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阿部友里香の結婚と夫!出身大学と高校は?プロフィールもチェック

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もうすぐ北京パラリンピックが開幕しますが、注目選手の一人、阿部友里香(あべ ゆりか)選手をご存じでしょうか?

阿部友里香選手はクロスカントリースキーとバイアスロン、2種の競技に出場します。

中学校の卒業式前日に震災で家を失った阿部友里香選手は、持ち前のの根性で、3度目のパラリンピックに挑戦します。

今回は、そんな阿部友里香選手の結婚と夫、出身高校と大学そしてプロフィールと経歴についてお伝えします。

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阿部友里香の結婚と夫について

まず、阿部友里香選手の結婚と夫について見てみたいと思います。

実は、阿部友里香選手は2021年の秋に結婚されました!

まだ新婚さんなんですね♡

阿部友里香選手のブログに結婚の報告があるのを見つけました。

そのブログは2021年10月29日に公開されたもので、その中に「報告が遅くなった」という記述があるので、結婚された日は分かりませんでしたが、9月か10月ではないかと思います。

阿部友里香選手と夫になられた方は、大学時代からお付き合いをされていたのだそうです。

阿部友里香選手は、夫のことを、ブログの中で「心許せる彼」と表現しています。

素敵ですね!

友人期間が長かったこともあり
親友のような、心許せる彼と共に力を合わせて
人生を歩んでいきたいと思いました。

引用元 https://www.skiblog.jp/archives/2021/10/post_2567.html

結婚してすぐにパラリンピックということで、夫は寂しいでしょうけど、阿部友里香選手を精一杯応援しておられることでしょうね。

阿部友里香選手、ご結婚おめでとうございます!



阿部友里香の出身大学と高校について!

次に阿部友里香選手の出身大学と高校についてお伝えします。

出身大学

阿部友里香選手の出身大学は大東文化大学です。

阿部友里香選手は大東文化大学の国際関係学部を卒業されました。

阿部友里香選手は、4年前の平昌パラリンピックの時は大学4年生でした。

大東文化大学は教育理念に共生を掲げていて、障がい学生支援という制度を設けています。

障がい者に対する理解が深く、障がいを持つ学生にとっては過ごしやすい環境のようです。

出身高校

阿部友里香選手の出身高校は盛岡南高校です。

盛岡南高校は岩手県盛岡市にある県立高校で、スキーの強豪校です。

阿部友里香選手は地元の山田町にある高校に進学してバレーボールとスキーの両立を考えていたのですが、東日本大震災で入学が延期になったのだそうです。

それで盛岡南高校に進学することになりました。

阿部友里香選手がソチパラリンピックに出場したのは、盛岡南高校3年生の時です。



阿部友里香のプロフィールと経歴

最後に阿部友里香選手のプロフィールと経歴をお伝えします。

プロフィール

名前 阿部友里香

生年月日 1995年10月7日

年齢 26歳(2022年2月現在)

出身地 岩手県下閉伊郡山田町

最終学歴 大東文化大学国際関係学部

2011年 日立ソリューションズ「チームAURORA」スキー部下部組織ジュニアスキークラブに入部。

2014年 ソチパラリンピックに出場 クロスカントリースキークラシカルで8位

2015年 ワールドカップ スプリント・フリー、スプリント・クラシカルで2位。

2016年 ワールドカップ クロスカントリー・スプリント・クラシカルで金メダル

2017年 世界選手権 バイアスロン・ミドルで3位

2018年 平昌パラリンピックに出場 混合リレーで4位

2018年4月 日立ソリューションズ入社。

2022年 北京パラリンピックに出場

経歴

阿部友里香選手は1995年10月7日、岩手県下閉伊郡山田町に生まれました。

2022年2月現在、26歳です。

身長は164cm。

阿部友里香選手は出生時に起こったことが原因で、左腕に機能麻痺が残りました。

しかし小さい時から運動が大好きで、小学時代にバレーボールを始め、ボーイスカウトにも参加していました。

そんな阿部友里香選手を父母は一生懸命に応援しました。

中学2年生の時、母に声を掛けられて見たテレビではバンクーバーパラリンピックのスキー競技が放映されていました。

そこに阿部友里香選手と同じように、左手に障がいのある新田佳浩選手が映っていたのです。

新田選手は右手だけにストックを持って力強く滑り、金メダルを獲得しました。

阿部友里香選手は居ても立ってもおられず、荒井秀樹監督にメールをしたのだそうです。

「私でもできますか?」

監督はびっくりされたことでしょうね。

そして中学3年の冬にスキー競技の練習を始めます。

しかし、中学校も卒業という時に、あの東日本大震災に襲われ、自宅は津波によって全壊してしまいました。

家族は無事でしたが、父は仕事の関係で山田町の仮設住宅に、母と兄弟は母の実家のある宮古市に、祖父母は盛岡市の親戚宅にと離ればなれの生活をすることに。

阿部友里香選手は「自分だけスキーをやっていていいのだろうか。」と悩みますが、そんな友里香選手の背中を父が押してくれました。

母が「やめてもいいんだよ。」と声を掛けると、その声で元気になり、また頑張り始める友里香選手だったそうです。

父母は、友里香選手が、自分で始めたことは絶対にあきらめない子だということをよく知っておられるのですね。

高校は荒井監督の勧めで盛岡南高校に進学し、同時に日立ソリューションズ「チームAURORA」スキー部下部組織ジュニアスキークラブに入部しました。

阿部友里香選手は高校3年生、18歳の時にソチパラリンピックに出場。

クロスカントリー15kmクラシカルのレースは震災が発生した3月11日にありました

阿部友里香選手はきっと様々な思いを心に秘め、試合に臨んだことでしょうね。

結果は8位入賞

そうやって阿部友里香選手は、復興を願うふるさとの人々の希望の星になったのです。

大学時代は、国立スポーツ科学センターで左手のリハビリやバランストレーニングを積みながら練習に励みました。

そして、今回、3度目のパラリンピック、北京大会に臨みます。

まとめ

阿部友里香選手は「一度きりしかない自分の人生を後悔しないように生きたい。」と語っておられました。

左腕の障がいも東日本大震災もパラリンピック出場も、多くの人はどれ一つ経験したことはありません。

若くして、自分しか経験することのできなかったこれらのことを人生の糧に変えて、まっすぐに進んでいる阿部友里香選手。

北京パラリンピックでの活躍を期待します。



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