先日、テレビから「iPS細胞から育てた心筋細胞シートを移植する世界初の手術があった。」というニュースが流れました。
それを見ていた娘は「世界初の手術を受け入れるなんて勇気あるね。」
私は「そうしなければいけない程の重症の患者さんなんじゃないの?」と返しました。
この手術をされたのが、心臓血管外科医で大阪大学の澤芳樹(さわ よしき)教授を中心とするメンバーです。
この心筋細胞シートというのは健康な人のiPS細胞を培養し、直径4~5cm、厚さ約0.1mmに加工したものだそうです。
すごい技術ですね。
この澤芳樹教授が2月2日(日)放送の「情熱大陸」で取り上げられます。
また2月1日(土)のBS1スペシャルでは「8K顕微鏡ドキュメント~iPS細胞の世界~」と題して、iPS細胞の世界を長期間撮影したドキュメントが放送され、澤芳樹教授ご自身が出演されます。
私はすごく興味を覚えたので、今回は澤芳樹教授の経歴とプロフィール、出身高校と大学そして妻と息子さんについて調べてみました。
澤芳樹教授の経歴とプロフィール
まず、澤芳樹教授の経歴とプロフィールについて見ていきましょう。
経歴
澤芳樹教授は1955年7月3日、大阪府に生まれました。
澤芳樹教授の家系には医師が多く、澤芳樹教授の祖父も従兄も医師だったそうです。
澤芳樹教授は子供の頃、体が弱く、ぜんそくと食物アレルギーで危険な状態になったこともあり、田舎で転地療養したこともあります。
その頃、父親は片道2時間もかけて大阪に通勤されていたそうです。
中学に入学するとバスケットボールに熱中していたということなので、体も強くなったのでしょうね。
澤芳樹教授はバスケットボール部のキャプテンもされていました。
澤芳樹教授は家族からは医師になるように勧められましたが、子供の頃から自動車や飛行機などに興味があったので、工学部へ進みたいと考えていました。
しかし、高校2年生の時にとてもショックな出来事がありました。
それは、大好きだった27歳の従兄が事故で急死したことです。
そのことが、澤芳樹教授が医師を志す大きなきっかけになりました。
また医師だった澤芳樹教授の祖父も、勤務していた病院で腸チフスに感染して27歳で亡くなったのだそうです。
澤芳樹教授は医師になる決心をして、中学から続けていたバスケットを辞め、勉強に専念するようになりました。
そして、1974年、大阪大学医学部に入学しました。
それなのに、大学に入ると、澤芳樹教授はスキーとテニスに夢中になり、医師になるという志を忘れそうになりました。
スキーではインストラクターになり、ペンション経営にまで手を伸ばしたのだそうです。
しかし6回生になって、これではだめだと思い直し必死に勉強を始めます。
そして大学卒業後、人の命に直結する分野である心臓外科に進むことになりました。
澤芳樹教授は1989年から3年程、西ドイツに留学されます。
そこで心臓外科の勉強をしながら、ドイツの医師の余裕ある暮らし方を目の当たりにし、日本はまだまだ遅れていることを痛感したということです。
そして大阪大学医学部に戻り、命に関わる心臓病を持つ患者さん達のためにずっと情熱を持ち続け、頑張ってこられました。
心筋細胞シートの移植手術までの経緯
澤芳樹教授は心臓移植のエキスパートとして多くの心不全の患者さん達の命を助けてこられましたが、患者さんの数に対してドナーが少なく、心臓移植を待つ間にお亡くなりになるケースもあったそうです。
それで人工心臓での治療に向けての研究を進め、その治療もしてこられました。
しかし、日本に数千人の心不全の患者さんがおられるという現実の中、それでもまだ救える患者さんの数が限られています。
澤芳樹教授は次に、患者さん自身の心臓を元気にしたいという思いから再生医療に目を向け、筋芽細胞を心臓に移植する研究を開始されます。
そして2016年に世界初の心不全治療用の再生医療製品「ハートシート」が生まれました。
でも、それでも重症の患者さんの心機能の低下を防ぐことができなかったのです。
それで2008年、あの、ノーベル賞を受賞された山中伸弥教授とiPS細胞で作った心筋シート心臓に貼り付けるという治療法の研究を開始されました。
そして2020年1月27日にiPS細胞から育てた心筋細胞シートを移植するという世界で初めての手術を行われました。
「患者さんを何とか助けたい」という澤芳樹教授の情熱は本当にすごいです。
そんな澤芳樹教授の趣味はドライブと庭いじりだそうです。
プロフィール
それでは澤芳樹教授のプロフィールをまとめておきます。
名前 澤 芳樹(さわ よしき)
生年月日 1955年7月3日
出身地 大阪府
1980年、大阪大学医学部を卒業。
同年、大阪大学医学部第一外科入局。
1989年、フンボルト財団奨学生として、ドイツのMax-Planck研究所に留学。
1992年、大阪大学医学部第1外科助手に。
2002年、大阪大学医学部臓器制御外科(第1外科)助教授に。
同年、大阪大学付属病院未来医療センター副センター長に就任。
2004年、大阪大学医学部附属病院心臓血管外科副科長に。
2006年、大阪大学大学院医学系研究科外科学講座心臓血管・呼吸器外科教授に。
同年、大阪大学医学部附属病院未来医療センター センター長に就任。
同年、日本バイオマテリアル学会賞を受賞。
2009年、文部科学大臣科学技術賞を受賞。
2015年、日本再生医療学会賞を受賞。
現在、大阪大学大学院医学系研究科心臓血管外科主任教授、日本再生医療学会理事長。
澤芳樹教授の出身高校と大学について
次に澤芳樹教授の出身高校と大学についてお伝えします。
澤芳樹教授の出身高校は大阪府立三国丘(みくにがおか)高校です。
三国丘高校は大阪府堺市にある公立高校です。
三国丘高校は「自主自律」を校訓とし、校則などは生徒の自覚に任せられている面が大きい高校だそうです。
三国丘高校は各界の著名人を多く輩出していますが、ミュージシャンで作年亡くなられた内田裕也さんや作家の中谷彰宏さんも三国丘高校の出身です。
また澤芳樹教授の出身大学は、上述していますように大阪大学です。
大阪大学は大阪府吹田市にある国立大学です。
あの手塚治虫さんは、大阪大学の前身である大阪帝国大学附属医学専門部を卒業されているそうなので、澤芳樹教授の大先輩に当たりますね。
澤芳樹教授は2012年に「阪大三丘会」というものをつくられました。
これは三国丘高校出身で大阪大学の教職員や学生、卒業生の会だそうです。
お忙しいのに、このようなコミュニケーションを大切にされるところに、澤芳樹教授の人間的な温かさを感じますね。
澤芳樹教授の妻と息子は?
最後に澤芳樹教授の妻と息子さんについて見ておきたいと思います。
澤芳樹教授はご結婚されていますが、妻に関する情報は見つけることができませんでした。
澤芳樹教授はずっと心臓血管外科の最前線で活躍してこられたので、それを支える妻にはいろいろとご苦労があったことでしょうね。
澤芳樹教授の趣味のドライブや庭いじりは妻と一緒になさっているのでしょうか?
澤芳樹教授には息子さんがおられ、澤宏樹さんと言われます。
息子の澤宏樹さんは甲陽学院高校でテニスをしていて、その後、お父さんと同じく大阪大学に進学しました。
大阪大学の医学部歯学部ラグビー部のページに紹介されていたので、息子の宏樹さんは医学部か歯学部で学んでおられ、ラグビーをされているようです。
そちらに写真も載っていましたが、とても明るい雰囲気の青年です。
まとめ
今回は、iPS細胞から育てた心筋細胞シートを移植する世界初の手術をされた心臓血管外科医で大阪大学の澤芳樹教授の経歴とプロフィール、出身高校と大学そして妻と息子さんについてもお伝えしました。
日々、心臓に病気を持つ重症患者さん達のためにがんばっておられる澤芳樹教授。
澤芳樹教授は、ご自分の医師としての人生についてこう語っておられます。
後悔は、微塵もなし。天職に就いたと感じています。生まれ変わってもまた同じ仕事がしたいですね。ただ、私が逝ったのち、後輩たちが頑張って、心臓の病気で亡くなる方がいなくなっているかもしれませんね。その際は、別の仕事を探しましょう!
引用元 https://www.dtod.ne.jp/dsway/28/
澤芳樹教授は本当に医療への情熱とユーモアに満ちた方ですね。
澤芳樹教授の再生医療が、一人でも多くの患者さんの希望になりますように。