新型コロナ感染拡大の影響もあり、今、フードデリバリーサービスが人気ですね。
4月30日放送の「カンブリア宮殿」にはデリバリー業界のトップを走る出前館の中村利江社長が出演されます。
興味があったので調べてみたら、中村利江社長の経歴がすごいこと!
中村利江社長の資産は80億越えと言われますが、それを自分のためではなく社会貢献のために使うというその生き方もすごいです。
今回は、そんな出前館・中村利江社長の夫と結婚、経歴とプロフィール、出身大学と高校そして資産や子供についてお伝えします。
中村利江社長の夫と結婚について
まず中村利江社長の夫と結婚について見てみましょう。
中村利江社長は結婚されていて夫がいらっしゃいます。
一般の方なので、夫のお名前は分かりませんでした。
中村利江社長は大学時代から、今の旦那さんとお付き合いをされていたそうです。
旦那さんは、利江さんのことを「放っておいたら一生結婚しそうにないから。」と勝手に結婚式の日取りを決められたのだそうです。
そうやってお二人は結婚することになります。
すごいですね!
中村利江さんが東京のリクルート本社に勤めていた時、夫になる方は大阪におられたようです。
それで中村利江さんは「大阪に帰してください。」と上司に直訴しました。
上司は「営業成績で300%達成したら大阪に帰してやる。」と言われたそう。
どうせ出来るわけないと思って言われたのでしょうけど、中村利江さんは見事達成し、大阪転勤を手に入れました。
そして中村利江さんは24歳で結婚されました。
中村利江社長の経歴とプロフィール
それでは、中村利江社長の経歴とプロフィールを見ていきたいと思います。
経歴
中村利江社長は1964年12月16日、富山県高岡市で生まれました。
現在、55歳です。
中村利江社長の父親は建設会社を経営されており、母親は専業主婦をされていました。
中村利江さんの母親はしつけに厳しい方で、三姉妹の長女だった利江さんは特に厳しく育てられました。
子供時代は毎日習い事があり、自由に遊ぶ時間もなかったそう。
門限は大きくなってからも夕方の6時だったそうです。
中村利江さんは家族で海外旅行に行ったりと、当時としては大変なお金持ちだったので、小学生の頃は男の子達からいじめられていました。
中学生になると母親からの強制でガールスカウトに入ったのですが、そのキャンプで、何でも自分でやることが新鮮で、自立して生きることに目覚めました。
ボランティアの募金活動でもたくさん募金を集めるために並び方を工夫したり、かわいい女の子はおじさんに、かっこいい男の子はおばさんに声をかけるよう、仲間に指示したのだそう(笑)
中学生なのにびっくりです 😮
中村利江さんは、部活動は中高続けてバレーボールをやっていました。
母親から「勉強しなさい。」と絶えず言われていて、それから逃れるためだったそうです。
利江さんは早く親の束縛から離れたくて一生懸命に勉強し、関西大学の文学部に入学。
やっと利江さんの自由な生活が始まります。
部活はチアガールに入ったのですが、男の子達が集まってくるのが嫌ですぐに退部。
漠然と何か自分でできる仕事はないかと思っていた時、講義に遅刻してきた男子学生の「かわいい女の子が起こしてくれたら遅刻なんかしないのに。」という言葉をきっかけにモーニングコール事業を立ち上げました。
300人ほどの女子大生が登録してくれて、注文が殺到。
中村利江さんのユニークなビジネスは朝日新聞の「天声人語」に取り上げられました。
しかしまだ学生で事業の経験がなかったので、お金を取り損ねることが多く、早々に終了。
でもいろんな会社から依頼を受け、登録してくれた女子大生達を派遣し、随分利益を得ることができました。
今の人材派遣会社ですね。(笑)
中村利江さんは大学3年生になった時、今度は自分が働いてみたいと思い、リクルート社でアルバイトを開始。
学生が本分なのに、3年時と4年時の2年間、ほとんど毎日フルタイムで働いたそうです。
大学卒業後、中村利江さんはそのままリクルート社に就職し、東京に配属になりました。
中村利江さんは一生懸命に仕事をがんばっていたのですが、ある時、目標達成を急ぐ余りに、ある会社の部長さんとの間に変な噂が立ってしまいます。
このことがきっかけで、中村利江さんは営業方法をプッシュ型からプル型に変更。
自分が攻めるのではなく、向こうから「来て欲しい」と頼まれるようになろうと決めたそうです。
すごい!
こうやって取引先との信頼関係を構築し、中村利江さんは入社1年目でトップセールスと年間MVPを受賞することができました。
もう、びっくりです。
そんなに順調に仕事が進んでいましたが、中村利江さんは結婚、出産のためにリクルート社を2年で退職しました。
子育てを始めた中村利江さんですが、子育て中に今度はインテリアコーディネーターの資格を取得し作品がコンテストで入賞して、モデルハウスや注文住宅の設計の仕事をすることに。
子供さんが保育園に行くようになり、時間に余裕ができると、さらに自分の可能性を試そうと、「ほっかほっか亭」を運営するハークスレイに就職し、営業企画室に配属されました。
中村利江さんは、どうしたらコストダウンできるかを一生懸命に研究し、チラシにかける年間経費を億単位で削減したのだそうです。
そして入社半年でマーケティング部の管理職に昇進。
信じられません・・・。
290円牛めしの売上げのために、ドキュメンタリー番組の制作会社に企画書を売り込み、株価を数ヶ月で4倍に押し上げたことも。
中村利江さんは現場の声を聞きながら、デリバリーやネットオーダーの仕組みを開発していきました。
この時に出会ったのが、後に中村利江さんが社長となるデリバリー総合サイト「出前館」を運営する夢の街創造委員会でした。
中村利江さんはハークスレイ入社3年目に退社し、経営コンサルタントとして独立します。
ハースクレイにしてみれば、こんな凄腕、手放したくなかったでしょうね。
この頃、夢の街創造委員会の当時の社長さんから、社外取締役になって欲しいと言われ、引き受けました。
でも当時、夢の街創造委員会は倒産直前の危ない経営状態だったのです。
中村利江さんはベンチャー企業支援に力を入れていた大阪ガスにかけあって出資してもらうことに成功。
こうして夢の街創造委員会は倒産の危機から救われます。
そして中村利江さんは前社長に請われ、2002年1月に夢の街創造委員会の社長になりました。
社長になった中村利江さんは経営の立て直しに全力を注ぎます。
ご自分の給料を一番安い10万円にして、誰よりも一生懸命に働いたそうです。
こんな社長、いませんよね。
今の安定を求める社員はどんどん辞めていき、中村利江社長とともに頑張ろうという社員だけが残ったそう。
また出前のスピードを上げるために、ネットで受けた注文を各店舗にファックスで流すという仕組みに変えたのだそうです。
すごいですね~。
自分の掲げた目標を何としてでも達成しようとするその執念と柔軟な発想力。
中村利江社長はどんどん加盟店を増やしていかれました。
また最近は注文する方のデバイスも多岐に渡っているので、そちらの方の研究も怠ることがなく、ユーザビリティの向上はどんどん進んでいます。
加盟店はネットからの注文数が加速する上に宣伝費が節約されるので、売上げが伸びています。
そして、中村利江さんが社長に就任して3年目の2005年に出前館は黒字化を達成し、翌2006年にはヘラクレス市場に上場しました。
中村利江社長は、2019年9月、創業20周年を迎えたのをきっかけに、社名を「株式会社出前館」に変更されました。
現在、加盟店が19,000店以上、会員数が約830万人。
中村利江社長の取り組みはまだまだ続き、Tポイントとの提携、「予約館」や「駆けつけ館」、「漫画全巻出前館」など、食事だけではなく、他業種との提携も進んでいます。
消費者にとっては本当に便利なサービスが増えていきますね。
中村利江社長は常に「あったらいいな」と思える新しいサービスを考え続けておられるそうです。
「中村利江社長、恐るべし!」ですよね。
また、出前館は完全実力報酬型だそうです。
入社時は給料が低いのですが、頑張る人はどんどん給料が上がっていくのだとか。
プロフィール
中村利江社長のプロフィールを以下にまとめました。
生年月日 1964年12月16日
年齢 55歳
出身地 富山県高岡市
1988年、関西大学文学部卒業。
同年、株式会社リクルートに入社。
1991年、インテリア関係の仕事を開始。
1998年、 ハークスレイ入社(ほっかほっか亭本部)。
2001年、 キトプランニング設立、代表取締役就任。
2002年、 夢の街創造委員会株式会社代表取締役社長就任。
2006年、 夢の街創造委員会株式会社が大証ヘラクレス上場。
同年、ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞。
2010年、大阪大学非常勤講師に。
2020年3月、出前館はLINEとの資本業務提携を発表。
中村利江社長の出身大学と高校について
次に中村利江社長の出身大学と高校を見ておきたいと思います。
中村利江社長の出身大学は関西大学です。
中村利江社長は関西大学の文学部を出ておられます。
でも、中村利江社長の経歴から、「文学」という雰囲気はしませんよね。
実際、大学時代はほとんど自分で起業したり仕事をしたりしておられ、あまり文学の勉強はされていないようです。(汗)
中村利江社長は小さな頃から早く家を出たいという思いが強く、そのために勉強して県外の大学を受験されました。
国立のお茶の水女子大学も、合格する自信はなかったのですが、ご両親を安心させるためだけに受けたのだそうです。(笑)
そして関西大学文学部に進学されましたが、関西大学のウィキペディアを見たら、出身者一覧の経済のところにちゃんと中村利江社長のお名前がありました。
すごいです!
中村利江社長の出身高校は、地元の富山県立高岡高校です。
高岡高校は富山県内で御三家の一つに数えられている進学校です。
当然ですけど、頭が良かったのですね。
中村利江社長の資産もチェック!
中村利江社長の資産は、な、なんと80億円越えだとか!
それがどのくらいのものなのか、庶民の私には全く想像がつきません。(汗)
中村利江社長が持っておられる出前館の株数は5,702,300だそうですが、2020年4月現在で出前館の株価は約1,444円なので、計算すると80億円以上になるのです。
また2020年3月26日、出前館はLINEとの資本業務提携を発表しました。
これによって、LINE側は約300億円を出前館に出資することになりました。
LINEとの相互連携により、出前館はますます発展していきそうですね。
こんなにすごい資産家の中村利江社長ですが、経済感覚がしっかりされていて、また高価なものにはあまり興味がないんだそうです。
お金は社会に貢献するために使いたいと思っておられます。
現在は親と一緒に暮らせない子供や経済的な理由で進学が難しい子供達を支援しておられます。
若者達が自分の持っている力を伸ばして社会で活躍できることを願っておられるのです。
またご自分の資産は子供さんに譲らずに寄付するとも言っておられます。
何ともすごい方です。
中村利江社長の子供は?
最後に中村利江社長の子供さんについても見ておきましょう。
中村利江社長には息子さんが一人おられるようです。
中村利江社長は24歳で結婚し、すぐに子供さんを出産されたので、子供さんは今、30歳前後だと思います。
やり手の中村利江さんだったのに、子供さんが生まれたらすぱっと退職するなんて、その時その時、大事なことを優先するという、とてもまっすぐな性格の方なんですね。
中村利江社長は子供さんが保育園に行くようになってから、また外での仕事を始められるのですが、家にいる時は子供さんとの時間をとても大切にして来られました。
子供さんが大きくなってからは、朝から朝食とお弁当を作り、夜はスーパーで買い物をして夕食を作り、息子さんと一緒にテレビドラマを見ながらご飯を食べるのだそうです。
中村利江さんは子供さんと、一緒にいる時はたくさん話をすることとお弁当は冷凍食品ではなく手作りするという約束をされました。
中村利江社長は経営者としてもすごすぎなのに、母親としてもすごい方なんですね!
まとめ
今回は、フードデリバリーサービスのトップに位置する出前館・中村利江社長の夫と結婚、経歴とプロフィール、出身大学と高校そして資産や子供さんについてお伝えしてきました。
いかがでしたか?
中村利江社長ってほんとにすごい方ですよね。
中村利江社長の座右の銘は「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にす」です。
誰でも苦しいことを乗り越えることで、輝きを放つ人に成長できるのですね。
中村利江社長はこれから起業をしようという若者に対して、このように語っておられます。
小さな失敗を何度も繰り返すことで、必ず成功が見えてくるんです。なので、たくさんのチャレンジをして、たくさんの失敗を経験してほしい。ただ、たくさん失敗するためには続けることが必要ですよね。そのために、失敗したらほかにやり方がないか、必死で考える。そうすると、きっといろいろアイデアが出てくるじゃないですか。それが枯れるまであきらめることなく、チャレンジし続けるってことだと思います。あと、「やると決めたなら、どうあがいてもダメだということがわかるまで、ぐだぐだ言わずにやりなさい」
第100回 夢の街創造委員会株式会社 中村利江 | 起業・会社設立ならドリームゲート第100回 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役会長 中村利江 Rie Nakamura 1964年、富山県生まれ。県立高岡高等学校から関西大学文学部へ進学。大学時代に女子大生によるモーニングコール事業を立ち上げ話題となる。大学卒業後の1988年、株式会社リクルート入社。入社1年目にして、トップセールスおよび年間MVP...
何度も言いますけど、まあ、ほんとにすごい方です!
私は起業はしませんが、中村利江社長のこの言葉、心に覚えておきたいと思います。