東京パラリンピックで、競泳の鈴木孝幸選手が日本勢初の金メダルを獲得しました!
パラリンピックでの日本勢の金メダルはロンドン大会以来9年ぶりです。
鈴木孝幸選手は4大会連続出場のレジェンドです。
すごいですね!
今回は、鈴木孝幸選手の出身高校と大学、両親と祖母、プロフィールと経歴、そして結婚に迫ります。
鈴木孝幸の出身高校と大学
まず、鈴木孝幸選手の出身高校と大学について見てみましょう。
鈴木孝幸選手の出身高校は聖隷クリストファー高校です。
聖隷クリストファー高校は静岡県浜松市にある私立の中高一貫校で、キリスト教の精神が基礎にあり、全学年で聖書科の授業があるそうです。
聖隷クリストファー高校の出身者には、阪神タイガースの鈴木翔太選手やバレーボールの鈴木悠二選手がおられます。
鈴木孝幸選手の出身大学は早稲田大学です。
鈴木孝幸選手は早稲田大学の教育学部で学ばれました。
水泳の選手では、坂井聖人や瀬戸大也選手も早稲田大学出身です。
鈴木孝幸の両親と祖母について
次に、鈴木孝幸選手の両親と祖母について見ていきますね。
実は、鈴木孝幸選手の両親は、自分たちの子供である孝幸選手を母方の祖母に託して姿を消してしまったのだそうです。
鈴木孝幸選手は、両足は膝から下がなく右腕は肘から先がない、しかも左手指が不自由という姿で生まれました。
鈴木孝幸選手の両親は、この姿にショックを受け、育児を放棄してしまったのですね・・・。
鈴木孝幸選手を託された祖母は小松洋さんと言われます。
祖母の小松洋さんは、当時保育園の園長をしておられました。
この祖母、小松洋さんが知恵と深い愛情を持つ、素晴らしい方だったのです。
血の繋がった祖母である小松さんは、鈴木孝幸選手を養子にはせず、里子として育てました。
将来、自分がいなくなった時、きちんと自立できるように姓は違ったままで育てたのです。
そして、小学入学前から水泳を習わせます。
おかげで鈴木孝幸選手は、自分の持つ体の機能を100%使って、何でも自分でする人に育ちました。
これは全く関係ない、小学校の教員をしていた私の母から聞いた話ですけど、担任していた子の中に、生まれつき右腕がない子がいたのだそうです。
リコーダーの練習の時は、左腕に包帯でリコーダーを縛り付けて練習していましたが、たまたま学校に来たその子のおばあちゃんがそれを見て、遠くで泣いていたと言っていました。
鈴木孝幸選手の祖母も、鈴木選手の前では気丈に振る舞っていても、人知れず、どれだけの涙を流されたことだろうと思います。
そして、鈴木孝幸選手が20歳になった時に、祖母の小松さんは里子の終了届を提出されました。
鈴木孝幸のプロフィールと経歴
それでは、鈴木孝幸選手のプロフィールと経歴をお伝えします。
プロフィール
鈴木孝幸選手のプロフィールは、鈴木孝幸選手のオフィシャルウェブサイトから引用させてもらいました。
このウェブサイトがとにかくかっこいいです!
鈴木孝幸 | Takayuki Suzuki
1987年1月23日生まれ。静岡県浜松市北区出身
早稲田大学教育学部卒業
2009年 株式会社ゴールドウイン入社
(中略)
6歳から水泳を習い始め、15歳から本格的に障がい者の水泳大会に出場するようになる。2004年、高校3年生の時には日本代表としてアテネパラリンピックに出場し、200mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。
2008年の北京パラリンピックでは、競泳チームの主将を務めた。5種目に出場し、50m平泳ぎで金メダル、150m個人メドレーで銅メダルを獲得した。平泳ぎの予選では48秒49の世界記録を打ち立てている。
2大会連続で競泳チームの主将を務めた、2012年ロンドンパラリンピックでは、150m個人メドレー、50m平泳ぎで銅メダルを獲得した。
4大会連続出場となる2016年リオデジャネイロパラリンピックでは惜しくもメダル獲得はならなかったものの、150m個人メドレー、50m平泳ぎで4位入賞を果たした。
2013年にパラリンピアンとして2020年のオリンピック・パラリンピック招致のアンバサダーも務め、IOC(国際オリンピック委員会)とIPC(国際パラリンピック委員会)に立候補ファイルを提出するなど招致活動に尽力した。
2013年よりイギリス(ニューカッスル)へ留学、現在ノーザンブリア大学でインターナショナルスポーツマネジメントを学びながら日々、トレーニングに励んでいる。
(後略)
引用元 https://taka-swimmer.com/sample-page
経歴
改めて、鈴木孝幸選手の経歴を見ていきましょう。
鈴木孝幸選手は1987年1月23日、静岡県浜松市北区に先天性四肢欠損で生まれました。
現在、34歳です。
生まれた後、祖母が育ててくださったことは、上に書きました。
鈴木孝幸選手は小さい頃から運動が大好きで、何でも友達と一緒にやってきました。
遠足の時も、手に靴をはめて歩いたのだそうです。
本当にものすごいチャレンジ精神の持ち主ですよね。
また、スポーツだけではなく、中学時代は吹奏楽部に入りホルンを吹いていました。
それは、障がいのあるホルン奏者の姿に感動し、刺激を受けたからだそう。
そして、高校では再び水泳に打ち込み、高校3年生、17歳の時に初めてパラリンピックに出場しました。
その時は個人でのメダル獲得はなりませんでしたが、200mメドレーリレーでみごと銀メダルに輝きました。
2008年の北京パラリンピックでは日本競泳チームの主将を務め、50m平泳ぎで金メダル、150m個人メドレーで銅メダルを獲得。
4年後のロンドンパラリンピックでも日本競泳チームの主将として活躍。
2個の銅メダルを獲得しました。
鈴木孝幸選手は、2020年東京オリンピック構想にも協力し、2013年にはパラリンピアンとしてIOCとIPCに立候補ファイルを提出しました。
2013年からはイギリスに留学されています。
そして、4度目のパラリンピック、東京大会において、100メートル自由形で見事金メダルに輝きました。
これは今大会、第1号の金メダルになりました。
鈴木孝幸選手、おめでとうございます!
鈴木孝幸選手の結婚は?
こんな鈴木孝幸選手は結婚されているのか気になりますね。
鈴木孝幸選手の結婚について調べてみましたが、そのような情報は見つかりませんでした。
たぶん、まだ結婚はされていないのではと思いますが、近いうちに思いを一つにし、共に幸せを築いていく結婚相手が現れたらいいなあと思います。