皆さん、コーヒーはお好きですか?
最近は私の家の近くにも、星乃珈琲やコメダ珈琲、前川珈琲などコーヒー店が増えてきました。
私はコーヒーの味が分かる方ではないのですが、コーヒー店でコーヒーとスイーツを前にゆっくりとしたひと時を過ごすって素敵ですよね。
さて、最近、高倉町珈琲というお店が話題になっています。
そのコーヒー店を始められたのはすかいらーくの創業者「前川4兄弟」のお一人、横川竟(よこかわ きわむ)さんです。
驚くことに横川竟さんは80歳を過ぎていらっしゃるんですよ!
80歳を過ぎて多くの人を魅了するコーヒー店を展開するなんて、横川竟さんって一体どんな方なのでしょうか?
今回は、横川竟さんの出身大学と高校、妻と兄弟、高倉町珈琲そして経歴とプロフィールに迫ってみました。
横川竟の出身大学と高校について
横川竟さんは大学には行かずに、旧制中学校を卒業後に就職をされています。
横川さんが旧制中学校を卒業された昭和30年代の日本の大学進学率は1割強ですので、大学に進学した人は余程裕福で向学心に燃えていた人だったのでしょうね。
横川竟さんの最終学歴は長野県立諏訪中学校です。
「中学校」と言っても、学校教育法が施行される前なので、今の高校にあたります。
諏訪中学校は現在の長野県諏訪清陵高等学校の前身です。
1895(明治28)年に諏訪郡立実科中学校として開校し、1900(明治33)年に諏訪郡立諏訪中学校と改称されます。
翌年、長野県立諏訪中学校になり、1948(昭和23)年、新学制により長野県諏訪清陵高等学校となりました。
この高校は多くの大学教授やジャーナリストを輩出していて、作家の新田次郎さんやアナウンサーの矢島学さんも諏訪清陵高校の卒業生です。
また横川竟さんのお兄さんの横川端さんは諏訪中学校を中退しておられ、弟の横川紀夫さんは新学制になってからの諏訪清陵高校を卒業しておられます。
妻と兄弟は?
横川竟さんは結婚しておられますが、妻のお名前などの情報は一切公表されていません。
ただ、妻がいらっしゃるということだけは分かっています。
子供さんがいらっしゃるかどうかということについては分かりませんでした。
横川竟さんは4人兄弟の3番目で、兄弟4人で「ことぶき食品」というスーパーを、後にファミリーレストラン「すかいらーく」を創業されました。
長男は横川端(ただし)さんで現在はすかいらーくの最高顧問であり東京交響楽団の会長もされています。
二男は茅野亮(ちの たすく)さんで、すかいらーく社長をされましたが、2010年に亡くなられました。
親戚の養子になられたので、この方だけ姓が違います。
三男が横川竟さん、四男が横川紀夫さんです。
四男の横川紀夫(のりお)さんも現在、すかいらーくの最高顧問です。
すかいらーくを創業したこの4人は「横川4兄弟」と呼ばれています。
高倉町珈琲もチェック!
高倉町珈琲は横川竟さんがすかいらーく社長退任後に始められた喫茶店チェーンです。
80歳近くになって、新しい事業を始められるなんて、何と凄い方でしょう。
2013年6月1日に東京八王子に高倉町珈琲第一号店がオープンします。
2014年4月には高倉町珈琲という会社を設立されました。
それから4年で、現在は19店舗に広がり、従業員数は約450名だそうです。
高倉町珈琲のコンセプトは「お客様にくつろぎの空間で美味しい料理を楽しんでいただく」ことです。
そのためのこだわりは、おいしいコーヒーや日本一のパンケーキ、メープルシロップ、くつろぎの空間、上質・安全・健康に表れています。
ちょっと贅沢な調度品やBGMのビートルズがシニアに喜ばれています。
そして、ふわふわでしっとりしているリコッタチーズのパンケーキが大人気です。
それにパスタやビーフシチューなどの食事のメニューも充実しています。
また高倉町珈琲のホームページには、「高倉町珈琲の思想~横川竟のささやき~」というのがあり、横川竟さんご自身が思いを語っておられるのが凄いことだと思います。
例えばこんなことが書いてありました。
技術・システム・人口知能、いろいろなことがどんどん進歩しています。
これまで、人がやっていたことを助けてくれるものはどんどん取り入れたらいいのです。
でも、人間にしか、人にしかできないこと、それは「心で接する」ことです。
「心をこめて仕事をする」それは形ではないのですが、お客様の心の「豊かさ」につながるのだと思います。
あふれる笑顔の皆さんがいるお店、皆で「いい店」にしていきましょう。
横川竟の経歴とプロフィール
それでは、横川竟さんの経歴とプロフィールをまとめておきます。
横川竟さんは1937年(昭和12)生11月1日に長野県諏訪市に生まれました。
4人兄弟の3番目です。
横川竟さんは家族と共に3歳から6歳までを中国の満州で過ごされました。
6歳の時、父親が亡くなり、故郷の長野県に戻って来られます。
生活が苦しく、小学3年生から新聞配達をはじめ、もらったお金で山羊や兎や鶏などを飼っていました。
中学を卒業すると東京の築地で働き出しますが、それまでのくらしと比べると、白ご飯を一杯食べられるというだけで天国に思えたそうです。
そこでは従業員全員の3度の食事を作らなければいけませんでしたが、商売の原理・原則を叩き込まれ、その後の経営者としての基盤が出来上がったようです。
1962年、横川竟さんが24歳の時に4兄弟で「ことぶき食品」を設立されます。
24歳で起業だなんて、凄いですね!
そして1970年、「すかいらーく」の1号店、国立店をオープンさせます。
1970年というと大阪で万博が開かれた年ですね。
庶民の目が世界に向けられた頃なのでしょう、アメリカのシステムを採り入れたファミリーレストランは大繁盛しました。
「日本一おいしいハンバーグを作ろう。」とみんなでがんばったのだそうです。
1981(昭和56)年、日本一の300店になりました。
しかし横川竟さんはすかいらーくを辞め、1年で8億円の負債をつくった「ジョナサン」に移り、5年間で株式上場するまでに育てました。
その後、時代の流れで、外食産業の競争が激化し、すかいらーくの業績も悪化していく2006年に再びすかいらーくに戻り、代表取締役会長兼最高経営責任者に就任されます。
2008年、業績不振を理由に臨時株式総会と代表取締役会で退任が決定しました。
しかし、引退かと思いきや、2013年に高倉町珈琲1号店のオープンに至るのです。
現在は高倉町珈琲の代表取締役会長をされながら、きわむ元気塾を開き、後進の指導にもあたられています。