皆さん、デフリンピックって聞かれたことがありますか?
デフリンピックとは、ろう者を意味する「Deaf」とオリンピックの「Olympics」によって作られた言葉で、4年に一度、世界規模で行われる聴覚障害者のスポーツの祭典のことです。
このデフリンピックで、昨年、4×100mリレーで史上初の金メダルを獲得した佐々木琢磨(
ささき たくま)選手という方がおられます。
パラリンピックのことは知っていても、デフリンピックのことはご存じない方が多いのではないでしょう?
実は私もそんな一人だったのですが、佐々木琢磨選手の活躍のおかげで、デフリンピックのことを知ることができました。
今回は、そんな佐々木琢磨選手の経歴とプロフィール、結婚、出身大学と高校についてお伝えしていきます。
佐々木琢磨の経歴やプロフィール!
佐々木琢磨選手は青
誕生日は11月29日。
現在23歳です。
1歳の時に両側内耳性難聴になり、耳が聞こえなくなります。
子どもの頃から走るのは速かったのですが、きついから好きではなかったそうです。
しかし、入学した青森県立八戸聾学校の中学部には陸上部しかなく、中学1年生の時、しかたなく陸上部に入部します。
しかたなくやっていたものの、中学3年の時、聾学校の東北大会に出場し、200mで優勝します。
その時に味わった喜びがその後も陸上を続ける力になりました。
高校に進学してからも陸上を続けていましたが、高校時代には腰を痛め、また大学時代には幾度も太ももの肉離れに苦しみました。
また健常者と一緒に出場する大会では、スタートのピストルの音が聞こえにくいのも大きな障害でした。
それでも陸上競技を続け、大学を卒業し、母校である仙台大学の職員になった今も、陸上選手として活躍しています。
2013年には第22回
2
同年、日本聴覚障害者大会 10
2016年は同大会で日本記録を更新して優勝しました。
またジャパンパラ陸上競技大会 100mでも大会新記録更新。
世界ろう者陸上競技選手権大会 100mでは4位入賞を果たしました。
そして2017年7月、トルコで行われたデフリンピック 4×100mリレーで優勝しました。
アンカーを務めた佐々木琢磨選手は2位でバトンを受け取ったのですが、みごと前の選手を抜き、日本新記録で日本初の金メダルを獲得したのです。
佐々木琢磨選手は宮城県スポーツ賞 特別功績賞を受賞し、2月に宮城県スポーツ合同表彰式がありました。
フィギュアスケートの羽生結弦選手も同じく特別功績賞を受賞しています。
結婚は?
佐々木琢磨選手は結婚されているのか調べてみましたが、残念ながら、結婚についての情報は知ることができませんでした。
佐々木琢磨選手のツイッターも見たのですが、それらしいことは書かれていませんでした。
おそらく、まだ結婚されていないのではと思いますが、もしかしたら将来の結婚相手やお付き合いされている方はいらっしゃるかも知れませんね。
でも2年後に控えた東京オリンピック出場を目指してがんばっておられるところなので、今はそんな気持ちの余裕もないのかも知れません。
明るくて爽やかな佐々木琢磨選手ですから、きっとこれからいい出会いがあることでしょう。
出身大学と高校について
佐々木琢磨選手の出身大学は仙台大学です。
宮城県にある私立大学で、東北・北海道唯一の総合的な体育大学です。
佐々木琢磨選手は仙台大学体育学部の健康福祉学科で学びました。
大学時代も陸上選手として活躍し、大学2年生の時にデフリンピックに出場しています。
大学を卒業してからは、仙台大学の職員として働きながら、陸上競技を続けておられます。
佐々木琢磨選手の出身高校は盛岡聴覚支援学校です。
高校3年生の時は全国聾学校陸上競技大会の100m、200m、100mリレーで三冠達成を成し遂げました。
まとめ
今回は、デフリンピックで金メダルに輝いた陸上の佐々木琢磨選手についてお伝えしました。
いかがでしたか?
今年の3月には母校である青森県立八戸聾学校に招かれ、講演をされました。
そこで佐々木琢磨選手は後輩達に「耳が聞こえないことで普段の生活でも陸上の練習でも苦労は多いが、目標を持ったらあきらめずに勝つつもりでやれ。」とエールを送られました。
また「パラリンピックは知名度も高いが、聴覚障害者のデフリンピックをもっと知って欲しい。自分が世界で活躍することで、デフリンピックや聾者のアスリートのことを広げていきたい。」とも語られました。
そんな佐々木琢磨選手にこれからも活躍して欲しいです。
そして、東京オリンピックに出場できるよう応援しています。