左とん平さんが死去されたというニュースを聞き、びっくりしました。
そしてあの温かい表情が思い出されました。
先日の大杉漣さんに続き、またもや昭和の名優が一人いなくなると思うと、とても寂しい気持ちになります。
左とん平さんは2月24日、心不全のため、ご家族に見守られながら天国へ旅立たれました。
今回は私達に懐かしい思い出をたくさん残してくださった左とん平さんについてまとめました。
左とん平の結婚と昔の若い頃について
左とん平さんは結婚されていましたが、一般の方のようで、詳しい情報はありませんでした。
左とん平さんは1957年、20歳の頃、高校の同級生の辻しげるさん達に誘われて劇団を結成します。
その後、三木鶏郎さんの「劇団冗談工房」に入団。
そこには永六輔さんやいずみたくさんがおられました。
驚くことに、その時のマネージャーは野坂昭如さんだったのだそうです。
その年、ラジオの「トリロー・サンドイッチ」のメンバーになり、その後、テレビにも出演するようになりました。
左とん平さんの本名は肥田木通弘(ひだき みちひろ)さんと言われますが、この頃、三木鶏郎さんに芸名をつけてもらいました。
「左」という苗字は本名の肥田木をもじったものだそうです。そして「とん平」というのは、三木さんの行きつけの居酒屋さんの名前なのだそうです。
何かいい加減なつけ方ですが、「左とん平」という名前が、その温かさと親しみやすさをよく表していますよね。
1960年頃から新宿コマ劇場などに出演されるようになります。
そして1970年代になると、「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などのテレビドラマに出演するようになり、人気者になります。
1973年には「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」というギャグが流行語になり、歌手として「とん平のヘイ・ユー ブルース」というレコードも出されました。
そんなに活躍していた左とん平さんですが、ポーカー賭博で3度も逮捕されます。
最初に逮捕されたのは1981年、森繁久彌さんが座長を務める「華麗なる遺産」という舞台に出演中の時でした。
役者が急に出られなくなんて、とんでもないことですが、森繁さんは温かく励ましてくださり、その後の復帰の手助けもしてくださったのだそうです。
左とん平さんは大きな失敗もしましたが、そのキャラで周りの先輩たちに愛された人だったのですね。
妻と息子は?
妻は仁美さんと言われます。
ほとんどメディアに出られることなく、左さんをずっと支えてこられました。
3度の逮捕の時は、どんなに大変だったことでしょう。
妻のことは知られてはいませんが、きっと左さんが失敗から立ち上がる一番大きな力だったのではないでしょうか。
息子さんは肥田木隆弘さんと言われます。
1966年1月23日に生まれて、現在52歳です。
息子さんは主婦の友社「BOYS RUSH」の編集長をされていましたが、そこを退職してインターネット関連の「株式会社GV」という会社を創設されました。
今現在も気になる!
左とん平さん死去のニュースを聞いてから、昔のことがいろいろと思い出されます。
私が子供の頃は、テレビゲームも携帯もなく、夜は家族みんなでホームドラマを見ていたものです。
「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」はとても温かく楽しいドラマでした。
それから「西遊記」。こちらも楽しみでした。
ゴダイゴの「モンキー・マジック」が流れてくるとテレビの前に座ったものです。エンディングテーマの「ガンダーラ」も印象深いですね。
左とん平さんの猪八戒はかわいらしくて何かチャーミングでしたよね。
左とん平さんのことから、いろいろと自分の子供時代のことを思い出しました。
子供の頃の家の中のこととか今は亡き両親のこととか。
40代から50代の方達はみんなそうではないでしょうか。
インターネットなどはなく、外の世界のことはあまり知らないのですが、テレビを見て家族みんなで笑ったり泣いたりする・・・いい時代でした。
今考えると、そこに左とん平さんがおられたのですね。
まとめ
左とん平さん。
日本の今の大人たちの多くに、いろんな思い出を残してくださいました。
ありがとうございました。
そして、闘病生活お疲れさまでした。
ご冥福をお祈りいたします。