皆さん、こんにちは。
今、ジェーンスーさんの著書「生きるとか死ぬとか父親とか」が話題になっています。
自分の父親のことを赤裸々に綴った本ですけど、そこには一度は絶縁寸前にまでいった父親への愛情が感じられます。
ジェーンスーさんの言い回しは痛快ですけど、あたたかさがあるんですよね。
今回は今、注目を浴びているジェーンスーさんの結婚や本名、父母や兄弟そして経歴とプロフィールに迫ります。
ジェーンスーの結婚について
ジェーンスーさんは結婚しておられないし、今までも結婚されたことはありません。
ジェーンスーさんは自称「未婚のプロ」です。
しかし、結婚しないと決めておられる訳ではありません。
ジェーンスーさんは35歳の時、結婚の約束をした人がいて、結婚式場の仮予約までしたのだそうです。
でもぎりぎりになって結婚を止めたという過去があります。
その後は、自分の人生が楽しくて「結婚」を選ばず、ここまできたというのが事実のようです。
ジェーンスーさんの著書「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」は未婚のアラサー、アラフォーに絶大な支持を得てベストセラーになり、テレビドラマにもなりましたが、その中にもそういう箇所があります。
本名は?
ジェーンスーさんの本名は非公表となっています。
「ジェーン・スー」というのは芸名です。
スーさん自身が、自分は生粋の日本人だと言っておられます。
それに「ジェーン・スーは日本人です」という名前のブログを運営しておられます。
「ジェーン・スー」という名前をつけたのは、以前、ホテルを予約する時に、外国人だったら割引になるというプランがあったので、偽装したのだそうです。
名前を考えた時、アメリカ留学時代のジェーン・ウェルチというルームメイトのことをとっさに思いつき、でも「ウェルチ」より「スー」の方がアジア人っぽいということで「ジェーン・スー」にしたそう。
いけないことですよね。
でもそれを堂々と語るところがジェーン・スーさんらしいですね(笑)
TBSラジオで放送されている「東京ポッド許可局」という番組でジェーン・スーの本名を予想するという企画があり、その番組では本名が田之上美智(たのうえ みち)に決まりました。
本名を勝手に考えるなんて、おもしろい企画ですね。
ネット上では本名は「森本薫」ではという噂が飛び交っていますが、これはラジオ番組で、大学時代にジェーンスーさんと同じサークルだった方が、ジェーンスーさんのことを「もりもとさん」と読んだことがきっかけになっているみたいです。
でも本名は非公表になっているので、これ以上の詮索は控えておきますね。
父母と兄弟も調査!
ジェーンスーさんの父親は現在79歳です。
父親は、「石原慎太郎と渡辺恒夫を足して二で割らない」というなかなか強烈な性格の持ち主だそうです。
そして、女性に「この人のために何かしてあげたい。」と思わせるタイプだとか。
ジェーンスーさんの父親は静岡・沼津大空襲を経験し、その後は貿易を学びましたが、若くして結核になります。
それでも、商売をしながら力強く生き抜いて来られたそうです。
父親は30代で、会社兼自宅の4階建てビルを建てます。
レンガ造りの建物だったそうです。
しかし、父親の商売がうまくいかなくなり、2008年にその家を手放すことになりました。
ジェーンスーさんの母親は、結婚前は映画雑誌の編集をされていたそうですが、結婚後は専業主婦をされていました。
母親は大変聡明な方で、ユーモアにあふれ、その上美人だったそうです。
しかしジェーンスーさんの母親は、今から20年前、ジェーンスーさんが24歳の時にがんで亡くなられます。
64歳だったそうです。
母親が亡くなってから、ジェーンさんは2度父親と同居したそうですが、一緒にいるとどうしてもぶつかり、関係が悪くなってしまうのだそうです。
そういう父親のことは、今年出版された著書「生きるとか死ぬとか父親とか」に赤裸々に綴ってあります。
ジェーンスーさんの兄弟についても調べましたが、ジェーンスーさんには兄弟はおられません。
一人っ子です。
ジェーンスーさんは子どもの頃、両親の愛を一身に受けて育ったのでしょうね。
それなのに、24歳で母親をなくしたのはどんなに辛かったことでしょう。
病気の母親を必死で看病されたようですが、兄弟がいれば相談したり助け合ったりできるのに、一人で悩まないといけなかったのですね。
ですから、母親がいなくなって、父親と二人だけになるというのは、お互いがどんなに大切な存在であっても、なかなか大変なことでしょうね。
ジェーンスーの経歴とプロフィール
それでは、ジェーンスーさんの経歴とプロフィールをまとめておきます。
ジェーンスーさん(別名 田之上美智さん)は1973年5月10日、東京都文京区で生まれました。
現在45歳です。
ジェーンスーさんは国立の幼稚園、東京学芸大学附属竹早小学校、文京区内の国立の中学校、カトリック系の女子高校を経てフェリス女学院大学文学部へ進学します。
フェリス女学院大学では早稲田大学の「ソウルミュージック研究会」というサークルに所属していました。
大学を卒業するとレコード会社に入社し、所属アーティストの宣伝を担当しました。
28歳の時、他のレコード会社に転職し、あるプロジェクトに参加し、3年後に退職。
ちょうどその頃同棲していた人がいて、結婚も考えていたそうですが、ふられちゃったのだそうです。
それから半年後に眼鏡会社に就職します。
ここは完全週休2日制で、生活も安定していたのですが、また違うことがやりたくなって35歳でこの会社も退職。
その後は、いわゆるフリーランサーとして、頼まれた仕事をして生きることになりました。
現在のジェーンスーさんは作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサーといくつもの肩書きを持っておられます。
コラムを書くようになったのは、2009年、mixiに書いたものがある女性誌編集者の目に止まり、執筆依頼が来たのがきっかけです。
ラジオのお仕事は、知り合いの音楽ジャーナリストから番組への出演依頼があったのがきっかけだそうです。
同じ時期にテレビのバラエティ番組への出演の話も来たのだそうです。
自分からどうかしようと動かれた訳ではなく、いろいろな縁があって、今のジェーンスーさんの活躍があるのですね。
そうやってメディアに出ることが増えた来た頃に、「ジェーン・スーは日本人です。」という名前のブログを始められるんです。
検索した人に自分のことを分かってもらうために。
ジェーンスーさんって、ほんとなかなかすごい人ですね!
現在は平日は毎日、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」に出演し、いくつもの雑誌の連載を抱えながら、時々テレビにも出演されます。
唯一の趣味はマッサージだそうです。
「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」で第31回講談社エッセイ賞を受賞されました。
2018年5月には「生きるとか死ぬとか父親とか」を出版。
他の著書には「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」、「女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。」「今夜もカネで解決だ」など、コミック原作に「未中年〜四十路から先、思い描いたことがなかったもので。〜」があります。