマンスでソースを売ります。
最初は白い目で見られていた吉田潤喜さんですが、そのうちに人気者になり、テレビ番組にも出演するようになって、売り上げは急速に伸びていきました。
コストコとの提携も販路の拡大に効果を上げました。
その後、4度の経営危機に直面し、ある時はピストルを頭に突き付けたこともありましたが、持ち前の負けん気で危機を乗り越え、今では一日に7万本も生産する大会社に成長しました。
吉田潤喜さんは、アメリカで「ソース王」と呼ばれ、ヨシダソースは現在、14か国以上で販売されています。
また空手の教え子の中にナイキの創業者の子供さんがいたことが縁で事業を拡大し、航空貨物やスポーツウェア、レストランなど年商250億円の複合企業「ヨシダグループ」に成長しました。
ヨシダフーズはアメリカの中小企業局(SBA)が選ぶ全米24社の中に名を連ね、吉田潤喜さんは2005年、Newsweek誌(日本版)で「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれました。
2010年にはオレゴン州と日本の友好に貢献した功績で「外務大臣賞」を受賞。
現在、吉田潤喜さんはヨシダグループの会長をしながら、テレビ出演、講演活動などパワフルに頑張るかたわら、オレゴン州知事経済顧問や全米空手道連盟理事なども務めておられます。
吉田潤喜さんは1977年にアメリカ国籍を取得しておられます。
お笑い芸人のレッド吉田さんはいとこにあたります。
お姉さんは京都市で「キッチンよし田」を経営しておられます。
著書には「無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえたヨシダソース創業者ビジネス7つの法則」や「『人儲け』できない人生ほどつまらないものはない!~アメリカンドリームを体現した男が語る人生充実の極意~」などがあります。
以上、吉田潤喜さんの経歴とプロフィールでした。
名言もチェック!
吉田潤喜さんご自身の体験を通して、その口から出てくる言葉はまさに名言です。
その名言達は、吉田さんの体をくぐっているので、私達はそれらの名言にストレートに励まされます。
それでは、それらの名言からいくつかをご紹介しますね。
目の前の扉がパターンとしまってしまったとき、周りを見回してみよう。必ずどこか別の扉が開いているのだ。
100%のパッションがあれば、何でもできる。99%ではダメ。たとえ1%の違いであっても、実質的には100とゼロだ。その1%に甘えがある。
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2」
その夢を実現するために死ぬ気で頑張れるか、自分の胸に聞いてみなはれ
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2」
世の中でいわれている成功だけが、真の成功ではない。大切なのは、自分の人生に満足できるかどうかだ。
勝負をためらっていたら、いつまでたっても成功は手にできません。何でもいいですやん。不満や矛盾があるなら、とりあえずそれを目的に動き出せばいい。“God damn it,watch me!”。いつも「なにくそ! 今に見とれ!」の精神をもって。
引用元 https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/35154
すばらしいですね。
吉田潤喜さんの名言の数々。
私達にも勇気を与えてくれますね。
まとめ
いかがでしたか?
吉田潤喜さんの人生とその名言。
何か、自分にもパワーが湧いてくるような感じがするでしょう?
「自分は今まで”人儲け”をしてきた。お金を儲けることだけ考えていたら成功しなかっただろう。」と語られる吉田潤喜さん。
本当に尊敬できる方です。
この方の生き方に触れることができてよかったなあと思っています。