皆さん、大島花子さんの「親父」という歌を聴かれたことがありますか?
私はこれを聴いて、涙があふれてきました。
大島花子さんは、あの坂本九さんの長女です。
この「親父」という曲は、坂本九さんが生前に作詞作曲されたもので、今、多くの人達に聴かれ、多くの人達に力を与えているそうです。
今回は大島花子さんの夫と息子、本名、そして父と「親父」の曲についてお伝えします。
大島花子の夫について
大島花子さんの夫はブラジリアン柔道場を主催する一般の日本人男性です。
出会いのきっかけは、友人に紹介されてその道場を見に行ったこと。
それから交際が始まり、5年後の2006年10月に婚約発表をされました。
大島花子さんは2006年12月に結婚され、2007年の1月にハワイで結婚式を挙げられました。
柔道家の夫と音楽家の妻、凄い組み合わせですね。
息子について
大島花子さんは2009年に息子さんを出産されました。
現在息子さんは9歳です。
息子さんはスポーツマンの父親と音楽家の母親のDNAを受け継いでいますから、きっと才能溢れた素晴らしい人になられるでしょうね。
大島花子さんは11歳で父親の坂本九さんを失くして以来、ずっと苦しんでこられて、大人になっても自分が何をしたいのか、はっきりと分からなかったそうなんです。
でも息子さんが誕生して、不思議にパワーが湧いてきたそうです。
産後すぐに赤ちゃん連れで行けるライブを企画し、多くのママたちに喜ばれます。
それから大島花子さんは、親が子を思う気持ちの大切さや命の輝きを伝えていこうと決心されます。
本名は?
本名も大島花子さんです。
坂本九さんの本名が大島九(おおしま ひさし)さんなので。
ですから母親の柏木由紀子さんの本名は大島由紀子さんです。
ちなみに妹の舞坂ゆき子さんの本名は大島舞子さんです。
父と「親父」もリサーチ!
大島花子さんの父親は誰でも知っている坂本九さんです。
坂本九さんは「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」など数々のヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上が1500万枚以上にもなりました。
私が子供の頃には毎日のようにテレビに出られ、あの優しい笑顔に安心感を覚えたものです。
ところが1985(昭和60)年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故の犠牲になってしまったのです。
その時11歳だった大島花子さんは父親の突然の死をなかなか受け入れることができなかったそうです。
大島花子さんは父の坂本九さんのことを、「太陽のような人で大好きだった。」と語られています。
父の坂本九さんは仕事が忙しくて、一緒に過ごす時間は少なかったけれども、交換日記で交流をしてくださったのだそうです。
そんな父が亡くなり、大島花子さんは感情を忘れ、「父は長い旅行に行ってるんだ。」と思い込もうとしました。
飛行機事故の現場である御巣鷹山にもずっと行くことができず、やっと行けたのは父親が亡くなって20年経ってからでした。
辛い辛い体験だっだそうです。
その父親、坂本九さんが生前作詞作曲をされた「親父」という曲があります。
親父と酒を飲みながらゲンコで殴られる、その親父がいなくなった。
後半にはこんな歌詞があります。
あなたも もうゲンコでなぐれまい
あなたの写真に黒いリボン
初めて あなたの笑顔の前で飲む
父親の坂本九さんはどんな思いでこの歌を作られたのか、そして父親を亡くした大島花子さんは、父親の作ったこの歌をどんな思いで歌われるのか。
想像したら、涙が溢れます。
でもこの曲は、USEN演歌・歌謡チャート1位を獲得するほどに大きな反響を得ました。
本当に不思議なことですね。
坂本九さんは娘の歌う「親父」を天国で喜んで聴いておられるのではないでしょうか。
大島花子のプロフィール
名前 大島花子(おおしま はなこ)
生年月日 1973年10月7日
出身地 東京都
身長 161センチ
職業 歌手
大島花子さんは今、その柔らかい歌声を通して、命の尊さを伝えておられます。