衣笠祥雄の経歴と成績について!息子は?性格や名言も紹介!

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「鉄人」の愛称で、野球ファンのみならず多くの人達に愛された元広島カープの衣笠祥雄(きぬがさ さちお)さんが、4月23日に大腸がんのため亡くなりました。71歳でした。

私は野球はよく分からないのですが、父が好きだったので、衣笠祥雄さんのお名前もよく聞いていました。

子供の頃、夏の夜は毎日テレビから野球中継が流れていて、衣笠祥雄さんのことを「何かすごい選手らしいけど、親しみやすい雰囲気がするなあ。」と思ったものです。

訃報の知らせに、本当に多くの方がショックを受けておられ、衣笠祥雄さんがどんなに愛される存在だったのかが伝わってきました。

それで私も、衣笠祥雄さんの経歴と成績や息子さん、そして性格や名言についても調べてみました。

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衣笠祥雄の経歴と成績について!

衣笠祥雄さんは1947年1月18日、京都府京都市東山区馬町に、在日米軍人だったアフリカ系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれました。

旧名は衣笠幸雄さんです。

京都市の洛東中学校に入学した時、衣笠祥雄さんは柔道部に入りたかったのですが、柔道部がなかったので仕方なく野球部に入部したそうです。

高校は平安高等学校に進み、3年生だった1964年、春と夏の甲子園大会に捕手として出場し、どちらもベスト8に残ります。

衣笠祥雄さんは高校を卒業した1965年、広島カープに入団し、内野手に転向します。

入団3年後から一軍レギュラーとして活躍。

衣笠祥雄さんの背番号が28だったので、当時流行っていた漫画「鉄人28号」に引っ掛けて「鉄人」という愛称で親しまれました。

1975年には山本浩二さんとともに2打席連続ホームランという快挙を成し遂げ「赤ヘル旋風」を巻き起こしました。そして広島カープは創設26年目にして悲願の初優勝を果たしたのです。

衣笠祥雄さんは常にフルスイングなので、デッドボールを受けることも多く、その数は歴代3位の161個です。

1979年に受けたデッドボールで左の肩甲骨を骨折するという重傷を負い、連続試合出場記録も1122試合で止まるかと思われましたが、何と翌日の試合に代打として出場します。

正真正銘の「鉄人」ですね。

衣笠祥雄さんは、プロ6年目の1970年から現役最後の1987年まで連続試合出場を実現させて、ルー・ゲーリッグの2130試合連続出場の記録を抜き、国民栄誉賞を受賞しました。

このことで、「17年間休まなかった男」と語り継がれています。

衣笠祥雄選手の2215連続出場の記録は1998年まで抜かれることはありませんでした。

通算成績は2677試合出場で、2543安打、ホームラン504本、1448打点。

1972年に最多安打、1976年に盗塁王、1984年にはMVPと打点王に輝いています。

1975年、1980年、1984年にはベストナインに、1984年には最優秀選手にも選ばれました。

1980年、1984年、1986年にはゴールデングラブ賞を獲得しています。

衣笠祥雄さんの功績を称え、1975年からの背番号3は広島カープの永久欠番になっています。

引退後は野球評論家や「午後は○○おもいッきりテレビ」のコメンテーター、「ますやみそ」のCMキャラクターなどで親しまれていました。

また衣笠祥雄さんは「お父さんからきみたちへ―明日(あす)を信じて」や「人生、フルスイング 」「鉄人のひとり言」など10冊を超す著書があります。

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息子は?

衣笠祥雄さんの息子さんは、衣笠友章さんと言われます。

1977年4月23日生まれ、現在41歳です。

ということは、衣笠祥雄さんは息子さんの誕生日に亡くなられたということになります。

衣笠祥雄さんは息子さんが41歳になられるのを見届けてから、天に旅立たれたということでしょうか。

息子の衣笠友章さんは、1998年から2008年まで俳優をされていました。

事務所はクリエートプロモーションに所属されていて、2001年放送のNHK

大河ドラマ「北条時宗」にも出演されていました。

2009年からは加賀電子株式会社に努めておられます。

お父さんの衣笠祥雄さんは、息子さんがやりたいようにさせてくれたのだそうです。

息子さんはそのことをとても感謝しておられるそうです。

性格や名言も紹介!

それでは、衣笠祥雄さんの性格や残された名言を振り返ってみたいと思います。

衣笠祥雄さんは入団時の契約金で、アメリカの高級車フォード・ギャラクシーを買い、乗り回していたそうです。

そんなある日、米軍岩国基地で仲良くなった青年が「明日ベトナムへ行く。」と言います。

目の前の友達が明日戦争に行き、命もどうなるか分からないのです。

衣笠祥雄さんは非常にショックを受け、好きなことをして遊び回っている自分を恥じ、それ以来、真剣に野球をするようになったそうです。

このように、自由奔放な性格ですが、人の言葉や気持ちを真摯に受け取り、自分を見つめなおす方でした。

それ故に、衣笠祥雄さんを悪く言う人はおらず、皆から好かれる方でした。

また紳士的で優しい性格で、デッドボールを受けても、相手を非難することは一切なく、かえって相手を気遣っていたそうです。

1979年、「江夏の21球」と言われる有名なシーンがあります。

日本シリーズ第7戦、近鉄に1点リードの九回裏一、三塁。

監督が別の投手に投球練習を命じるのを見た江夏投手の顔色が変わりました。「俺に任せられないというのか。」

その気持ちをすぐに察した衣笠祥雄さんは江夏投手に近づき、「お前がやめるなら、おれも一緒にやめてやる」と言います。

これで落ち着きを取り戻した江夏投手はピンチを脱出し、広島カープは初の日本一に輝くのです。

このように衣笠祥雄さんは、人の気持ちを瞬時に推し量ることのできる大変繊細で優しい性格の持ち主でした。

反面、自分がこうと思ったことは絶対に曲げない、子供のような純粋さと大胆さを持っていました。

明らかに「ボール」と分かっている球でも、絶対にフルスイング。何事にも全力で向かい、妥協を許さない性格だったのです。

食べ物も偏食がひどく、魚や野菜は食べないで肉ばかり食べていたそうです。

そんな衣笠祥雄さんは数々の名言を残しています。

ここでは、その中から私の心に残った名言を紹介したいと思います。

プロフェッショナルとは、その世界に、自分を丸ごと投げ入れた人間のことだと思う。

引用元 著書「人生、フルスイング 」より

誰にも好きなことはあるだろう。
やっていて飽きないことがあるだろう。
だからお父さんは言うんだよ。
何でも好きなことをしなさいって。
好きなことには、きみたちの素質があるからなんだ。

引用元 著書「お父さんからきみたちへ―明日(あす)を信じて」より』

どんな時でも、投げてくる球をしっかり見据えて、フルスイングしないと何も残らない。

明日につながらないんです。人生だって同じかもしれませんね。

「プロフェッショナルとは、その世界に、自分を丸ごと投げ入れた人間のことだと思う。」

引用元 著書「人生、フルスイング」より

「現在(いま)」を大事にして精一杯やるから、「未来(さき)」があるんじゃないでしょうか。

人間、自分ひとりでできることには限界がある。

だけど、人と力を合わせると、不思議なことに不可能も可能に、夢も現実になっていく。

だから、出会う人を大切にするんだよ。

どの言葉も、まさにフルスイングの衣笠祥雄さんの人生から紡ぎ出された名言ですね。

私も、これから何かある度に、これらの名言を思い出し、自分を元気づけようと思います。

まとめ

フルスイングの人生を駆け抜けた衣笠祥雄さん。

謙虚さと人への優しさの大切さを、ご自分の言動を通して教えてくださった衣笠祥雄さん。

本当にありがとうございました。

そしてお疲れさまでした。

ご冥福を心からお祈りいたします。

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